「明治二十七年」の一覧を表示しています
明治二十七年一月一日 夜十一時
教長歯痛に付御願
明治二十七年一月十一日 夜十一時二十分
刻限御話
明治二十七年一月十三日
山沢為造子供身上より為造の身上も共に申し上げ願
明治二十七年一月十五日
河原町部内甲賀支教会水口にて御許しの処、この度都合により宇田山田太右衞門宅七十番地に移転の願
明治二十七年一月十七日
辻とめぎく身上願
明治二十七年一月十八日
兵神部内北海道高島郡小樽稲穂町二十一番地岩田正吉事務所にて、古川吉平この度同所へ分教会より布教のため一人差し向けくれと同人より頼みに付願
明治二十七年一月二十日
御墓所の古池の南西大きくなして地普請致し度く願
明治二十七年一月二十日
正月には前年十二月二十日より正月十五日まで御休みの事願
明治二十七年一月二十日
盃の処雲かわらけに改めたものでありますや、これまで通りで宜しきや願
明治二十七年一月二十日
梅鉢の御紋置いてとの願
明治二十七年一月二十一日
旧正月節会に東京神道本局管長を招待する願
明治二十七年一月二十一日
篠森乗人の事に付願
明治二十七年一月二十一日
島ケ原支教会長万田万吉小人靖次郎身上願
明治二十七年一月二十二日 午後一時二十分
本席御身上願
明治二十七年一月二十二日 午後十二時三十分
刻限御話
明治二十七年一月二十五日
本席身上御障りに付伺いのおさしづより一同談議の上左の点伺
明治二十七年一月二十五日
江州水口に於ておふでさきを販売せんとする事情に付伺
明治二十七年一月二十五日
北分教会へ桝井伊三郎、喜多治郎吉派出の願
明治二十七年一月二十五日
船場部内堀江支教会の事情願
明治二十七年一月二十六日
本部西側道の事に付足達源四郎地所云々の事願
明治二十七年二月一日 夜
山沢為造小人為信身上願
明治二十七年二月二日
船場部内堀江支教会台所新築の願
明治二十七年二月二日
山田作治郎母身上願
明治二十七年二月三日
教祖御墓地山の続きの地所買い入れし事願
明治二十七年二月三日
衆議員事情に付願
明治二十七年二月三日
大阪府より船場部内堀江支教会、高安部内河南出張所付箋して却下に付その説明のため出張願
明治二十七年二月十日(陰暦正月五日)
本席御身上の願
明治二十七年二月十二日(陰暦正月七日)夜
本席御移り祝十日十一日両日の願
明治二十七年二月十四日(陰暦正月九日)夜
刻限
明治二十七年二月十四日 夜
増野正兵衞身上歯の痛みに付願
明治二十七年二月十七日
東分教会部下日本橋支教会を分教会に引き直し度きに付願
明治二十七年二月二十一日
清水与之助身上の願
明治二十七年二月二十二日
山沢為造檪本より下女置く願
明治二十七年二月二十三日
上田いそ及び民蔵身上願
明治二十七年二月二十四日
御勤鳴物の事に付、静岡県より本局へ紹会に相成り、それに付楽譜の事願
明治二十七年二月二十七日
北部内名張支教会棟上げ風のため倒れ心得まで願
明治二十七年二月二十八日
本席身上願
明治二十七年三月四日 夜
刻限(この日四時頃より本席俄かに歯痛)
明治二十七年三月四日 十二時半頃
刻限御話
明治二十七年三月五日 夜十二時
教祖御霊屋のうしろへ三間に二間一棟建物事情願
明治二十七年三月五日 夜十二時
平群郡生駒村川久保重□長男鐵蔵二十四才願
明治二十七年三月五日 夜十二時
増野道興二三日前よりだん/\目が塞がり願
明治二十七年三月六日(陰暦正月二十九日)
飯降まさゑ縁談の願
明治二十七年三月七日
山田作治郎母身上願
明治二十七年三月十日
永尾よしゑ身上に付願(眼の障り)
明治二十七年三月十一日
橋本清、平野楢蔵両名関東地方の講社巡廻致し度く願
明治二十七年三月十六日
高知部内高岡支教会高岡郡にて銅山事情に付願
明治二十七年三月十七日 夜
本席御身上御障りに付願
明治二十七年三月十八日 午後四時半
昨夜おさしづ下されしは信徒治め方の事で御座りますか、まさゑ縁談一条の方で御座りますか伺
