「明治二十三年」の一覧を表示しています

明治二十三年一月二日(陰暦十二月十二日)
村田長平身上事情願

明治二十三年一月三日(陰暦十二月十三日)
巡査毎日々々尋ね来るに付、別席本席順序運んで居ては、何分ひっそ/\になりませんから、暫く休みまして如何伺

明治二十三年一月四日(陰暦十二月十四日)
清水与之助身上願

明治二十三年一月四日
桝井伊三郎、村田長平同住の願

明治二十三年一月六日
増野正兵衞及妻、母身上障り伺

明治二十三年一月九日
村田長平四十二才目の左の方より肩へこり付けるに付願

明治二十三年一月九日
桝井伊三郎身上障り願

明治二十三年一月十一日
二三日前より奈良警察より二名及布留巡査等村内を廻り、おやしき内へも度々入り込むに付、村方の事を探偵するや、又おやしきの事を探偵致しますや伺

明治二十三年一月十三日
遠州山名分教会部下支教会を榛原郡白羽村に小栗市重、支教会長として設けること御許しの願(白羽支教会)

明治二十三年一月十三日
遠州山名分教会部下支教会所を駿河国藤枝へ、小栗周蔵支教会長として設けることの願(益津支教会)

明治二十三年一月十三日
大和国添上郡矢田村明元組へ支教会所設置御許し願、担当教師久保小三郎(田原支教会)

明治二十三年一月十三日
増野正兵衞腹痛下り咳出で障りに付伺

明治二十三年一月十三日
日々取扱いの本席は元三名に還ると仰せあり、又ひっそ/\と御聞かし下されど、新しき別席も致し居りてはひっそ/\となりませんから、新しき別席だけ暫くじっとして休み、これまでの分だけ別席運びましては如何でありますか、又他にひっそにする事もありますなら御聞かせの事願

明治二十三年一月十三日 夜
巡査毎夜本席宅へ来る事の件に付伺

明治二十三年一月十三日 夜
初席及本席の件に付伺

明治二十三年一月二十三日
飯降政甚兵神分教会へ修行のため暫く趣くの願、清水与之助より

明治二十三年一月二十四日
増野正兵衞身上の居所昨日より、大便の後に血が下り、本日又左の奥歯少し痛むに付伺

明治二十三年一月二十五日
飯降政甚の供致し、本日帰会致しますと清水与之助より願

明治二十三年一月二十五日(陰暦閏十二月五日)
清水はる身上願

明治二十三年一月二十五日
清水与之助身上願

明治二十三年一月二十五日(陰暦閏十二月五日)
上野きく願(梅谷四郎兵衞妻の母)

明治二十三年一月二十五日(陰暦閏十二月五日)
梅谷たね身上願

明治二十三年一月二十六日
河原町分教会部内甲賀支教会の儀に付伺

明治二十三年一月二十六日
飯降さと身上願

明治二十三年一月二十六日
増野いと左の腹骨の痛みに付伺

明治二十三年正月
大阪天恵五番講元小松駒吉廃業に付伺

明治二十三年二月三日
清水与之助建家建添いの儀伺

明治二十三年二月三日
飯降政甚の伺

明治二十三年二月三日
本席東京行伺

明治二十三年二月六日 午前五時
本席身上俄に腹突張り御障りに付願

明治二十三年二月十五日 夜
梅谷四郎兵衞三昧田前川方へ行く途中、車より落ちて手腰きつく打ち痛みに付願

明治二十三年二月十六日 朝
本田分教会地所買受けの事、井筒、堀田、中川、寺田、今川、山本、桑原の七名より願(芦津分教会)

明治二十三年二月十六日
増野正兵衞食物を上げ、右の足のきびす痛み、道興夜々泣き、乳を戻すに付伺

明治二十三年二月二十八日
隣家地所買入急にする方宜しきや、暫時見合わす方宜しきや、増野正兵衞伺

明治二十三年二月二十八日
増野いと産後下りもの及道興夜々泣くに付伺

明治二十三年三月四日
増野正兵衞、先日小人障り、又家内障りによって、日々取扱いの事を御聞かせ蒙り、いかなる取扱いにてありますや、色々考えますれど分かり難きに付、押して伺

明治二十三年三月四日(陰暦正月十四日)
永原村岡本善六伜栄太郎十八才身上に付願

明治二十三年三月六日(陰暦正月十六日)午前九時
上田ナライト心いずむに付、暫く本人の言う通りにして置いて宜しきや、又十分話を聞かしたもので御座りますや伺

明治二十三年三月十五日(陰暦正月二十五日)
阿波国板野郡斎田村支教会開筵式の願(撫養支教会)

明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
おさづけ順序に付、本席は二月三月世界どうも通り難くいと御聞かしあり、そこでひっそ/\にしてと御話ありましたが、本席順席如何致しまして宜しきや伺

明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
御守はこれまで教祖の御衣物を御守に用い来たりしに、皆出して了いになり、この後は如何に致して宜しきや伺

明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
桝井伊三郎身上の障りに付、刻限の事情御諭あり

明治二十三年三月十七日
心勇講へ分教会所御許しの願(城島分教会)

明治二十三年三月十七日
河内国志紀郡柏原の里に、柏原分教会設置の儀御許し願、会長山本利三郎(中河分教会)

明治二十三年三月十七日
増野正兵衞毎朝腹痛み下るに付願

明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
飯降政甚大祭に帰りしに付、又々神戸へ出越すの願

明治二十三年三月十七日
清水与之助これより、飯降政甚の供致し神戸へ出越す願

明治二十三年三月十七日
清水与之助身上の願

明治二十三年三月十七日
井筒梅治郎一人で行き、立売堀三丁目家屋敷買受の件伺

明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
高井猶吉小人目かい障り伺によって同じ事情聞かせ下され

