「明治二十四年」の一覧を表示しています
明治二十四年三月二十五日
増野正兵衞及び道興の障りに付願
明治二十四年三月二十八日
高安分教会教祖のおめど幣に致し度き願
明治二十四年三月二十八日
松村吉太郎口中に歯にて噛みたるの疵出来しに付伺
明治二十四年三月二十八日
飯降さと身上願
明治二十四年三月二十八日
清水与之助身上の願
明治二十四年三月二十八日
増野正兵衞身上願
明治二十四年三月二十八日
本席東京東分教会所招待に付御供として梶本松治郎、高井猶吉、増野正兵衞三名御許しの願
明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
本席御出立の願(御供、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞)
明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
本席御出京の際付添の者神道本局へ当教会一等教会昇級願取り扱い御許しの事願
明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
同じ随行中東京講社にて寄付の事件に付取扱人御許し願
明治二十四年三月三十一日
高安分教会教祖霊屋へ御遷り願
明治二十四年四月一日(陰暦二月二十三日)
教祖五年祭当日高安分教会に於ても本部通り祭式の後、祭官一同あしきはらい二十一度かんろだい御勤後にて御勤御許し願
明治二十四年四月五日
東分教会所にて本席御昼食後、御障りに付御伺い申し上げし処おさしづ
明治二十四年四月十四日
本席昨日東分教会より御帰会に相成り、道中結構に御守護を蒙りしに付、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞より御礼申上げし処おさしづ
明治二十四年四月十四日
井筒梅治郎身上に付事務所へ引き移りの願
明治二十四年四月十四日
東京東分教会より秋田県へ派出の願
明治二十四年四月十四日
東分教会役員秋田県へ出張の御願引き続きての御話
明治二十四年四月十五日(陰暦三月七日)
兵神分教会部内三木支教会の普請の処陰暦三月十日より掛かるの願
明治二十四年四月十五日
中山たまへ前身上御障りに付事情御願
明治二十四年四月十五日
梅谷四郎兵衞身上願
明治二十四年四月十五日
清水与之助身上願
明治二十四年四月十五日
増野正兵衞東京より帰途伊勢参宮の際身上障り、又正兵衞不在中同日道興煙管にて口を突き水を飲まず身上に付願
明治二十四年四月十五日
植田平一郎身上の願
明治二十四年四月十六日
中山重吉普請の事に付願
明治二十四年四月十六日
増田甚七小人きぬゑ身上願
明治二十四年四月十六日 夜
桝井伊三郎小人つゆ急に身上障りに付願
明治二十四年四月十八日
河原町分教会部内西陣支教会設置願
明治二十四年四月十八日
梅谷分教会を梅谷村に設置の願
明治二十四年四月十八日
神殿新築に付遷座御許しの事増野正兵衞より願
明治二十四年四月十八日
大阪小松駒吉の講社に於て教祖五年祭神式神楽勤願、並びに神床及び祭場増築願
明治二十四年四月十八日
日本橋支教会長中台勘蔵身上願
明治二十四年四月二十日
上田ナライト身上事情願
明治二十四年四月二十日
山沢為造声がかすりて身上障りに付事情願
明治二十四年四月二十三日
南海支教会地方庁出願の願
明治二十四年四月二十三日
網島分教会部下河内国守口にて説教所の願
明治二十四年四月二十三日
寺田半兵衞娘コウ咳出で又孫真之助眼病に付願
明治二十四年四月二十三日
増井幾太郎身上事情願
明治二十四年四月二十四日
清水与之助頭の芯痛み両三日前より右の腰痛に付願
明治二十四年四月二十五日
神道本局会議に付、部下分局及び直轄教会来集に付、当中山会長上京の願
明治二十四年四月二十五日
山名分教会部内愛知支教会設置願
明治二十四年四月二十五日
上原佐助身上障り事情に付願
明治二十四年四月二十七日
飾東支教会にて教祖五年祭を陰暦四月一日の月次祭の日に兼ねての願
明治二十四年四月二十七日
中山たまへ歯の痛みに付願
明治二十四年四月二十七日
本席戸主の名前政甚へ切り換えを明日運ぶ願
明治二十四年四月二十八日
