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明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会破損に付事情願

明治二十六年一月六日
河原町部内小濱支教会建築中風のため倒れしに付、会長中村初治郎進退伺事情に付願

明治二十六年一月八日
辻忠作娘いそ身上願

明治二十六年一月九日
上村吉三郎咳出るに付願

明治二十六年一月十二日(陰暦十一月二十五日)
檪枝村堀内与蔵小人やすゑ身上願

明治二十六年一月十三日 夜二時四十五分
刻限御話

明治二十六年一月十五日 午後十時十分
前の刻限は本席御用場の事と考えますが、何分不行届の者にて確かと悟り兼ねますに付如何にや押して願

明治二十六年一月十六日
河原町部内湖東支教会新築の願

明治二十六年一月十七日
小松駒吉小人の願(長男親三郎出直し後の願)

明治二十六年一月十八日
松村吉太郎亡父栄治郎改葬致し度く願

明治二十六年一月十八日
西田伊三郎娘おため身上願

明治二十六年一月十九日(陰暦十二月二日)
前栽松本太平地所並びに水車納屋共買い入れの願

明治二十六年一月十九日
河原町部内小濱支教会普請の処奥行八間、間口五間の建物願

明治二十六年一月十九日
増野正兵衞身上障り伺

明治二十六年一月二十日
北分教会茨木へ頂きし教祖赤衣と講社へ頂きし赤衣と二つ一つにして御祀り申し度きに付願

明治二十六年一月二十日
誠心講社奈良布教事務取扱所の月次祭毎月陽暦一日、説教日毎月陽暦十五日、及び鳴物六つ御許し願

明治二十六年一月二十一日
本席声かすむに付願

明治二十六年一月二十一日
中山会長外四名東京より御帰り下されしに付事情の御願

明治二十六年一月二十一日
南紀支教会所新築の事務所へ親神様御遷座申し上げ度く且つ事務取り度きに付願

明治二十六年一月二十一日
井筒梅治郎母こと七十八才身上願

明治二十六年一月二十二日
岡本善六小人カン二才身上願

明治二十六年一月二十四日
西浦弥平次男三治郎及びやゑ身上願

明治二十六年一月二十六日
堀内与蔵四十四才身上歯の痛みの処願

明治二十六年一月二十九日
御用場所御普請願

明治二十六年一月二十九日
芝亭より来書の趣に付平野楢蔵名古屋へ行く願

明治二十六年一月三十一日
大分県下毛郡中津町千八百七十二番地に中津布教事務取扱所設置願

明治二十六年二月四日
本席御用場所普請の願

明治二十六年二月四日 夜
本席御用場普請願

明治二十六年二月五日 朝
本席御用場普請の処、前晩のおさしづより運び方申し上げ、普請今日より掛からして貰います願

明治二十六年二月五日 午後一時三十分頃
本席御用場普請の事に付、これまでの処詰員一同の届かぬ儀御詫び申し上げて御許しの願

明治二十六年二月六日 朝
事情願

明治二十六年二月六日
平野楢蔵江州へ出張願

明治二十六年二月八日
本席御普請間取九間として願

明治二十六年二月八日(陰暦十二月二十二日)
御用場所建築地の東に隣接せる稲田源治郎三畝余歩の田地を買い入れの願

明治二十六年二月八日
北分教会所開筵式に付陽暦三月一日より本席、六日より本部長御招待申し度く、六日親神様の遷座祭、七日開筵式、八日大祭仕り度き願

明治二十六年二月八日
泉部内向井出張所改名の願、且つ普請はこれまで神様の御許し戴かず新築致せし段御詫び致し更に御許し願

明治二十六年二月八日
山本コマツ身上願

明治二十六年二月十日(陰暦十二月二十四日)
桝井伊三郎小人イマ及び母きく身上願

明治二十六年二月十一日 午後
愛知支教会一件に付永尾楢次郎、桝井伊三郎出張願

明治二十六年二月十一日
山本藤四郎伜耕三郎身上願

明治二十六年二月十三日
飯降政甚神戸に修行の処、今般帰国の願

明治二十六年二月十三日
増田甚七腫物の願

明治二十六年二月十四日
島村菊太郎歯の痛み厳しきに付願

明治二十六年二月二十日
本部会議に上分教会、支教会、出張所、布教事務取扱所等、等級相定め右事情申し上げ願

明治二十六年二月二十日
兵神部内加東支教会上月佐市不行届に付一同治まり兼ねの願、清水与之助心得まで願

明治二十六年二月二十日
増野正兵衞腹痛の伺

明治二十六年二月二十一日
来たる陰暦二月一日二日本席六十一才御祝の事情願

明治二十六年二月二十二日
増野正兵衞身上の願

明治二十六年二月二十四日(陰暦正月八日)
分支教会長会議の上将来は綿服に改め、政府製艦費に一万円献金願

明治二十六年二月二十四日
分教会理事の事梅谷四郎兵衞心得までの願

明治二十六年二月二十五日
高知分教会開筵式執行願(陰暦二月十六日十七日十八日の三日間にて、五日より本席御招待の願)