明治二十三年三月十九日
平野トラの願

明治二十三年三月二十日(陰暦正月三十日)
表の門西へ二十間立壁出来、山沢の宅を西へ引き、西の納屋を裏の地所に引き、教会所の東方建増二間十間、裏の地所三方へ板柵の御許し願

明治二十三年三月二十日
中山たまへを灘の岸田へ預け修行に出す事を、中山会長より御願

明治二十三年三月二十一日
増野正兵衞小人道興夜々泣き、又乳を戻すに付願

明治二十三年三月二十二日(陰暦二月二日)夜
本席おさづけ順序、夏は朝か暮に御許し下されるや願

明治二十三年三月二十四日(陰暦二月四日)
山沢サヨ身の障り願

明治二十三年三月二十七日(陰暦二月七日)午後九時三十分
本席御身上より刻限

明治二十三年三月(陰暦二月)
高知集談所長島村菊太郎身上願

明治二十三年四月一日
高井猶吉、飯原久吉、熊本地方へ派出致し度くこの儀いかゞと願

明治二十三年四月一日
橋本清撫養支教会へ出張に付願

明治二十三年四月一日
山沢サヨ身上願

明治二十三年四月六日
高安分教会設置大阪府へ出願の儀願

明治二十三年四月六日 午後十時十七分
伺の後にて刻限御話

明治二十三年四月七日
中山会長出張願(会長阿波国撫養支教会開講式に付御出張の儀代理を以てすとのおさしづの処、事情申上げ御許し願)

明治二十三年四月七日
増野正兵衞身上障り又いと下りものに付伺

明治二十三年四月八日(陰暦二月十九日)
村田長平伜慶蔵身上願

明治二十三年四月八日(陰暦二月十九日)
辻忠作娘とめぎく願

明治二十三年四月十一日 午後七時
本席身上御障り願(中山会長阿波に行きて御座るに本席身上御障り)

明治二十三年四月十三日(陰暦二月二十四日)午前六時五十分
中山会長、梶本松治郎、平野楢蔵、山本利三郎、阿波撫養支教会開筵式より御帰会になるや、直ぐと本席御身上に付御願

明治二十三年四月十四日 午後五時三十分
本部内成るだけ倹約する事等に付伺

明治二十三年四月十五日
増野松輔国許より帰国致させるよう申し来り、今は修行中に付、その由申送りし処、又申来りしに付、一度帰しました方宜しきや、又その由今一度申送る方宜しきや願

明治二十三年四月十六日 午前九時
永尾たつゑ目のふちたゞれ鼻つまり、快よく眠らぬに付願

明治二十三年四月十六日
増野正兵衞小人道興目かい乳を上げるに付伺

明治二十三年四月十六日(陰暦二月二十七日)
清水与之助三の宮町宅建家売り捌く願

明治二十三年四月十七日(陰暦二月二十八日)
清水与之助左の喉痛み、足膝より下だるくに付願

明治二十三年四月十八日
本席御身上御障りに付願

明治二十三年四月十九日(陰暦三月一日)午後九時三十分
本席御身上腹張り胸つかえる事に付伺

明治二十三年四月二十日(陰暦三月二日)午前四時
刻限御話

明治二十三年四月二十日
中山たまへ御障り伺

明治二十三年四月二十日
阿波国撫養支教会所定日の願(説教日陽暦三日、十三日、二十三日、月次祭陰暦二十二日、入社祭陰暦十二日)

明治二十三年四月二十一日
おぢばの西の柵、足達源四郎の境に壁を拵える事願

明治二十三年四月二十一日
赤心社新株を募り、引続き加入するか又は止めにする方宜しきや願

明治二十三年四月二十一日
増野正兵衞左の眉毛の上一寸出物の障りに付伺

明治二十三年四月二十一日(陰暦三月三日)
梅谷四郎兵衞身上の願

明治二十三年四月二十一日
村田すま身の障り願

明治二十三年四月二十一日
桝井伊三郎及妻おさめ身上障り願

明治二十三年四月二十三日(陰暦三月五日)九時二十分
本席御身上の御障り伺

明治二十三年四月二十三日 午後十時頃
梶本うの身上障りに付願

明治二十三年四月二十四日
煮炊場所三間、風呂八尺、物入一間、漬物入二間としてこれで御許し下されますや願

明治二十三年四月二十四日
大阪西区立売堀南通三丁目の地面に六間に十五間の真明講社事務所設置御許しの願

明治二十三年四月二十四日
増野正兵衞三日前より腹張り時々痛むに付願

明治二十三年四月二十四日
西田おため身上障りの願

明治二十三年四月二十五日
中山たまへ河内教興寺松村宅へ遊びに御越し御許し願

明治二十三年四月二十七日 午前九時二十分
飯降さと頻りに咳出て息どしく夜も眠り兼ねるに付願

明治二十三年五月一日
古井戸に蓋をなし、つとめ場所の上へ息抜き拵える事願

明治二十三年五月一日
春野ゆう神戸へ帰宅し、五日目より俄に寒気立ち発熱し、食事進まず、足の運び悪しく、一時は気が狂いうわ言言い、一時難しいように思いしが、追々御利益蒙りたれど、今に自由出来ず、御救け下さるよう願

明治二十三年五月二日 午後
堺朝日組、神世組合併の上支教会所御許しの願(堺支教会)

明治二十三年五月二日
河原町分教会所部内宇治田原に支教会所御許し願(宇治田原支教会)

明治二十三年五月二日 午後
兵神分教会部内蛸草二子真明組講合併の上、支教会所御許しの願(加古支教会)

明治二十三年五月二日 午後
兵神分教会部内飾磨真明講に支教会所御許しの願(飾東支教会)