「明治二十四年」の一覧を表示しています

明治二十四年七月
増野正兵衞身の障りに付伺

明治二十四年八月四日
大和新聞より申し来りし事に付伺

明治二十四年八月四日
本局神道雑誌へ取替金証書返戻して宜しきや伺

明治二十四年八月四日
本席方の六畳の座敷西側の壁を取り除く事又塀を突き出す事の伺

明治二十四年八月四日
飯降政甚帰和の事を清水与之助より伺

明治二十四年八月四日
天地組分教会設置の件伺(北分教会)

明治二十四年八月四日
本部事情願

明治二十四年八月四日
煮炊場東へ持ち行く事の伺

明治二十四年八月四日
清水与之助三木支教会を経て加古、飾東支教会へ派出の願

明治二十四年八月五日
井筒梅治郎家内一同芦津分教会へ引き移るの願

明治二十四年八月五日(陰暦七月一日)
山本利正の願

明治二十四年八月五日(陰暦七月一日)
河内国柏原の山本利三郎の内にて伊之吉の願

明治二十四年八月六日
郡山分教会部内山陰支教会設置願

明治二十四年八月六日
郡山分教会部内谿羽支教会設置願

明治二十四年八月六日
豊後中津講社の事情心得のためまでに伺

明治二十四年八月六日
増野正兵衞腹下り障りに付願

明治二十四年八月七日
高知集談所地所に付、今後の心得のため願

明治二十四年八月七日
今村斧太郎事情の願

明治二十四年八月九日
二階建を巽角へ南向きに引く事の願

明治二十四年八月九日
鴻田忠三郎身上の伺

明治二十四年八月十一日
天地組分教会設置に付、地所買い入れの件に付願(北分教会)

明治二十四年八月十三日
中山会長の旧御居間は嘗ては教祖此処に御住居ありしことなれば、取り払いの上境内へ建て遣し置け、との会長よりの命なれば右御許しの願

明治二十四年八月十四日
河原町分教会部内越前国敦賀郡越乃国支教会御許し願

明治二十四年八月十九日
増野正兵衞三日前より腹下り夜分夜通し下り、しぼり腹に付願

明治二十四年八月二十一日
天地組講社取扱所なる元若松町百二十番屋敷は、家主の都合にて明け渡しせねばならずに付、同区木幡町四百六番屋敷へ仮移転の願(北分教会)

明治二十四年八月二十九日
永尾楢次郎身上に付願

明治二十四年八月二十九日(陰暦七月二十五日)
山沢サヨ咳出るに付願

明治二十四年八月二十九日
増野いと大便不通追々迫るのは、春野の方の治まり方を御知らせ下されますや伺

明治二十四年八月三十日
兵神分教会部内三木支教会長藤村喜代松世上の事情も有之、信徒の事情も有之に付、やむ得ず富田伝次郎へ当分委せ度くの願

明治二十四年八月三十日
兵神分教会部内黒川真明講先き丹後国舞鶴講社へ岩崎新兵衞派出の願

明治二十四年九月一日
山沢為造鼻の穴に小さき出もの出来しに付事情の願

明治二十四年九月三日(陰暦八月一日)
中山会長より前川菊太郎縁談事情心得のため御願(大阪宮川平三郎娘を貰う願)

明治二十四年九月三日
平野楢蔵背の出もの障りに付伺

明治二十四年九月五日
増野正兵衞いんきんにて夜々痛みかゆくて寝(やす)む事出来ざるに付願

明治二十四年九月五日
小松駒吉長女あい身上障りに付伺

明治二十四年九月七日
河原町分教会部内越乃国支教会本県へ出願事情の願

明治二十四年九月七日
寺田半兵衞身上にて七日前より夜分咳出で、昼は速やかなるに付願

明治二十四年九月八日
山沢為造子供咳く事情よりの願