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明治二十三年五月六日
平野トラ身上願

明治二十三年五月六日
正木国蔵身上願(初代名東支教会長)

明治二十三年五月七日
河原町部下宇治田原支教会事情の願(西野清兵衞より)

明治二十三年五月八日
喜多よし足の障りに付願

明治二十三年五月八日(陰暦三月二十日)夜
本席より胸に差し込むに付願

明治二十三年五月九日
山名分教会部内益津支教会説教並月次祭の日選定願

明治二十三年五月十日
増野正兵衞小人道興五六日前より目かい目の上眉毛の処へくさ一面に出来しに付願

明治二十三年五月十二日(陰暦三月二十四日)
表門の処あら/\出来上りましたから明日棟上げ御許しの願

明治二十三年五月十二日(陰暦三月二十四日)
表門の西側に消防道具を入れる所新築願

明治二十三年五月十二日(陰暦三月二十四日)
本席御身上腰痛にて御障りに付伺

明治二十三年五月十三日
高安分教会出願のおさしづ

明治二十三年五月十四日(陰暦三月二十六日)午前一時
刻限御話

明治二十三年五月十五日
真明講事務所開きに付願(橋本清出張を伺う)

明治二十三年五月十五日
平野トラ百日から腹鳴るに付願

明治二十三年五月十五日(陰暦三月二十七日)
土佐卯之助身上の伺

明治二十三年五月十六日
出直後、証拠守取扱いの事情願

明治二十三年五月十七日
増野いと居所又正兵衞居所障りに付願

明治二十三年五月十八日
桝井伊三郎身上障り居所願

明治二十三年五月十九日
裏門新築御許しの願

明治二十三年五月二十日
柏原分教会設置出願の願(中河分教会)

明治二十三年五月二十一日
桝井伊三郎普請の事情願

明治二十三年五月二十三日
心勇講城島分教会所に教職寄り合い、八日の日に仮に祭をする事の願

明治二十三年五月二十三日
郡山分教会所に於て、婦人も教会設置に尽力を為し、女は御勤出来ぬかと力落すもあり、よって入社式に教会にて女勤御許しの願

明治二十三年五月二十四日(陰暦四月六日)
富田伝次郎妻たき身上願

明治二十三年五月二十六日(陰暦四月八日)朝
昨二十五日夜、野本七兵衞、松田常蔵外二軒類焼に付、電信にて申し来るより、清水与之助心得のため伺

明治二十三年五月二十六日 午前十時
大阪船場分教会の処心得のため願

明治二十三年五月二十六日
飯降政甚兵神分教会へ寄留籍の願

明治二十三年五月二十六日
春野ゆう前おさしづを頂き、清水与之助より御話伝え下されしも、未だ速かおたすけ蒙り申さず、よってたんのうの事情、いかなる理も悟りますに付、おたすけの願

明治二十三年五月三十日
梶本松治郎頭痛に付伺

明治二十三年六月二日 午後六時
梶本松治郎頭痛にて治らんに付二度目の願

明治二十三年六月二日(陰暦四月十五日)夜十時
本席御歯の痛みに付願

明治二十三年六月三日 朝
兵神分教会部下加古支教会出願の願

明治二十三年六月三日 朝
兵神部下加古支教会地方庁へ出願に付、本部より一名出張願えますや、又は分教会より運んで宜しきや願

明治二十三年六月三日 朝
増田甚七左の目障り願

明治二十三年六月三日 朝
増田つね身上の願

明治二十三年六月三日(陰暦四月十六日)午後三時
本席御身上腹突張り頭痛に付願

明治二十三年六月三日
山本利三郎娘あい身上の願

明治二十三年六月四日
寺田ナラトメ身上願

明治二十三年六月七日
河原町部下宇治田原支教会京都府へ出願事情願

明治二十三年六月九日
増野正兵衞小人道興目かいの障りに付願

明治二十三年六月九日
笠村山本藤四郎妻おこま三十九才身上事情願

明治二十三年六月九日
正明講長山田作治郎身上願

明治二十三年六月十二日
今回高安分教会所御許可を戴きしに就ては、新築まで座敷床の間にて仮に神殿を設けるの願

明治二十三年六月十二日(陰暦四月二十五日)
山田こいそ四十才の願

明治二十三年六月十二日 午後六時
梶本松治郎身上伺

明治二十三年六月十四日 朝
兵神分教会部内真明講社播磨国飾磨津講元紺谷久平支教会所設立事情に付、分教会長清水与之助飾磨出張願

明治二十三年六月十四日
兵神分教会部下加古支教会普請の願

明治二十三年六月十四日(陰暦四月二十七日)
教会所内へ井戸西側に御許し願

明治二十三年六月十四日(陰暦四月二十七日)
藪の脇に井戸御許しの願

明治二十三年六月十四日(陰暦四月二十七日)
山沢為造の北側へ、中山たまへ御化粧場新築の願

明治二十三年六月十四日
井筒梅治郎小人ふみ身上はしかに付願

明治二十三年六月十五日(陰暦四月二十八日)午後八時三十分
本席五六日前より腹差し込み、本日左の歯厳しく痛むに付願

明治二十三年六月十七日 午前三時半
一昨十五日おさしづに基き一同協議の上伺

明治二十三年六月十八日
高安分教会月次祭陰暦毎月二十三日御許し願

明治二十三年六月十八日
増野道興夜泣き、又昼も機嫌悪しくに付伺

明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)
本席身上速やか成らぬに付願

明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)午後四時
本席腹突張るに付願

明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)夜
志紀分教会再願に付、板倉槌三郎松田音次郎両名出張の上願(中河分教会)

