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明治二十五年三月十四日
兵神部内播磨国美嚢郡淡河町美嚢支教会出願の願

明治二十五年三月十四日
増野正兵衞足の痛み願

明治二十五年三月十五日
平野楢蔵身上願

明治二十五年三月十六日
心勇講社五条町に於て支教会設置の願(南和支教会)

明治二十五年三月十六日
梅谷四郎兵衞より備前へ出張の事情願

明治二十五年三月十九日
中河分教会普請の願

明治二十五年三月十九日
伊賀島ケ原支教会所普請の願

明治二十五年三月十九日
大和中和支教会佐味田集談所の願

明治二十五年三月二十一日
山名分教会部内白羽支教会設置に付県庁に出願の御願

明治二十五年三月二十二日
堺支教会遷座並びに開講式陽暦四月一日二日の願

明治二十五年三月二十二日
誠心講事務所普請並びに井戸の願

明治二十五年三月二十三日
今村熊太郎身上目の障りに付願

明治二十五年三月二十五日
泉支教会所設置に付政府へ出願事情願

明治二十五年三月二十五日
堺支教会開講式に付式教授のため前川菊太郎出張の願、外に泉支教会出願の願

明治二十五年三月二十五日
城法支教会神殿建て出しの願

明治二十五年三月二十五日
郡山分教会部内日和支教会奈良地方百三十六番百三十七番地にて御許しの願

明治二十五年三月二十六日
安堵積善講社に支教会所設置の願(平安支教会)

明治二十五年三月二十七日
芦津分教会開筵式に付真明講一同提灯献納なす事に付願

明治二十五年三月二十七日
堺へ出張の処願

明治二十五年三月二十七日
島ケ原支教会所陰暦三月三日より普請に取り掛かる願

明治二十五年三月二十八日
高知分教会部内に於て集談所設置の願

明治二十五年三月二十九日(陰暦三月二日)
清水与之助身上左の腰付根折々痛み且つ頭痛み願

明治二十五年三月三十一日
堺支教会所開筵式出張の願

明治二十五年四月六日
越後講元一同にて本席へ願

明治二十五年四月六日
増野正兵衞右の手伸ばしても自然に握るように筋引き、又朝々何んとなく骨痛むに付伺

明治二十五年四月七日
寺田国太郎身上の願

明治二十五年四月八日
高安部内古市支教会月次祭十五日、霊祭五日、説教日陽暦二十五日御許し願

明治二十五年四月八日
高安部内大鳥支教会月次祭陰暦毎月十七日、霊祭陰暦八日、説教日陽暦二十一日願

明治二十五年四月八日
高安部内紀国伊都郡橋本村に於て集談所の儀願

明治二十五年四月八日
永尾よしゑ腹痛み、きぬゑ咳出るに付併せて願

明治二十五年四月八日
平野楢蔵伊勢へ出張願

明治二十五年四月十日
高安分教会西側門長屋取り払い西方屋敷南側へ移す事御許し願

明治二十五年四月十日
河原町部内五十七号に於て集談所の願

明治二十五年四月十一日
橋本清、山沢為造江州布教の儀願

明治二十五年四月十一日
前川菊太郎、高井猶吉、岡山県下へ布教の儀願

明治二十五年四月十一日
山沢ミキノ身上はしかのようなもの出来しに付願

明治二十五年四月十二日
喜多治郎吉、山沢為造に代り橋本清と共に江州へ布教の儀御許し願

明治二十五年四月十二日
村田長平身上事情願

明治二十五年四月十二日
和歌山天水組講社栗本湯川両人所業宜しからず取調べのため出張願

明治二十五年四月十四日
御津支教会所御祭用鳴物及び紋の処願

明治二十五年四月十四日
御津小松駒吉下関へ下るの願

明治二十五年四月十四日
寺田半兵衞身上事情の願

明治二十五年四月十七日
植田イノ四十才身上願

明治二十五年四月十九日
天元講支教会地所移転の願(奈良支教会)

明治二十五年四月十九日(陰暦三月二十三日)
村田長平気の間違いに付願

明治二十五年四月十九日
増田つね身上願

明治二十五年四月二十一日
芦津分教会鎮座祭陽暦五月五日、開筵式六日、大祭七日に執行の御許し願

明治二十五年四月二十三日
平等寺小東こたま、前川菊太郎へ縁談に付、平等寺小東よりして宜しきや、又は大阪小東政太郎よりして宜しきや、又は教興寺松村よりして宜しきや伺

明治二十五年四月二十三日
平等寺小東定次郎大阪へ出越しに付だん/\申し止めども聞き入れず、本人の望みに随って家屋田畑売払いして宜しきや、又はあくまでも平等寺に居って宜しきや伺

明治二十五年四月二十四日
南海支教会分教会に引き直し致し、それに付御祭の式を五月八日に致し度く願

明治二十五年四月二十四日
兵神部内播磨国加東郡社村の内社に於て支教会設置の願(社支教会)

