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明治二十四年一月七日(陰暦十一月二十七日)
五年祭に付、教祖の御霊舎を新造御許し願、又御居間へ御簾掛ける事、机の新調の儀併せて御許しの願

明治二十四年一月七日
増野正兵衞足の痛み全快せず、小人道興機嫌悪しくに付伺

明治二十四年一月八日(陰暦十一月二十八日)朝
こえのつとめの願

明治二十四年一月八日 朝
網島天水組集談所の願

明治二十四年一月八日 朝
寺田達之助身上障り願

明治二十四年一月八日
井筒梅治郎息女二人同じ障りに付願

明治二十四年一月八日
梅谷たね身上障りに付、又小人たか及びとみゑ以上三名の願

明治二十四年一月十日
神戸春野利三郎妻ウノ身上大層なるは、増野正兵衞及びいと身上を春野の内々の者案じるに付、身に掛かりしものなるや伺

明治二十四年一月十日
桝井安松目の障りに付願

明治二十四年一月十三日
飾東支教会開講式一月十九日二十日(陰暦十二月九日十日)の願

明治二十四年一月十三日
上原佐助妻つね及び長男義彦の家内中の願

明治二十四年一月十四日
山本利三郎願

明治二十四年一月十五日(陰暦十二月五日)
山沢為造乳母の事情に付願

明治二十四年一月十五日
増野正兵衞居宅、明十六日棟上げ致し度くに付御許しの願

明治二十四年一月十六日
増田甚七の願

明治二十四年一月十八日
桝井伊三郎、高井猶吉両名大阪真明組へ出張に付伺

明治二十四年一月十九日
今村斧太郎事情伺

明治二十四年一月二十一日 朝
志紀分教会地方庁不許可に付、又地方庁へ再願の願

明治二十四年一月二十一日
上田ナライト身上事情によって願

明治二十四年一月二十二日
寺田半兵衞身の障りに付願

明治二十四年一月二十二日
寺田半兵衞身の障りに付願

明治二十四年一月二十三日 午前一時
刻限御話

明治二十四年一月二十五日(陰暦十二月十五日)
兵神分教会部内三木支教会所の件願

明治二十四年一月二十五日
清水与之助身上咳の願

明治二十四年一月二十五日
飾東支教会開講式の際、紺谷久平身上に付願

明治二十四年一月二十五日
増野正兵衞居宅の南東の隅へ、井戸屋形新築並びに東へ壁をする事の御許し願

明治二十四年一月二十七日 夜九時
刻限

明治二十四年一月二十八日 夜八時半
刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)

明治二十四年一月二十八日 夜九時
刻限

明治二十四年一月二十九日 午前二時
刻限御話

明治二十四年一月二十九日 夜十一時二十分
刻限

明治二十四年一月三十日(陰暦十二月二十日)午後一時
親族一同出席の場にて御話

明治二十四年一月
紺谷久平教会内へ引き越しの願(飾東支教会)

明治二十四年二月三日
山本利三郎身上願

明治二十四年二月六日
増野正兵衞身上障りに付願

明治二十四年二月六日
松村吉太郎皮癬に付願

明治二十四年二月七日(陰暦十二月二十八日)夜二時
刻限

明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜
本席御身上の願

明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜
刻限

明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜十時半
教祖五年祭の件伺

明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜十時半
教祖五年祭御願の後にて引き続きおさしづ

明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜一時半
神道本局員招待の件に付、相談の上押して願

明治二十四年二月十日(陰暦正月二日)
兵神分教会部内三木支教会所出願の願

明治二十四年二月十日
増野正兵衞昨日鼻汁が出て何と無くしんどくて一日休み、今日は御陰を以て起きたるも未だ鼻汁が出てならぬに付如何と願

明治二十四年二月十日(陰暦正月二日)
上原佐助願

明治二十四年二月十日(陰暦正月二日)
上原佐助小人ミツの願

明治二十四年二月十日(陰暦正月二日)夜
御諭

明治二十四年二月十一日(陰暦正月三日)
前おさしづにより、本局へ教祖五年祭に一人も御出張無きよう御断りのため前川菊太郎出張の事情願

明治二十四年二月十二日
高安分教会教祖の御霊を教会所の北側押入に致すべきや、又は座敷に致すべきや伺

明治二十四年二月十二日
座敷の床の間に御霊を置き度き願

明治二十四年二月十二日(陰暦正月四日)
清水与之助東京へ出立の願

明治二十四年二月十七日
おかぐら御面を修復に掛かる願

明治二十四年二月十七日
教職昇級の事に付、五月より難しくなるに付、東京より今の内に昇す者あれば昇級さするが宜しと申し来たりしに付、これが昇級さしましても宜しう御座りますや願

