「明治二十三年」の一覧を表示しています
明治二十三年七月十八日
増野いと居所の障り願
明治二十三年七月十八日
桝井伊三郎身上障り及小人つゆ出物障り願
明治二十三年七月二十二日(陰暦六月六日)
村田長平より村田幸助普請の件願
明治二十三年七月二十二日(陰暦六月六日)
桝井伊三郎普請一条押して願
明治二十三年七月二十四日
高安分教会新築の願
明治二十三年七月二十四日
桝井伊三郎普請為すに付地所一件の伺
明治二十三年七月二十四日
寺田城之助の妻ナラトメ身上願
明治二十三年七月二十六日
桝井伊三郎普請一条あら/\木の見積もり又同じ事情押して願
明治二十三年八月一日
清水与之助先月三十日午前一時頃より三時頃までの間に下り四度、上げ一度厳しく障りに付願
明治二十三年八月一日
兵神部下にて三木、山田、黒川、喜多村四講より三木に於て、一つ支教会を願いに参り居ります、兵神分教会にて人間心治まり兼ねようの願
明治二十三年八月一日
山本しげの身上障り願
明治二十三年八月四日
増野正兵衞朝をびやつとめを済ませてから、身が何となくしんどくなりし故、宅で休み、暫くして起きたるが腹が下り、その後速やかおたすけを頂きしも、案じの事も無きやと、いろ/\思案すれども、分かり兼ねるに付伺
明治二十三年八月五日
兵神分教会部内飾東支教会出願の伺
明治二十三年八月五日(陰暦六月二十日)
裏地西側へ材木入れ仮小屋御許しの願
明治二十三年八月七日
鴻田忠三郎願
明治二十三年八月七日
寺田城之助身上願
明治二十三年八月九日
鴻田忠三郎願
明治二十三年八月九日
井筒梅治郎息女七才と十二才の両人身上願
明治二十三年八月十一日 午後三時
神職教師分離非分離の件に付、神道管長より呼び出しにより伺
明治二十三年八月十一日 午後十時
中山会長上京に付随伴の伺
明治二十三年八月十二日
増野正兵衞足裏痛みに付願
明治二十三年八月十二日
寺田城之助身上願
明治二十三年八月十二日(陰暦六月二十七日)午後二時五十分
本席胸先つかえ厳しきに付願
明治二十三年八月十二日
本席前おさしづ後にて厳しく御障りに付願
明治二十三年八月十二日 午後八時
本席御身上願
明治二十三年八月十二日 午後十時
前おさしづ夜と昼と裏表の理に付伺
明治二十三年八月十三日 午前七時
本席身上願
明治二十三年八月十三日
中山会長御帰宅まで本席の身上御救け下されとの願
明治二十三年八月十七日 午前一時四十分
刻限御話
明治二十三年八月十七日
高安分教会建築明十八日上棟致し度願
明治二十三年八月十七日
喜多治郎吉胸痛み、四五日障るに付願
明治二十三年八月十九日 午前二時三十分
刻限
明治二十三年八月十九日 午前四時十分
刻限
明治二十三年八月二十日 午前一時三十分
刻限
明治二十三年八月二十日
桝井伊三郎の願
明治二十三年八月二十一日(陰暦七月六日)
鴻田忠三郎病気に付願
明治二十三年八月二十二日
増野正兵衞歯障り小人道興機嫌悪しくに付伺
明治二十三年八月二十二日
村田長平母おいゑ七十二才身上願
明治二十三年八月二十二日
村田慶蔵身上悪しきに付願
明治二十三年八月二十三日
船場分教会所表の井戸濁り、内井戸清水に成りしに付心得のため伺
明治二十三年八月二十三日
桝井伊三郎の向いの田地の土を掘り取りて、桝井の居宅の地上げる事の御許し願
明治二十三年八月二十四日
山沢為造身上障りに付伺
明治二十三年八月二十四日
山沢ミキノ乳不自由に付、乳母の乳飲まして宜しきや伺
明治二十三年八月二十六日
増野正兵衞の実母山口県長門国阿武郡萩御許町五十五番地にありて、急病なる由電信を以て申越せしが、存命なるや、身上は叶わんものであるや願
明治二十三年八月二十六日
上田いそ身上障りに付伺
明治二十三年八月二十六日(陰暦七月十一日)
山田伊八郎より家内の事情伺
明治二十三年八月二十九日(陰暦七月十四日)朝
中山会長東京より御帰会の上御願
明治二十三年八月三十日 午後十一時
刻限
明治二十三年九月一日(陰暦七月十七日)
