「明治二十八年」の一覧を表示しています
明治二十八年十二月二十二日
橋本清撫養部内山口県へ派出の願
明治二十八年十二月十九日
城島分教会函館出張所の儀本部直轄に致し度く申さるゝ処従前通りに願
明治二十八年十二月十六日
本部の大裏地所土均らし願
明治二十八年一月十四日
内務省社寺局より浪花新聞の件に付申し来たりしより、橋本清上京に付伺
明治二十八年一月十四日
諸井ろく身上願
明治二十八年一月十八日
中山重吉普請の願
明治二十八年一月十九日
宮森与三郎母身上心得まで願
明治二十八年一月二十五日
上志兵治郎地所買い入れ御許し願
明治二十八年二月八日 午前十時
社寺局より質問の点有之就ては神道本局へ証明書持参のため前川菊太郎、橋本清上京御許し願
明治二十八年二月十八日
中山重吉南の方へ普請致す処、図面の通り申し上げ願
明治二十八年二月二十一日
南海分教会長山田作治郎母はる七十一才身上願
明治二十八年二月二十五日
飯降政甚と大阪宮川小梅との縁談の儀運び人の心得の願
明治二十八年二月二十六日
教祖御霊舎新築の儀願
明治二十八年二月二十六日
北やしきの納屋東新やしきへ移す事願
明治二十八年二月二十六日
島ケ原支教会を分教会に引き直す事情の願
明治二十八年二月二十六日
泉支教会平井恒七辞職に付、小倉芳治郎後任願
明治二十八年二月二十七日
天明講社八木布教所担任岸本の処事情有之に付、担任の処本部へ御預り下され度しと申すにより願
明治二十八年二月二十九日
神道本局幹事を教長に成りてくれとの事でありますが、御許し下されますや願
明治二十八年三月二日
教祖墓標台石仕替える事御許し願
明治二十八年三月三日(陰暦二月七日)
浅田いそ身上願
明治二十八年三月四日
島ケ原支教会を分教会に引き直しの件に付、初めての事ゆえ念のため心得まで願
明治二十八年三月六日
梅谷分教会治まらぬ事に付、増野正兵衞、宮森与三郎出張致させ治め度きに付両人出張御許し願
明治二十八年三月六日
喜多治郎吉宇佐支教会へ派出御許し願
明治二十八年三月六日
檪枝の堀内与蔵小人三人の事に付願
明治二十八年三月九日
高安分教会負債金嵩みしに付、所有の地所悉皆売り払いの上、返済致し度きに付御許し下さるや願
明治二十八年三月十日
教祖御霊殿本部北寄りで六間に八間の建物建築致し度きにより願
明治二十八年三月十一日
清水与之助身上の願
明治二十八年三月十一日
村田慶蔵普請事情に付願
明治二十八年三月十二日
梅谷分教会部内に属し度くと願い出でし黒崎太治郎は、先達て不都合の処ありて一先ず退社命じたる者なるが、この度改心して入社申し込みしに付如何計りて宜しきや心得までの願
明治二十八年三月十二日
永尾楢次郎小人身上願
明治二十八年三月十三日
内務省より事情申し来たり前川菊太郎、橋本清上京に付御許しの願
明治二十八年三月十三日
上志兵治郎より買い入れし宅地へ石垣並びに塀拵え度き願
明治二十八年三月十三日
増野正兵衞小人目の障りに付願
明治二十八年三月十四日
平野楢蔵目の障りに付願
明治二十八年三月十八日 午後八時
刻限(本席島ケ原より御帰りの晩平野楢蔵目の障り願の前)
明治二十八年三月二十四日
陰暦四月五六日宇佐支教会開講式に付本部長出張の儀御許し可否願
明治二十八年三月二十五日
下村賢三郎病気に付、山沢為造尋ねに行く事御許し願
明治二十八年三月二十六日
郡山分教会長平野楢蔵熊本へ派出願
明治二十八年三月二十九日
天理云々に付中山会長心得までに願
明治二十八年四月四日
辻豊三郎ととめぎくと縁談の儀願
明治二十八年四月五日
教長本局管長御迎えのため出発御許し願
明治二十八年四月十日
高安分教会教祖を御祀り致し居りし座敷取り払い教祖の御殿を新築致し度く、就ては右座敷は教祖の御入り下されし座敷に付取り払いても可然や伺
明治二十八年四月十一日
前川菊太郎明日か明後日か上京するに付願
明治二十八年四月十一日
足達保治郎四畝二歩宅地買い入れ御許しの願(本席宅東の地所)
明治二十八年四月十一日
増野正兵衞小人二人の目の障りに付願
明治二十八年四月十七日
本席目の御障り御伺
明治二十八年四月十九日
内務省より鳴物の内三味線入れるのを喧しく言うによって、三味線に代え琵琶のようなものに御許しの願
明治二十八年四月二十七日
教長身上御障りに付、ほうそ守り遠方の人折角参拝せしも渡し兼ねるに付、本席に書いて頂きます事は如何で御座りますや伺
明治二十八年四月二十七日
増野正兵衞目かい、小人おとも目にやに時には血が出る、首筋に大き出物の願
明治二十八年四月二十九日
事情願の前におさしづあり
明治二十八年五月五日 午前九時半
平野楢蔵身上願
明治二十八年五月五日
山田伊八郎及び小人三名の障り願
明治二十八年五月十日
教長南海分教会にて身上御障りに付事情申し上げ願
明治二十八年五月十日
