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明治二十四年十月二十日
今村熊太郎身上の願

明治二十四年十月二十一日
 天水組講社分教会設置の願(網島分教会)

明治二十四年十月二十一日
高安分教会部内各講名を取り消し、光道講と改名の御許し願

明治二十四年十月二十一日
高安分教会部内光道講第十号に於て大鳥支教会設置の願

明治二十四年十月二十一日
東分教会長上原佐助歯痛に付願

明治二十四年十月二十一日
春野ゆう七十才喘息の障りに付伺

明治二十四年十月二十二日
増野正兵衞在来農井戸を飲み水用の井戸と致し来りし処、差水致し悪水に相成るに付、二間程東へ更に井戸掘り致し度く御許しの願

明治二十四年十月二十四日
日和佐支教会新築の願

明治二十四年十月二十四日
日和佐支教会長妻ハツ及び役員身上障りに付願

明治二十四年十月三十日
撫養支教会を分教会に引き直しの願

明治二十四年十月三十日
前川菊太郎と小東との縁談双方相運びし処都合よく承諾相成りしに付、日限は親様より御知らせ下されますや、又それまで教興寺松村へ預けて仕込んで貰いますがこの儀伺

明治二十四年十月三十一日
桝井伊三郎身上障りに付伺

明治二十四年十月三十一日 夜
過日二十八日の朝大地震に付、名古屋愛知支教会へ見舞のため宮森与三郎、永尾楢次郎両名出張の願

明治二十四年十月三十一日 夜
宮森与三郎、永尾楢次郎外に高井猶吉の三名出張又各分教会より清水与之助代理出張の儀願

明治二十四年十月
増野松輔の願

明治二十四年十一月一日(陰暦九月三十日)
上田嘉治郎娘ナライト事情より願

明治二十四年十一月一日
山田伊八郎身上鼻の出ものに付願

明治二十四年十一月一日 夜
梶本松治郎、土佐高知分教会の帰途大阪より、だん/\身上の障り上げ下だしに付願

明治二十四年十一月一日(陰暦九月三十日)
本席俄かに御身上より御話

明治二十四年十一月二日
梶本松治郎身上願

明治二十四年十一月三日 午後六時
梶本松治郎身上厳しきに付願

明治二十四年十一月三日
増野松輔身上に付、去る二十一年より兵庫細谷市三郎方へ雇い入れ御許しを蒙り遣し有之処、身上厳しく迫り、三日前に宅へ帰り来り、右は親方の暇を取り十分たんのう致し度く存じます故御許しの願

明治二十四年十一月四日
芦津分教会新築致し度くに付願

明治二十四年十一月五日 朝七時十五分
俄かに刻限の御話

明治二十四年十一月五日
震災のため名古屋へ出発せし高井猶吉、宮森与三郎、清水与之助、永尾楢次郎等帰宅の上おさしづ

明治二十四年十一月六日
永神講の内菅原村講分離の御願(梅谷講社)

明治二十四年十一月六日 朝
中山教長夫人歯の痛みに付願

明治二十四年十一月六日 午前
梶本松治郎葬祭来る十二日執行の件願

明治二十四年十一月七日 朝
清水与之助御勤済まし、御簾にて目を引き掛け痛むに付願

明治二十四年十一月七日
平野楢蔵身の障り願

明治二十四年十一月八日
河原町分教会部内西陣支教会開講式本月十五日の願

明治二十四年十一月八日 朝
山本コマツの願

明治二十四年十一月九日 午前一時半頃
中山教長身上総体しんどく左の肩に固まり出来しに付願

明治二十四年十一月十日(陰暦十月九日)
中山本部長御身上の願

明治二十四年十一月十日
桝井伊三郎小人つゆ身上障りに付願

明治二十四年十一月十三日
島ケ原支教会設置願は郡役所より返付に付伺

明治二十四年十一月十三日 朝
平野楢蔵身上願

明治二十四年十一月十三日
平野トラ身上願

明治二十四年十一月十四日
河原町分教会部内湖東支教会地所建家の願

明治二十四年十一月十四日
藤橋光治良身上願

明治二十四年十一月十四日
佐治登喜治良の願

明治二十四年十一月十五日
南海支教会所開筵式十二月四、五日(陰暦十一月四日五日)御許しの願

明治二十四年十一月十五日
土佐高知分教会月次祭陰暦十八日の願

明治二十四年十一月十五日
芦津分教会部内備中国笠岡支教会地方庁へ出願の願

明治二十四年十一月十五日(陰暦十月十四日)
前川菊太郎身上の願

明治二十四年十一月十五日
高井猶吉身上の願

明治二十四年十一月十五日
松村吉太郎身上願

明治二十四年十一月十五日
山田作治郎身上願

明治二十四年十一月十五日
東京中台平次郎妻いそ身上の願

明治二十四年十一月十五日
桝井伊三郎小人つゆ身上願

明治二十四年十一月十五日 夜一時
本席御身上より願

明治二十四年十一月十六日
播磨国明石郡明石に於て兵神分教会部内明石支教会所設置御許し願

明治二十四年十一月十六日
清水与之助身上の願

明治二十四年十一月十六日(陰暦十月十五日)
増野正兵衞腰より足のだるき障りに付願

明治二十四年十一月十六日
松村吉太郎腹つかえ胸痛むに付願

明治二十四年十一月十六日
桝井伊三郎願(昨日身上より夜分尋ね出るようと御聞かせ下されあり、これは皆揃うて出るのでありますか、一名一人宛でありますか。)