明治二十五年四月二十四日
兵神部内小野町に於て支教会設置の件願(加東支教会)

明治二十五年四月二十四日
船場部内明心組第四号魚崎村に於て支教会設置の件願(莵原支教会)

明治二十五年四月二十五日
東部内浅草支教会設置の件願

明治二十五年四月二十五日
永尾きぬゑ腹痛烈しく頻りに泣き、乳上げるより願

明治二十五年四月二十八日 夜十二時十五分
本席歯の御障りより伺

明治二十五年四月三十日
本席五月一日より芦津分教会開筵式御出張の願

明治二十五年四月三十日
舞鶴支教会開筵式二十三日、二十四日両日の願(郡山部内山陰支教会)

明治二十五年四月三十日
富田伝次郎妻たき身上障り願

明治二十五年五月一日
中山会長芦津分教会開筵式に出張の願

明治二十五年五月一日
兵神分教会加西郡講社村方より信仰を差し止めに付願

明治二十五年五月一日
増野正兵衞腰の痛みに付願

明治二十五年五月一日
山本利三郎小人利正身の処願

明治二十五年五月一日
村田長平身上より事情願

明治二十五年五月十四日 夜七時四十分
本席歯のお障りに付御伺

明治二十五年五月十四日
北分教会地搗き石搗き新築着手の願

明治二十五年五月十四日
城島部内錦生支教会長森岡伝治出直しに付担任教師同人妻になす願

明治二十五年五月十四日
増田つね身上願

明治二十五年五月十五日
山名部内浜松支教会設置願

明治二十五年五月十五日
兵神部内神崎支教会出願の件願

明治二十五年五月十五日
清水与之助播州地へ出張の願

明治二十五年五月十五日
北分教会二十七日棟上げの願、尚陰暦四月二十六日に木幡町四百六番屋敷に祀りある御社を当教会地の北手に在る古家へ当分仮に御鎮座頂き度く、且つ分教会事務所は同北に在る古家にて致し度き願

明治二十五年五月十五日
村田長平身上願

明治二十五年五月十六日
井筒梅治郎身上願

明治二十五年五月十六日
村田長平身上より内々事情願

明治二十五年五月十七日
高知部内加茂集談所を高知県伊野村大字加茂へ願

明治二十五年五月十八日
兵神部内社支教会出願の件願

明治二十五年五月十八日
増野正兵衞同月一日おさしづに、「見遁しの事情もある、見遁せん事情もある」とありますが、これは如何なる理でありますや願

明治二十五年五月十八日
村田長平の事に付又小人慶蔵身上に付、桝井政治郎家内共に村田内へ引き寄せの願

明治二十五年五月十八日
増田亀次郎身上願

明治二十五年五月二十日(陰暦四月二十四日)
村田慶蔵身上より事情願

明治二十五年五月二十日
村田長平心荒立ち事情願

明治二十五年五月二十二日
増野正兵衞右目下ふち障り願

明治二十五年五月二十二日(陰暦四月二十六日)
村田慶蔵胸切なきに付願(だん/\内々事情洗い切ってその上の願)

明治二十五年五月二十二日
林芳松身上障りより返やす事でありますか願

明治二十五年五月二十三日
撫養分教会地所買い求めの願

明治二十五年五月二十三日
中河分教会本月二十七日上棟の御許しの願

明治二十五年五月二十四日
高安部内大鳥支教会所を南上神村大字釜室中辻弥太郎所有地の第六六四番地にて取り定めの願

明治二十五年五月二十四日
河原町部内丹波支教会設置願(山国支教会)

明治二十五年五月二十四日
山本利三郎願

明治二十五年五月二十四日
村田慶蔵身上より檪枝村の堀内与蔵家内引き取りの事情願

明治二十五年五月二十四日
村田慶蔵身上に付、七条村桝井政治郎家内引き寄せの願

明治二十五年五月二十六日
東部内浅草支教会所を浅草区山川町二番地に於て八間に五間の建物の処御許し伺

明治二十五年五月二十七日
兵神部内社支教会陰暦五月二十六日地搗き普請願

明治二十五年五月二十八日
播州地方村方より信徒へ改式を止め、村方の付き合いと言うて信仰を止めるに付願

明治二十五年五月二十八日
清水与之助身上の願

明治二十五年五月二十九日
本席歯の痛み、頭痛に付願

明治二十五年五月三十日
日々本席へおさづけ三名の処、事情によってその外に三名一席運ばして貰いましたものでありますや事情心得まで願

明治二十五年五月三十日
豊前国中津に於て泉田講社支教会所設置の件に付、この事許可不許可の願事情心得までに伺

明治二十五年五月三十日(陰暦五月五日)
桝井伊三郎三日前より左肩抑えられる様になり、左足ねまるに付願