山田作治郎妻とめ前日身上障り有之し処、教長身上お障りに付、分教会に於て後々の心得のためおさしづ願
明治二十八年五月十日 午後
教長昨夜南海より帰部、御身上手足自由叶わぬ事情御願
明治二十八年五月十二日
飯降政甚東の方へ治まりて後を継ぐ事情運ぶ件願
明治二十八年五月十三日 午後三時
教長御身上願
明治二十八年五月十三日 夜九時半
教長御身上大変迫りしに付御願
明治二十八年五月十八日 午後六時
教長御身上今一段速やかならぬに付御願
明治二十八年五月十九日
陸軍恤兵部より、軍資献納に付明細書差し出す儀通知有之に付、如何致して宜しきや願
明治二十八年五月十九日 午後七時半
分支教会長一同帰部の上、教長御身上に付、本部員共に分支教会運び方将来心得事情願
明治二十八年五月二十二日 朝
前川菊太郎副会長選定の願
明治二十八年五月二十三日
山沢ミキノ身上願
明治二十八年五月二十六日(陰暦五月三日)
裏筋道路開き壁をする事願
明治二十八年五月二十六日(陰暦五月三日)
本席地所東足達保治郎所有之地所買い入れに付、川筋へ石垣する事御許しの願
明治二十八年五月二十八日(陰暦五月五日)朝
教長御身上の願
明治二十八年五月二十八日
永尾せつ身上よりたつゑ身上に罹かり両人速やかなれば又々よしゑ身上に罹かりしに付願
明治二十八年五月二十八日
上村吉三郎家内目の障りに付願
明治二十八年五月三十一日 夜十時頃
教長脳の芯痛むに付身上願
明治二十八年六月四日
桝井伊三郎母きく七十一才身上願
明治二十八年六月七日
河原町分教会治め向きに付願(平野楢蔵、桝井伊三郎両人より)
明治二十八年六月八日(陰暦五月十六日)
豊田村より三島村道路二間道路に取り広めの願
明治二十八年六月八日
高安分教会敷地地所転地の儀心得まで願
明治二十八年六月九日(陰暦五月十七日)
本席御身上の願
明治二十八年六月九日
本席西宅の釜屋立て替えの願
明治二十八年六月九日
普請小屋及び木材小屋東隣り地へ持ち行く願
明治二十八年六月九日
豊田の道路中石橋架する願
明治二十八年六月十九日 午前
本席御身上願
明治二十八年六月十九日
教長より部下の道のため熱心者へ金一千五百円御下与に相成りしに付ては、如何致して宜しきや願(教長御全快に付御喜びとして御手許より一千五百円を道のため尽して居る者へお下げ下さるに付、本部よりも一千五百円足して下げるもので御座りますや、又教長の分だけで宜しう御座いますや)
明治二十八年六月二十一日
上村吉三郎身上願
明治二十八年六月二十三日
兵神分教会教会に何か違いあるので御座いましようか、又疑うや御座りませんが若い者が一人出ましたのであります、右事情伺
明治二十八年六月二十四日(陰暦閏五月二日)
飯降政甚と宮川小梅縁談の儀双方内々運び致し本席教長本部員皆心運び方致し結構と申されしにより御許し下さるや願
明治二十八年六月二十七日(陰暦閏五月五日)
増野正兵衞身上及びいと居所の願
明治二十八年七月一日(陰暦閏五月九日)夜三時三十分
教長御身上腹痛上げ下し厳しきに付御伺
明治二十八年七月一日
村田幸助四十四才身上目の障りに付願
明治二十八年七月二日
増野正兵衞の事情に付願(又家内いとの身上も願)
明治二十八年七月四日
本部より豊田村へ行く道路三島村の分を取り広めの入費の件に付、今一時掛かるものや、暫時村の成り行きを見て居る方宜しきや心得の願
明治二十八年七月五日
永尾楢次郎小人せつ出物身上願
明治二十八年七月七日
城島分教会長上村吉三郎身上願
明治二十八年七月十日
山名部内愛知支教会事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両人治め方願
明治二十八年七月十一日
平野楢蔵身上願
明治二十八年七月十二日
教長御全快に付、本復御祝の願
明治二十八年七月十二日
過日増野正兵衞身上おさしづより道のため尽し果てたるもの見分け引き上げの事情は人間心で取り決め兼ねます故神様より御知らせ下されますものや伺
明治二十八年七月十三日
山名部内愛知支教会事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両人出張の願
明治二十八年七月十四日
芦津部内西宮支教会高橋、橋本両人の事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両名出張願
明治二十八年七月十四日
檪本梶本家族おやしきへ引き越し事情願
明治二十八年七月十五日
中河分教会副会長田中松二郎本宅出火に付事情願
明治二十八年七月十五日
郡山部内龍間布教所却下に付、担任変更谷野音次郎を後任として再願の伺
明治二十八年七月十九日
今度教会請願の件御許し頂戴の分は地方庁へ出願の願は休務中に相成るに付、たゞ今一度に御許し下されますや伺