明治二十三年六月二十日
押して、河内国志紀分教会の件に付、清水与之助、梅谷四郎兵衞本部代理として出張復命、及再願に付橋本清の願

明治二十三年六月二十日(陰暦五月四日)午後十二時二十分
本席身上御障りより清水与之助、梅谷四郎兵衞、桝井伊三郎、平野楢蔵、高井猶吉の五名願

明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)午後九時十五分
本席身上御障りに付願

明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)
山中忠七扇の伺の事に付伺

明治二十三年六月二十三日(陰暦五月七日)午前十時半
本席左の横腹突張るに付、中山会長御出席の上御願

明治二十三年六月二十四日
諸井国三郎身上より登参の上伺

明治二十三年六月二十五日(陰暦五月九日)午前二時
刻限

明治二十三年六月二十五日(陰暦五月九日)午前九時
前おさしづに付、りきもつ取り払いの事願

明治二十三年六月二十七日 午前八時
梅谷四郎兵衞下阪に付願

明治二十三年六月二十七日
辻忠作、栄蔵、かめ、この間より咳出で病いに付願

明治二十三年六月二十八日
前川菊太郎伺

明治二十三年六月二十九日(陰暦五月十三日)夜九時
普請成就し且本席御障りに付願

明治二十三年六月二十九日(陰暦五月十三日)
国会議員候補者に付、郡山矢野勝より選挙依頼に付願

明治二十三年六月三十日(陰暦五月十四日)
神道本局幹事古川教正御死去に付、会葬出張致して宜しきや、又は上原佐助に代理さして宜しきや伺

明治二十三年六月三十日(陰暦五月十四日)午後十一時
本席御身上願

明治二十三年六月
兵神分教会役員野本、松田の家類焼の御詫、且清水与之助左の肩つかえ居所の願

明治二十三年七月一日 午後一時
前さしづによりて救助の儀協議取決めに付願

明治二十三年七月二日
増野道興二三日前より目が塞ぎ居るに付願

明治二十三年七月二日
寺田半兵衞身上障り伺

明治二十三年七月三日(陰暦五月十七日)
普請一条の事に付伺(一旦御許しのありし事も、又これはという時は、神様へ一々御伺致しますものか、又その時は本席に談じて宜しう御座りますか伺)

明治二十三年七月三日(陰暦五月十七日)
普請の件、内の井戸屋形御許しを頂かず、裏の井戸の屋形の御許し頂かず大工に言付けし御詫びを申上げて御許しの願

明治二十三年七月三日(陰暦五月十七日)
裏門西東白壁に塗る御許しの願

明治二十三年七月三日
井筒梅治郎紀州巡教視察願

明治二十三年七月四日
郡山分教会部内北陸支教会新築の願

明治二十三年七月六日 朝
二階建と教会所の間、雨除け御許しの願

明治二十三年七月六日 朝
姫路支教会地所の願(飾東支教会)

明治二十三年七月六日
清水与之助身上腹痛二度下るに付願

明治二十三年七月七日 午前三時
本席腹痛に付願

明治二十三年七月七日 午前十時半
前おさしづに基き願

明治二十三年七月九日
飯降さと身上願

明治二十三年七月九日
寺田城之助身上障りに付、おぢば先生方より御願い下され、桝井伊三郎龍田まで出張致し、寺田半兵衞も龍田まで参り島喜にて出合い、それより桝井と談示しその時の事情に付御諭

明治二十三年七月九日
長門国阿武郡萩御許町五十五番屋敷居住の増野正兵衞母ふさ病気に付、帰国致します事御許し下されますや、又は書面にて御話申越す方宜しきや伺

明治二十三年七月十日
寺田城之助父半兵衞身の障り願

明治二十三年七月十三日(陰暦五月二十七日)午後八時
本席の歯の痛みに付願

明治二十三年七月十四日(陰暦五月二十八日)
北地の井戸より台所へ水道を引く願

明治二十三年七月十四日(陰暦五月二十八日)
台所の悪水溜取り除け且この近所不潔に付漆喰をする事の願

明治二十三年七月十五日 朝
河原町分教会甲賀支教会出願の願

明治二十三年七月十五日(陰暦五月二十九日)
おさづけ順序後へ御話

明治二十三年七月十六日
前おさしづに基き、おさづけ順序に付一人々々心の理を諭しておさづけ御渡し相成るに付、後にて書取を添えて渡し、又仮席はどういうものでありますや、詰合員より願

明治二十三年七月十七日(陰暦六月一日)
おさづけ順序の後にて心得のため御話

明治二十三年七月十七日(陰暦六月一日)
辻忠作肥一条の事に付願

明治二十三年七月十八日
梅谷四郎兵衞願