「明治二十四年」の一覧を表示しています
明治二十四年六月六日
越後行の願
明治二十四年六月八日
越後行前のおさしづに付鴻田忠三郎行って貰いまして宜しきや願
明治二十四年六月十一日
越後行に付、会長より鴻田忠三郎用事申付けに付願
明治二十四年六月十一日(陰暦五月五日)
山沢サヨ俄かに腹痛みに付願
明治二十四年六月十一日
前五月二十九日のおさしづに辺所の話と有之、右は講社にてありや、又は我身にとりて宜しきや、松村吉太郎伺
明治二十四年六月十一日
松村すて、萱振村芦田松治郎と縁談の儀伺
明治二十四年六月十二日(陰暦五月六日)
兵神分教会部内三木支教会に於て、これまで分支教会へ御許しになりたる御殿に致しますか、この度新形の雛形の御殿に致しますや願
明治二十四年六月十二日
山沢為造江州へ派出の事情願
明治二十四年六月十二日
清水与之助国元へ一度帰り万事心掛かり治め度きに付願
明治二十四年六月十三日
本席及び中山会長郡山分教会へ御越しの事に付願
明治二十四年六月十五日
前川菊太郎出張の上、芦津分教会設置の儀地方庁へ出願に付願
明治二十四年六月十七日
おぢば北裏川の石垣並びに地境に石垣及び壁古き分取り払いの願、又は更に新しく致すべきものや併せて願
明治二十四年六月十七日
増野正兵衞胸の障りに付願
明治二十四年六月十七日
諸井政一身上障りに付伺
明治二十四年六月二十一日
神道本局員来会事情に付願
明治二十四年六月二十三日
本席御身上腹張りつかえるに付御願
明治二十四年六月二十四日
芦津分教会部内西宮真明講教祖五年祭来月四日御許し願
明治二十四年六月二十六日
芦津分教会仮開講式に付、本部役員出張の儀願
明治二十四年六月二十八日
梅谷たか十二才身上の願
明治二十四年六月三十日
神道本局会議の結果を部内分支教会長及び詰員だけ集会して定めたものであるや、各講長も集めたものであるや伺
明治二十四年六月三十日
前川菊太郎、小東こたま、増井とみゑ、縁談の事に付心得のため伺
明治二十四年六月三十日
山沢サヨ腹痛みに付願
明治二十四年七月一日
梅谷分教会普請中の間会長笹西の内に於て仮に御祀り申し上げるの願
明治二十四年七月一日
山本利正身上の願
明治二十四年七月一日
鴻田忠三郎越後行の事情願
明治二十四年七月四日
芦津分教会月次祭毎月陰暦二十二日、説教日毎月陽暦二日十二日二十二日に定め度くに付願
明治二十四年七月四日
網島部下紀州和歌山集談所地所買い入れの事情願
明治二十四年七月四日
寺田たき前々の事情から再び願
明治二十四年七月四日
増田とみ身上願
明治二十四年七月五日
諸井国三郎本月より十月まで国々先々巡廻の御許し願
明治二十四年七月五日
辻忠作娘とめぎくの願
明治二十四年七月六日
増野いと三十五才居所痛み厳しく、便所より帰る時気失うようになりたるに付願
明治二十四年七月六日
村田かじ身上願
明治二十四年七月七日
芦津分教会御勤九つの鳴物衣物紋付の願
明治二十四年七月八日
山本利三郎小人利正身上願
明治二十四年七月八日
井筒梅治郎大阪へ帰る事の願
明治二十四年七月八日
寺田半兵衞家族の者身上に付伺
明治二十四年七月九日
梅谷分教会御勤日陰暦二十二日御勤に付衣物の紋、幕の紋、鳴物の事情の願
明治二十四年七月十日
山本利三郎願
明治二十四年七月十一日
増野正兵衞身上の願
明治二十四年七月十二日
兵神分教会部内黒川真明講先き丹後国真明講、警察署より信仰は止めずして信票を張る事ならぬと厳しく申すに付、兵神分教会より中井宗七派出致すの願
明治二十四年七月十二日
西浦弥平伜楢蔵十九才身上願
明治二十四年七月十三日
兵神分教会部内三木支教会開講式陰暦六月十二日十三日の両日御許しを頂き、就ては前夜鎮座祭式を清水与之助外六名出張致して取り扱いの願
明治二十四年七月十三日
増野正兵衞会計の勘定不足なし、これは払い出して書き落しでありますや、又は勘定違いでありますや願
明治二十四年七月十三日
春野ゆう七十才目かいの障りに付伺
明治二十四年七月十九日
芦津分教会地所の処他にて買い求め度くに付願
明治二十四年七月十九日
山本利三郎伜利正身上願
明治二十四年七月十九日
村田幸助身上の願
明治二十四年七月二十一日
増野正兵衞鼻先の出来ものに付伺
明治二十四年七月二十三日 夜八時
本席御身上御障りに付御願
明治二十四年七月二十四日 午後二時
昨夜のおさしづに基づきさんげの処、本部員一同の願
明治二十四年九月九日(陰暦八月七日)
本家棟上げの事情願