明治二十七年三月十九日 夜
飯降まさゑ縁談川久保鐵蔵の方は話纏まらぬ故見合わせと成りましたと願
明治二十七年三月二十一日
高井猶吉、永尾楢次郎両人山城江州伊賀伊勢地方へ派出の願
明治二十七年三月二十一日
諸井政一身上願
明治二十七年三月二十九日
本席御身上の願
明治二十七年三月二十九日
本席陰暦三月節句前後高知分教会へ御出張の願
明治二十七年四月三日 午後二時
刻限御話(但しまさゑ縁談の話)
明治二十七年四月三日 午後五時五十分
先のさしづより御尋ね願(但し松村五三郎の件)
明治二十七年四月七日
郡山部内山陰支教会所の北側へ二間に四間の建物又北東手へ一間半に三間の建物の願
明治二十七年四月八日
淡路国天一講社高安分教会に付属の願
明治二十七年四月三十日 午後三時
南海分教会丸焼けの旨電報にて言い来たるに付願
明治二十七年四月三十日
南海分教会所失火に付本部より山中彦七、桝井伊三郎両名出張の願
明治二十七年四月三十日
大江支教会長妻中西ゆき身上の願
明治二十七年五月二日
南海分教会の火災見舞として本部及び教長本席詰合より有志の儀御願(教長百円、本席百円、本部員一同より百五十円、分教会より八百六十四円)
明治二十七年五月二日
高安分教会所敷地並びに向側の敷地同教会所へ寄付する儀願
明治二十七年五月五日
増野正兵衞右歯ぐき腫れしに付伺
明治二十七年五月七日
本席御身上願
明治二十七年五月七日
元稲田の地所地均らしの願
明治二十七年五月八日
山沢為造身上なり、又この間より小人ミキノ、サワ、為信身上事情より願
明治二十七年五月十日
本部長御身上に付願
明治二十七年五月十一日
八木布教事務取扱所八木町大字北八木百二十八番地に続く五点の地所有志者より献納これあるに付、これを布教所の地所に御許し願
明治二十七年五月十二日
本部長御津支教会より船場分教会に引き取り、引き続き大江支教会へ御越し下さる処御許しの願
明治二十七年五月十二日
大江支教会教祖赤衣の事治める願
明治二十七年五月十二日
南海分教会火災に付改めて普請の願(教会所は九間に十間の建物)
明治二十七年五月十二日
松村吉太郎地所質入れの件伺
明治二十七年五月十三日
寺田半兵衞身上並びに娘コウの身上願
明治二十七年五月十八日
河原町部内近愛支教会所設置願
明治二十七年五月十八日
城島分教会長上村吉三郎身上の願
明治二十七年五月十八日
上田いそ身上願
明治二十七年五月二十三日
本席一点に付四点の理由の事願
明治二十七年五月二十三日
日和佐支教会長西川実三郎眼の障りに付願
明治二十七年五月二十四日
葬祭道具倉及び山沢為造家引く願
明治二十七年五月二十四日
元稲田の屋敷に東塀する願
明治二十七年五月二十四日
雪隠の東の方へ洋灯の居所建てる願
明治二十七年五月二十四日
増井りん小人身上の願
明治二十七年五月二十七日
橋本清より東分教会長の事申し上げ願
明治二十七年五月二十七日
桝井伊三郎妻おさめ身上願
明治二十七年五月二十八日
前川喜三郎身上願
明治二十七年五月二十八日
河原町部内近愛支教会所設置仕り度きに付再び願
明治二十七年五月三十一日
前川喜三郎葬祭埋葬地豊田山の願
明治二十七年五月三十一日
諸井政一身上に付国三郎より願
明治二十七年六月二日
村田すま身上願
明治二十七年六月三日
神道本局管長より来翰の次第に付伺
明治二十七年六月四日
山沢為造身上願
明治二十七年六月七日(陰暦五月四日)
平野トラ身上願
明治二十七年六月八日
東分教会敷地を本部長御名前に切り替える願
明治二十七年六月八日
東分教会員加藤新兵衞副長にする事情願
明治二十七年六月八日
平野トラ目の障り願
明治二十七年六月九日
山本利三郎家出の事情に付願
明治二十七年六月十一日
教長上京出発に付願、前川菊太郎、松村吉太郎、清水与之助、平野楢蔵、四名御供明日出立願
明治二十七年六月十一日
河原町部内山国支教会地所買い求め願