河原町分教会部内西陣支教会地所の願
明治二十四年四月二十九日
前おさしづにより、日々事情を以て本席へ願い出る処、願い人一人書取一人の外、願い人は連れて出して貰いましたものか又それはなりませぬものか事情願
明治二十四年四月二十九日
日和佐支教会設置の願
明治二十四年四月二十九日
春野利三郎へ大阪梅谷四郎兵衞妻妹はるを嫁に貰うつもりにて、先に当分手伝のため神戸春野方へ参り、互に心を見合い中利三郎の心に入らず、よって大阪へ連れて帰りて断るに困り、又付合上にも関するに付生涯縁あるや否やに付願
明治二十四年四月三十日
天地組より大隅行の伺(北分教会)
明治二十四年五月二日
本局へ出越しの事情願(中山会長代理の願)
明治二十四年五月二日
本席身上御障り願
明治二十四年五月五日
本席身上御障りに付願
明治二十四年五月五日
大阪真明講分教会出願事情に付出張願
明治二十四年五月五日
京都府下山城国愛宕郡大原村字大原に河原町分教会説教所の願(願人深谷源次郎、中林寅吉)
明治二十四年五月六日
船場分教会内の井戸の事情願
明治二十四年五月六日
辻由松娘キミ身上願
明治二十四年五月八日 夜
本席身上の御障りに付願
明治二十四年五月九日
諸井国三郎歯の悩みに付願
明治二十四年五月九日 夜十一時半頃
刻限御話
明治二十四年五月十日
先のおさしづに基づき心得のため願
明治二十四年五月十日
中山会長御居宅新築の願
明治二十四年五月十日
中山会長御居宅新築の願
明治二十四年五月十日
永尾楢次郎目の障り願
明治二十四年五月十日
東京中台勘蔵身上の願
明治二十四年五月十日
播磨国美嚢郡高木村、神沢瀧蔵身上願
明治二十四年五月十二日
梅谷四郎兵衞身上願
明治二十四年五月十二日
平等寺小東祖母身上障りに付、松村吉太郎より願
明治二十四年五月十三日
神道管長天機伺いを兼ね露国皇太子見舞のため出発に付、京都まで中山会長出迎えの願
明治二十四年五月十三日
山沢為造子供三人共身上に付願
明治二十四年五月十五日 午後十一時二十五分
刻限
明治二十四年五月十六日 午前九時
本席の身上御障り願
明治二十四年五月十八日 午後十一時
刻限御話
明治二十四年五月二十日
山沢サヨ、ミキノ、サワ三人共身上障りに付願
明治二十四年五月二十日
高見宇市、西田おため縁談事情願
明治二十四年五月二十日
山中栄蔵身上障り事情願
明治二十四年五月二十一日
梅谷分教会設置に付上願の事情願
明治二十四年五月二十一日
河原町分教会部内西陣支教会設置に付府庁へ出願の事情願
明治二十四年五月二十一日
山名分教会部内愛知支教会設置に付上願の事情願
明治二十四年五月二十一日
梶本松治郎身上願
明治二十四年五月二十一日
増野正兵衞咽喉詰まるような障りに付伺
明治二十四年五月二十一日
寺田半兵衞娘コウ、孫真之助両人身上速やかの上事情願
明治二十四年五月二十二日
増野いと右の手痛み俄かに腫物出来しに付伺
明治二十四年五月二十三日
中山会長御居宅絵図面出来に付、建物事情申し上げ御許し願
明治二十四年五月二十五日
山本利三郎下女の願
明治二十四年五月二十五日
鴻田忠三郎耳遠くに付願
明治二十四年五月二十五日
鴻田忠三郎新潟講社に付心得の伺
明治二十四年五月二十五日(陰暦四月十八日)
桝井伊三郎身上胸先つかえ長らくの障りに付願
明治二十四年五月二十九日
梶本松治郎身上速やかならぬに付二度願
明治二十四年五月二十九日
松村吉太郎目の障りに付願
明治二十四年五月三十一日
増野正兵衞胸しんどく又小人身上も障りに付伺
明治二十四年六月一日
平野トラ腹痛の願
明治二十四年六月三日
郡山分教会井戸の願
明治二十四年六月三日
茨木基敬大分県豊前国下毛郡中津金屋本町に所在する豊前天恵四番講長(旧大阪泉田藤吉)へ参り度きに付心得のため事情願
明治二十四年六月三日
梶本松治郎妻うの身上より小人ミチ障りに付願
明治二十四年六月三日
寺田半兵衞娘たき二十六才身上願
明治二十四年六月四日
橋本清、永尾楢次郎両人三重和歌山両県へ巡教の願
明治二十四年六月四日
梅谷たか十二才足、手、面にくさ出来しに付願
明治二十四年六月五日
芦津分教会設置に付地方庁出願の儀願
明治二十四年六月六日
芦津分教会の処地所を買い求めて敷地を広める事情に付願