中山会長胸のつかえ、咳出で身上御障りに付御願
明治二十三年九月一日
梅谷四郎兵衞身上願
明治二十三年九月一日
村田すま願
明治二十三年九月二日 夜十一時
刻限
明治二十三年九月三日(陰暦七月十九日)
教祖の墓所へ玉垣を造ってしるしを建てる事の願
明治二十三年九月三日(陰暦七月十九日)
中山家先祖の霊を、教祖の御座所のわきの方へ御祀りすることの願
明治二十三年九月三日
おさしづを願うには、今日までは、その事情を本席へ先に申上げて居りましたが、これからは本席へ事情申上げずして運びて宜しきや伺
明治二十三年九月三日
山中忠七古き道に肥を置き尽したる人に付取扱いの儀願
明治二十三年九月三日
橋本清の事、上原佐助伺
明治二十三年九月三日(陰暦七月十九日)
橋本清、中山会長の仰によって東京に滞在、この度神官教職と分離の事に付、本局管長の御談示によって残りあり、呼び戻しの書面を出しまして宜しきや伺
明治二十三年九月三日 朝
上原佐助願
明治二十三年九月三日
桝井伊三郎小人つゆ願
明治二十三年九月四日
桝井伊三郎及小人つゆ身上願
明治二十三年九月四日
桝井伊三郎内々事情に付願(七条村へ帰る内々の話に付押しての願)
明治二十三年九月五日(陰暦七月二十一日)
兵神分教会内三木及黒川、山田、喜多村真明講一手の上三木に支教会設置願(三木支教会)
明治二十三年九月五日
飯降政甚身上の願
明治二十三年九月五日
飯降政甚兵神分教会へ出越しの願
明治二十三年九月五日
永尾たつゑ頭出物障りに付願
明治二十三年九月五日
増野正兵衞国元へ帰り居るに付、会計無人になれども、兵神月次祭に付帰会の事清水与之助より願
明治二十三年九月六日
清水与之助頭の芯が痛み足だるくの願
明治二十三年九月七日 午後十時三十分
刻限
明治二十三年九月八日 朝
村田長平身上願
明治二十三年九月九日 朝
飯降さと身上願
明治二十三年九月十一日 夜十一時
をびやづとめは、今一時の処ひっそにして十二下りの立勤もせず、御面も並べたまゝ静かにする事の願
明治二十三年九月十六日(陰暦八月三日)午前十時頃
刻限
明治二十三年九月十六日
上田いそおさづけさしづ
明治二十三年九月十六日
村田長平おさづけさしづ
明治二十三年九月十七日(陰暦八月四日)
内々のおさづけ順席は順を運んで出よ、とのおさしづに付、順とは九度の別席或は試験の事でありますかの願
明治二十三年九月十八日
増野正兵衞国元より戻りておさしづ
明治二十三年九月十九日 朝
梶本松治郎より伺
明治二十三年九月二十日
鴻田忠三郎願
明治二十三年九月二十一日
小松駒吉養母出直に付伺
明治二十三年九月二十二日
増野正兵衞前身上障り御守護を蒙り申さず、尚だん/\重り熱強く食事味無きに付願
明治二十三年九月二十五日
増野正兵衞身上の障りに付願
明治二十三年九月二十六日
山沢サヨ身上の障り願
明治二十三年九月二十六日
飯降さと身上願
明治二十三年九月二十六日
桝井伊三郎身上伺
明治二十三年九月二十七日
前日の書取より、飯降さとおさづけ頂戴さしづ
明治二十三年九月二十七日
山田伊八郎小人身上障りに付願
明治二十三年九月二十七日
村田かじ身上障りに付願
明治二十三年九月二十九日
上田ナライト二十八才身上願
明治二十三年九月二十九日
増野正兵衞咳出で身上しんどくに付伺
明治二十三年九月二十九日
村田幸助身上願
明治二十三年九月三十日 午後九時
刻限御話
明治二十三年九月三十日 午後九時
二十九日午後八時、寺田城之助迎い取り、同人の心を運んでの御話
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
明治二十三年十月三日
河原町分教会部内甲賀支教会の伺
明治二十三年十月五日(陰暦八月二十二日)午後九時
本席身上御障り願
明治二十三年十月五日 夜十一時
刻限御話
明治二十三年十月六日(陰暦八月二十三日)
上段の間西の所祓殿の御許しの願
明治二十三年十月六日 午後四時半
寺田城之助十日祭に付帰阪の際、子息国太郎身上願