明治二十四年二月十七日
高安分教会所教祖の御霊の願

明治二十四年二月十七日
増野喜市家業が暇に付医師になろうか又はこちらへ呼ぶやに付願

明治二十四年二月二十日(陰暦正月十二日)
本席身上御障りに付願

明治二十四年二月二十日(陰暦正月十二日)
教祖五年祭に付、中山会長斎主となり今夜遷座の儀伺

明治二十四年二月二十日
かんろだいを御休息所の方へ御勤に付、持って行く事の願

明治二十四年二月二十一日(陰暦正月十三日)
兵神分教会部内三木支教会出願の願

明治二十四年二月二十一日
上原佐助の伺

明治二十四年二月二十一日
上原佐助亡養父一年祭に付帰国の伺

明治二十四年二月二十二日
教祖御霊新殿へ御遷座の願

明治二十四年二月二十二日
五年祭の当日御霊をかんろだいの所へ御遷座願

明治二十四年二月二十二日
五年祭の当日御墓参り致しましたもので御座いますや伺

明治二十四年二月二十二日
五年祭に付信徒には竹の皮包み、通常参拝人には弁当を饗する願

明治二十四年二月二十二日
田原支教会長久保小三郎家族一同支教会へ引き越しの願

明治二十四年二月二十四日
平野楢蔵願

明治二十四年二月二十六日(陰暦正月十八日)
五年祭の取り扱いに付意見一致せざるに付願

明治二十四年二月二十七日(陰暦正月十九日)
大和郡山分教会池田村にて支教会の願(中和支教会)

明治二十四年二月二十七日
紀州正明講支教会の願(南海支教会)

明治二十四年三月三日(陰暦正月二十三日)
北村平四郎所有地所買い入れ度きに付伺

明治二十四年三月三日
北村平四郎地所買い取りに付、一時山本利三郎の名に約定致すに付御許しの願

明治二十四年三月三日
増野正兵衞新宅へ引き移る事の御許し願

明治二十四年三月四日
教祖御霊璽御遷座の場所は、神殿の東の方か北の上段の間かへ願い度き伺

明治二十四年三月四日
増野正兵衞居宅東側地所高安分教会より買い入れ本部へ寄付致すべきに付願

明治二十四年三月四日
梶本ミチ身上願

明治二十四年三月四日
諸井国三郎身上より願

明治二十四年三月四日(陰暦正月二十四日)
桝井伊三郎身上願

明治二十四年三月四日
辻とめぎく身上の願

明治二十四年三月五日(陰暦正月二十五日)
教祖御出張りを上段の間となし、こゝにて式をなし、かんろだいでおつとめ御許しを願

明治二十四年三月六日
増野正兵衞女中おみね二三日前より熱の障りに付伺

明治二十四年三月十日
本席御身上願

明治二十四年三月十一日
増野正兵衞昨日の二日前より夜分二度腹痛み下り又小人道興目かいの障りに付願

明治二十四年三月十一日
清水与之助朝々に咳出るに付願

明治二十四年三月十二日
高安分教会教祖五年祭四月一日、月次祭陰暦二月二十三日に勤め度き願

明治二十四年三月十三日
増野正兵衞一昨日おさしづ頂きし中に『又々の理も治めてやるがよい』と仰せ下されしは、三木支教会所(兵神部下)の願の事でありますや、春野の方の事でありますや、又夜前より正兵衞一層腹下り厳しく、今朝より便所へ行けば又行くに付願

明治二十四年三月十三日
上原佐助身上より願

明治二十四年三月十五日
中山重吉事情願

明治二十四年三月十八日
桝井伊三郎板囲いの願

明治二十四年三月十八日
村田長平家修繕の願

明治二十四年三月十八日
村田幸助身上歯の痛み及び妻すま身上の願

明治二十四年三月二十一日
増野正兵衞神戸へ行き、帰りて見れば道興頭に出物に付伺

明治二十四年三月二十二日
鴻田捨菊願

明治二十四年三月二十三日(陰暦二月十四日)
兵神分教会部内三木支教会出願中の処、県庁より返書に付願

明治二十四年三月二十三日
平野トラ身上に付願

明治二十四年三月二十四日
辻とめぎく身上願

明治二十四年三月二十五日(陰暦二月十六日)
当教会を一等教会に昇級の願

明治二十四年三月二十五日
本席東京へ御出張の願

明治二十四年三月二十五日
北村平四郎地所買い入れの願

明治二十四年三月二十五日
大阪清心組講社の願(中河部下)