明治二十六年二月二十六日
北分教会開講式に付前十三日より本席招待の願

明治二十六年二月二十六日
飯降政甚神戸へ取り片付けに参るの願

明治二十六年二月二十六日
清水与之助身上願

明治二十六年二月二十六日
村田幸助妻すま身上願

明治二十六年二月二十七日
梅谷四郎兵衞身上願

明治二十六年三月三日 午後
村田長平身上願

明治二十六年三月四日(陰暦正月十六日)
村田長平豊田御墓地埋葬の願

明治二十六年三月五日
山沢為造咳が出で痰が支え、目少し霞み事情の願

明治二十六年三月六日
桝井伊三郎母及び小人身上願

明治二十六年三月六日
山本利三郎妻コマツ身上願

明治二十六年三月九日
飯降さと左の乳の下痛み、寝返りも自由ならざるに付願

明治二十六年三月九日
増野正兵衞身上の願

明治二十六年三月十一日
飯降さと前の通り身上に付再び願

明治二十六年三月十一日 夜十二時
一昨夜増野正兵衞のおさしづに、夜深に尋ね出よとの事に付願

明治二十六年三月十二日
飯降さと身上速やかならぬに付伺

明治二十六年三月十二日
諸井政一出物に付願

明治二十六年三月十二日
小松駒吉教会一箇年の処このまゝという願

明治二十六年三月十五日 朝
飯降さと身上の願

明治二十六年三月十八日
飯降さと身上の処未だすきやかならぬにより、今一度中山会長の手順を運び、親神様に御願い申し度き旨、本席へ清水与之助、桝井伊三郎の両名より願(その節本席火鉢に凭れての御諭)

明治二十六年三月十八日 夜午前一時
御話(飯降さと出直しの節)

明治二十六年三月十八日 夜一時三十分
刻限

明治二十六年三月十九日 午前一時三十分
刻限

明治二十六年三月十九日 午前二時十分
事情の願

明治二十六年三月二十三日
本席声が出難くきに付伺

明治二十六年三月二十三日
高安部内大阪南区谷町筋六丁目百十番地に於て、南出張所設置の件願

明治二十六年三月二十三日
東部内八箇所月次祭改めて願

明治二十六年三月二十四日
本席付の人は男でありますや、又女でありますや願

明治二十六年三月二十六日(陰暦二月九日)
本席御普請の石搗き明十日十一日に致し度きに付御許しの願

明治二十六年三月二十八日(陰暦二月十一日)
本部内に延べ石を敷く儀願

明治二十六年三月二十八日
高知分教会開筵式に付、本部長出張下さる処陰暦十三日十四日の両日出立願

明治二十六年三月二十八日
増野正兵衞身上障り願

明治二十六年三月二十九日
桝井政治郎妻スヱ二十七才身上願

明治二十六年三月二十九日
堀内与蔵身上願

明治二十六年三月三十一日(陰暦二月十四日)
かぐらうた版行の御許し願

明治二十六年三月三十一日
永尾きぬゑ夜分咳出るに付願

明治二十六年三月三十一日
山本利三郎小人ウメノ身上願

明治二十六年四月二日
浅田徳二郎目悪しく願

明治二十六年四月三日
山本利三郎妹おまさ左の腕痛み事情の願

明治二十六年四月六日
御津支教会理事且つ役員の事情に付願

明治二十六年四月六日
飯降政甚歯の痛みに付願

明治二十六年四月七日
田原支教会長妻久保ナラヱ目の障りに付願

明治二十六年四月十日
上田ナライト身上願

明治二十六年四月十日
桝井伊三郎母及び小人身上願

明治二十六年四月十日(陰暦二月二十四日)
村田幸助目の処、妻すま咳出る処願

明治二十六年四月十三日
昨冬教長の御供致し東京へ運び事情に中人の事情に付内務省社寺課長への運びの願(前川菊太郎、平野楢蔵、清水与之助)

明治二十六年四月十四日
本席身上願

明治二十六年四月十五日
山沢為信身上願

明治二十六年四月十五日
寺田半兵衞娘小近十八才肩より上に腫物出来上唇腫れ上がりしに付願、又外方より縁談の事申し来たるに付併せて願

明治二十六年四月十六日
船場部内河内国渋川支教会所設置致し度きに付、再願の件御許し下されるや願