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明治二十九年一月八日
城法支教会市川会長辞任するに付、山本藤四郎へ御許し下され度く願
明治二十九年一月八日
井筒梅治郎身上願
明治二十九年一月十五日
撫養部内高松出張所教堂五間に二間半板間四間に三間座敷一間半二間炊事場二間に四間井戸一箇所、便所二箇所、事務所一間に一間半、外に居宅一箇所門一箇所願
明治二十九年一月十六日
増野正兵衞身上声出ぬ障りに付願
明治二十九年一月十九日
紺谷久平目かいの障り願
明治二十九年一月二十五日
台所の裏門壁及び教長宅の湯殿を取り除き、客殿の廻り東北西に壁を立てること、西の方に門を立てること、元の教会の裏門壁とも取り除け、又木小屋大工小屋柴小屋を取り除けること願
明治二十九年一月三十一日
城法支教会敷地寄付の願
明治二十九年二月三日
本席歯の痛みに付願
明治二十九年二月四日
来年教祖十年祭に付御居間の処存命の通り火鉢なり其他つくらい致し度きに付願
明治二十九年二月五日
桝井伊三郎地所買い求めの願
明治二十九年二月五日
寺田半兵衞身上願(五六日前より頭痛せし故願、その時二月二日におぢばへ出でし後娘たき咳出でしに付悩みを心に兼ねての願、この時の出席、教長、梅谷四郎兵衞、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、取次高井猶吉書取板倉槌三郎)
明治二十九年二月七日
桝井伊三郎小人孝四郎三才身上願
明治二十九年二月十二日
堀内与蔵身上に続き娘ヨシ身上事情願
明治二十九年二月十八日
教祖十年祭に付仮屋二十間に二十五間の願
明治二十九年二月十八日
清水与之助身上二日間ばかりしんどうてたまらんに付願
明治二十九年二月十八日
梅谷たか身上願
明治二十九年二月二十三日
増野正兵衞身上の願
明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
教祖十年祭の事に付、日取りは二十五六の積りの処、五年祭は二十六七八の三日間に有之に付如何にさして頂きまして宜しきや伺
明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)夕方
今日昼のおさしづは二十七日に十年祭というさしづの処、五年祭の日記を調べたれば、二十六日は五年祭、二十七日は大祭執行の事に記してありましたから、如何にして勤めまして宜しきや伺
明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
山沢為信身上願
明治二十九年三月六日
網島分教会三月二日夜鎮座祭、同三日開講式、同四日大祭兼十年祭執行の儀願
明治二十九年三月十三日
各部内分支教会に於て教祖十年祭の節広き場所へ御遷りの願
明治二十九年三月十三日
高安分教会教祖十年祭陰暦二月二十三日今回教会移転する地所に於て仮小屋を設け勤める事情願
明治二十九年三月十五日
上田たき身上よりナラトメ身上足の痛み願
明治二十九年三月十六日
清水はる大熱の願
明治二十九年三月十六日
島村菊太郎妻銀代三十六才身上願
明治二十九年三月十九日
東分教会当地事務所用地に豊田村字楢田持主西田二反二畝歩買い入れ度く願
明治二十九年三月十九日
南海部内大阪の講社大阪市西区阿波座戸屋町槌橋東入北側坪数一間二坪建物共買い入れ願
明治二十九年三月十九日
松村吉太郎長男義孝身上障りに付願
明治二十九年三月二十一日 夜八時五十分
刻限
明治二十九年三月二十三日 午前二時
刻限
明治二十九年三月二十四日 夜十二時半
刻限(教祖十年祭の後にて別席四五千人程もあり本席五六百人もある時、七日間本席御休みになりし時の事情)
明治二十九年三月二十六日 夜
本部員一同より御詫び願
明治二十九年三月二十七日 夜八時
刻限
明治二十九年三月二十七日 夜
刻限の次に平野楢蔵胸迫りし時の願
明治二十九年三月二十七日
中河分教会教祖御殿落成に付、遷座式陰暦二月十九日夜に行い度く二十日は十年祭、十八日に本席招待、十九日教長招待願
明治二十九年三月三十一日 夜九時
刻限
明治二十九年四月四日 夜一時
刻限御話
明治二十九年四月九日
増野いと身上居所の願
明治二十九年四月十日
城島分教会所地所名前人を教長に切り換えの願
明治二十九年四月十七日 午後六時
平野楢蔵身上願
明治二十九年四月二十一日
内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺
明治二十九年四月二十二日
陰暦本月二十七日招魂祭執行願
明治二十九年四月二十二日
河原町分教会治め方に付、桝井伊三郎、平野楢蔵出張願
明治二十九年四月二十二日
山田作治郎次女ゆう身上願
明治二十九年四月二十三日
村田かじ身上願
明治二十九年四月二十五日
高知部内岩浜支教会地方事情に付願(和田、青木両名出張の付心得のため願)
明治二十九年四月二十九日
河原町分教会治め方の都合により深谷徳次郎を副会長に願
明治二十九年四月二十九日
富松たみ身上願
明治二十九年五月一日
梅谷たね身上伺
明治二十九年五月三日
永尾楢次郎小人せつ、たつゑ、きぬゑ身上願
明治二十九年五月十一日
井筒梅治郎娘たね十八才、松村五三郎二十三才縁談の願
明治二十九年五月十三日
高安分教会役員安藤鶴松の遺族を教会へ引き移し度く願
明治二十九年五月十四日
永尾せつ左の耳より喉へかけて出物願
明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願
明治二十九年五月二十一日
永尾せつ身上三度目の願
明治二十九年五月二十五日
大裏地所二筋東西水抜の願
明治二十九年五月二十七日
田中松二郎小人身上願
明治二十九年五月三十一日
城作治郎屋敷地所買い入れの願
明治二十九年六月二日
地所七筆合わせて反別五反二畝十九歩矢追楢蔵、八尾伊三郎、沢田忠蔵、中西徳松所持の処、治道支教会へ寄付の願
明治二十九年六月二日
高見宇市妻タメ二十五才身上願
明治二十九年六月四日
増野正兵衞歯痛の障り願
明治二十九年六月五日
永尾楢次郎、喜多治郎吉宮崎県及び九州地方へ巡廻の願
明治二十九年六月六日
城島分教会の地所所有名を、教長の名義に致し度き儀再願
明治二十九年六月十二日
郡山部内山家出張所を分教会直轄に致し度く願
明治二十九年六月十五日
郡山部内山家出張所付属替え願
明治二十九年六月十六日
教長箱根へ御出の儀御願
明治二十九年六月十七日
本部長随行に橋本清、平野楢蔵両名の願(併せて平野楢蔵東分教会事情治め方兼ねて行く儀願)
明治二十九年六月十七日
郡山部内北陸支教会所都合により元の雲浜出張所跡へ移転し万事事務取扱い致し度く願
明治二十九年六月二十一日
山沢ひさ歯痛み肩にこりつめ願
明治二十九年六月二十八日
中山もと十八才身上願
明治二十九年七月十日
東分教会上原佐助教会長そのまゝにして、副会長始め総役員一段改選して治め方伺
明治二十九年七月二十三日
増野いと身上血が次第に枯れ身体追々弱るに付伺
明治二十九年八月四日(陰暦六月二十五日)
大裏西手方北より西南へ廻り壁建てる願
明治二十九年八月十八日
上原佐助身上願
明治二十九年八月二十二日
上原佐助身上申し上げ前さしづの理に付願
明治二十九年九月四日
芦津部内福知山支教会水害に付本部より二名見舞いに行く願
明治二十九年九月五日
撫養部内海部出張所増築二間に四間その外いろ/\願
明治二十九年九月九日
清水与之助心得の願
明治二十九年九月九日
諸井松太郎身上願
明治二十九年九月十日
網島分教会長娘寺田コウ身上願
明治二十九年九月十四日
大裏戌亥の隅へ南北十四間東西十四間半四間梁前に八尺の庇付建物御許し願
明治二十九年九月十六日
撫養分教会長土佐卯之助身上伺
明治二十九年九月二十一日
本部より信徒へ渡すべき神鏡の祈念は如何に願いまして宜しきや伺
明治二十九年十月四日 夜
井筒梅治郎身上障りに付願
明治二十九年十月五日(陰暦八月二十九日)
梅谷四郎兵衞身上事情より定めたる事情願
明治二十九年十月十日 夜十二時三十分
刻限
明治二十九年十月十六日
島村菊太郎家内銀代身上願
明治二十九年十月二十五日
城音次郎の藪地九十一坪本部にて買い入れの願
明治二十九年十月二十五日
山田伊八郎及び長男長女身上願
明治二十九年十一月六日
松村五三郎、井筒たね婚約整いたる処同月十八日結婚式に付願
明治二十九年十一月七日
これまで御守りの名称を、信符として出さして貰う御許しの願
明治二十九年十一月九日
神道本局の敷地教長の名称に成り居る処、本局へ寄付致し度きに付願
明治二十九年十一月十四日
梅谷分教会事情に付、会長笹西治良兵衞辞職に付願
明治二十九年十一月二十六日
宮森与三郎母身上願
明治二十九年十二月六日
山名部内甲府支教会長事情に付、当分山名分教会長兼任致し度く願
明治二十九年十二月七日
飯田岩治郎身上願
明治二十九年十二月七日 夜
安堵飯田岩治郎身上御願の後にて
明治二十九年十二月九日
深谷源次郎本部庶務見習に繰り上げる願