明治二十四年十一月十七日
郡山分教会部内山陰支教会地所の願

明治二十四年十一月十九日
増野松輔少しおたすけ蒙り今一段おたすけの程願

明治二十四年十一月二十日
網島分教会地方庁へ出願の伺

明治二十四年十一月二十一日
山中栄蔵身上障り願

明治二十四年十一月二十二日
陰暦二十六日本部大祭に付講社参詣人へ御供やる願

明治二十四年十一月二十二日
郡山分教会部内日和支教会設置の件願

明治二十四年十一月二十二日
芦津分教会部内西宮支教会設置の件願

明治二十四年十一月二十二日
城島分教会部内伊賀阿部田村錦生支教会設置の件御許しの願

明治二十四年十一月二十三日(陰暦十月二十二日)
本部に各分教会支教会長及び役員又講社講元等宿泊するに際し、夜具不足に付蒲団二十組新調御許し願

明治二十四年十一月二十五日(陰暦十月二十四日)午前一時
刻限御話

明治二十四年十一月二十五日
天恵五番支教会設置の件御許しの願(御津支教会)

明治二十四年十一月二十五日
芦津分教会新築家棟上の願

明治二十四年十一月二十五日
芦津分教会部内笠岡支教会所月次祭陰暦十六日、説教日陽暦六日十六日二十六日の御許し伺

明治二十四年十一月二十八日
南海支教会開講式に付本部長出張の願

明治二十四年十一月二十八日
郡山分教会副会長の願

明治二十四年十一月二十八日
増田甚七身上願

明治二十四年十一月三十日
橋本清、山本利三郎、宮森与三郎紀州行きの願

明治二十四年十一月三十日
梅谷とみゑ五才胸先迫るに付願

明治二十四年十二月一日
飯降さと身上願

明治二十四年十二月一日(陰暦十一月朔日)
おさづけ手順相済み、身上の願を申し上げし処直ぐと御話あり

明治二十四年十二月二日(陰暦十一月二日)
便所新築御許しの願

明治二十四年十二月二日
河原町分教会部内西陣支教会開講式に付橋本清出張の願

明治二十四年十二月二日
増野正兵衞足の障りすっきり致しませんに付願

明治二十四年十二月六日(陰暦十一月六日)
網島分教会所地所の願

明治二十四年十二月七日(陰暦十一月七日)
東京本局平塚教正来会、本年本局局債金に関する件に付願

明治二十四年十二月七日
網島分教会陰暦二十五日月次祭御許し願

明治二十四年十二月十二日
山本利三郎身上に付願

明治二十四年十二月十三日
伊予国松山に於て東分教会部内愛媛出張所設置致し度く事情の願

明治二十四年十二月十四日
天地組の分教会設置に付、神道本局管長より添書到着せしに付、府庁へ出願致し度く願

明治二十四年十二月十四日
鴻田忠三郎伺

明治二十四年十二月十五日
高知分教会地所買い入れの願

明治二十四年十二月十六日
芦津分教会部内笠岡支教会月次祭の願

明治二十四年十二月十六日
平野トラの願

明治二十四年十二月十八日
志紀分教会の処会長は神様の御許し山本利三郎なるも、地方庁出願に就ての担任は板倉槌三郎と、場所は南高安村大字恩智に定め、名称を中河分教会と改め再願の件に付願

明治二十四年十二月十八日
芦津分教会部内西宮支教会出願事情願

明治二十四年十二月十八日
平野トラ身上より夫婦出よとのおさしづに付両人願

明治二十四年十二月十八日
大県増井幾太郎外家内小人三人身上障り願

明治二十四年十二月十九日 夜
本席身上御障りに付願

明治二十四年十二月二十日
丹波国福知山に於て芦津分教会部内福知山支教会所設置致し度きに付願

明治二十四年十二月二十一日
増井幾太郎身上速やかに付伺

明治二十四年十二月二十五日
豊田村山地買い入れの事情願

明治二十四年十二月二十五日
高安分教会節会二十五年一月五日に執行の願

明治二十四年十二月二十五日
高安分教会部内講社講名を光道講と致すようの願

明治二十四年十二月二十五日
松村ツル身上障りに付願