明治二十四年九月九日
教祖休息所風呂場雪隠の処、暫く取り直し事情の願
明治二十四年九月九日
増野正兵衞本日中山会長御住居古家取り払いに付二階建ちに立ち退きの後、屋根より飛び下り右の足を挫き痛め障りに付願
明治二十四年九月九日
前おさしづはひさおさづけの事と思いますけれども、と、山沢為造よりの願
明治二十四年九月十日
山沢ひさ本席のおさしづ
明治二十四年九月十三日
棟上げの事に付、分支教会へ知らせたものでありますか、知らさず置きたものでありますか願
明治二十四年九月十六日
高知分教会設置の願
明治二十四年九月十六日
山沢ミキノ日々大いに咳き且つ姉妹もよく咳くに付事情の願
明治二十四年九月十八日
増田つね身上願
明治二十四年九月十九日
河原町分教会部内越乃国支教会所敦賀町字大金第三十一番地移転事情の願
明治二十四年九月二十四日
高安分教会部内講社講名思い/\の相成り居るに付、将来その儘に捨て置いて然るべきや、又講名を一手にして号を以て区別致すべきや伺
明治二十四年九月二十四日
中和支教会月次祭陰暦二十四日の願
明治二十四年九月二十四日
梅谷たか十二才身上願
明治二十四年九月二十四日
清水与之助播州へ巡り帰会、一日を過ぎて二十一日朝五時頃腹下りの願
明治二十四年九月二十四日
松村ノブ目の障り願
明治二十四年九月二十六日
丹波国亀岡町に於て河原町分教会部内亀岡支教会設置に付願
明治二十四年九月二十六日
江州八日市に於て河原町分教会部内湖東支教会設置に付願
明治二十四年九月二十七日
城島分教会開筵式に付信者は御酒御供弁当渡し、講社外は御酒御供だけ渡す事に付願
明治二十四年九月二十七日
島ケ原支教会設置に付願
明治二十四年九月二十九日
平野楢蔵願
明治二十四年九月二十九日
平野郡山会長代理のため増田甚七願
明治二十四年九月三十日
大和国十津川日の元講へ派出の願
明治二十四年九月三十日
清水与之助左の腕どうか致しますと痛み又上へ上げますと痛みますに付願
明治二十四年十月二日
河原町分教会部内滋賀支教会設置の願
明治二十四年十月二日
堺集談所よりの願
明治二十四年十月二日
山本コマツ身上に熱又小人しげの身上障りに付願
明治二十四年十月三日
教祖御休息所庇(ひさし)修繕願
明治二十四年十月三日
芦津分教会地所買い求むるに付願
明治二十四年十月三日
梅谷四郎兵衞九月二十八日の夜恐ろしき夢見し処十月三日の朝に歯痛に付願
明治二十四年十月四日
城島分教会開筵式に付本席出張に付、辻忠作、桝井伊三郎、鴻田忠三郎随行の伺
明治二十四年十月四日
増野正兵衞足の傷追々おたすけを蒙りし処御礼を申し上げ、今一段の処に付、前々おさしづに一つ二つ三つ仕難くい事情と御聞かせに預かりしは如何なる処でありますや願
明治二十四年十月四日
井筒梅治郎身上願
明治二十四年十月五日
城島分教会開筵式に付本席出張に、梶本松治郎、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、辻忠作の四名随行伺
明治二十四年十月七日
中山会長城島分教会開筵式に付出張の願
明治二十四年十月八日
教祖湯殿修復の願
明治二十四年十月八日(陰暦九月六日)夜十一時
本席御身上足の左付けぎわより腹に掛け、固まり差し込みあるに付伺
明治二十四年十月八日 夜
山沢ミキノ上げ下だしに付願
明治二十四年十月十一日
大阪天地組分教会地所買い入れの願
明治二十四年十月十一日
芦津分教会部内笠岡支教会設置の願(担任教師河合豊)
明治二十四年十月十二日(陰暦九月十日)
前川菊太郎縁談に付平等寺村の小東こたまと増井とみゑとの両人申し置きし処、先に御伺いに両方共切って了うようの御言葉あり、更にこたまと定めまして宜しきや願
明治二十四年十月十二日
前条願の続き天水組分教会の願
明治二十四年十月十五日
春野事情及びいと身上伺
明治二十四年十月十五日
山本利三郎普請事情に付願
明治二十四年十月十五日
宮森与三郎普請の事情に付願
明治二十四年十月十五日
清水与之助左の腕何となく痛み、この程おさしづ運び方さして頂きますが未だ速やかなりなせん。他事御知らせ下されますや、増野正兵衞の事運び方行届きませんや願
明治二十四年十月十七日
本部の大裏の南門の東の方へ厠建てるの願
明治二十四年十月十八日
上村吉三郎分教会役員二三名連れて伊勢地方へ派出の願
明治二十四年十月十九日
高知県高知市本町六十三番地に於て高知分教会設置地方庁出願の件願