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明治三十四年一月十二日
撫養分教会長土佐敬誠出直しに付、後任選定まで事務代理を土佐卯之助勤め度く願

明治三十四年一月十七日
高知分教会へ桝井伊三郎、高井猶吉出張する願

明治三十四年一月十八日
芦津分教会井筒五三郎本部凖員に御許し願

明治三十四年一月二十七日
河原町分教会所地所願(京都市上京区丸太町川端東入東丸太町坪数合計三千八百四十坪二合建物合計三百七十六坪八合七勺の処、分教会地所に御許し願い度く付ては地均らしの処願)

明治三十四年一月二十七日
村田かじ昨晩より腹痛に付願

明治三十四年一月二十九日
中和分教会長伜三男植田一史二十五才と大原伊平次女いと十九才縁談御許し願

明治三十四年二月四日
本席先日より御身上御障りに付、御願の処申し上げば、休みになりてからと仰せ下され御伺致さざれ共、一昨晩より御障りに付如何の処でありますや本日願

明治三十四年二月八日
清水与之助養女みつ二十四才山沢豊吉弟由松三十才縁談事情願

明治三十四年二月八日
水口分教会長藤橋光治良長男長右衞門十四才身上願

明治三十四年二月十日
過日のおさしづより相談の上、本席より常に理に適う適わんの理の御話を聞かせ下さる節は、早速それこれ相運ぶ事に決定致しましたが、これまでの処御詫び申し上げ願

明治三十四年二月十日
こたまの事に付、戸籍を引く事本部員会議してその旨おさしづの上、如何致しましたら宜しう御座りますや願

明治三十四年二月二十八日
土佐卯之助四十七才身上願

明治三十四年三月一日
堺支教会長平野辰次郎へ田原支教会役員竹西長松弟千次郎貰い受け度く願

明治三十四年三月七日
永尾よしゑ身上のぼせに付願

明治三十四年三月九日
梅谷分教会部内西沢万吉より本部基本財産として山林献納願

明治三十四年三月十一日
宮森与三郎右の眼の障りに付願

明治三十四年三月十五日
本部東の蔵続きの北へ三間に二間半の蔵新築願

明治三十四年三月二十二日
松村吉太郎東京本局に対する件申し上げて後上京する事願

明治三十四年三月二十二日
土佐まさ四十三才身上願

明治三十四年三月二十三日
本部教長夫人東京へ御越しのこと願

明治三十四年三月二十五日
村田かじより林由松普請東にある二階の建物西の村田幸助の南へ建築致し、尚それに建て添えする事願

明治三十四年三月二十六日
畑林為七妻やす四十九才身上御願

明治三十四年三月二十七日
本部東の方の蔵の北続きに神実を納める蔵建てる願(三間に二間半のもの)

明治三十四年三月二十七日
増井幾太郎小人仙次耳の処願

明治三十四年三月二十九日
本部十二下り再版する願

明治三十四年三月二十九日
兵神部内神山支教会本年二月七日に地方庁より名称取り消しに相成りしに付、治め方心得のため願

明治三十四年三月二十九日(陰暦二月十日)
増野正兵衞、道興、おとも風邪熱強く、又春野喜市風熱、たか血を吐き障りに付願

明治三十四年三月二十九日(陰暦二月十日)午前十時
諸井国三郎去る陰暦正月二十五日の夜俄かに身上嘔吐下痢交々厳しく、二十七日朝おさしづを頂き如何様とも改めさして頂きますと御願い申しおたすけを頂きしも、其後、妻その小児なつの共に身上障りに付願

明治三十四年三月三十日
河原町分教会長深谷徳次郎外小人それ/\身上に付願

明治三十四年四月二日
敷島分教会長山田伊八郎長男倉之助十九才に山中彦七次女光栄十九才を貰い受ける縁談事情願

明治三十四年四月三日(陰暦二月十五日)
増野正兵衞及び春野たか身上の願

明治三十四年四月十一日
宮森与三郎妻ヒサ眼の障りに付願

明治三十四年四月十二日
高井猶吉、山沢為造東分教会へ本月陰暦二十七日より出張する願

明治三十四年四月十五日
堺支教会担任出直しに付、当分高井猶吉整理員御許し願

明治三十四年四月十五日
桜井分教会長富松猶次郎長男直七二十三才富松清作妹なおゑ十八才縁談願

明治三十四年四月十六日
一派独立の件に付、内務省へ出願の件に付願

明治三十四年四月十六日
教校新築に付四間に十八間教場二棟御許しの儀願

明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
一昨日詰所にて梅谷四郎兵衞、諸井国三郎の両名教校の普請の事に付大工奥村忠七と話し合いの際、本席火鉢の所へ御越しになり、神様御入り込みの上、『違う/\しっかりせい/\、明日尋ね出るがよい』との御言葉に付願

明治三十四年四月二十二日
岡本善六夫婦及び栄太郎身上願

明治三十四年四月二十五日
本部木小屋七間に八間伏せ込み柱、屋根は杉皮葺に願

明治三十四年四月二十九日
泉田おとら身上の願

明治三十四年五月十五日
本席御身上に付願

明治三十四年五月十七日
本席明日より水口分教会へ御出張下さる願

明治三十四年五月二十五日
昨日より本席御身上大変のぼせると仰せあり、御障り中本日朝増井りん教祖赤衣仕立て下されし事に付申し上げ下され、それよりだん/\御話ありて本部員残らず寄せと仰せあるにより、一同打ち揃い御話(御敷布団しかず御坐りでおさしづ)

明治三十四年五月二十五日
本日昼のおさしづを申し上げし時、続いて御話しになり

明治三十四年五月二十六日
前おさしづより本部集会又教長へ運び致し、その趣を本席へ申し上げて御詫び致し居るところ、俄かに御話ありし角々(平野楢蔵、桝井伊三郎、増野正兵衞三名運び)

明治三十四年五月二十六日 午後六時五分
一昨日二十四日よりの事情に付ては、平野楢蔵、増野正兵衞、桝井伊三郎の三名教長へ運び、教長二十七日より御運びの席に御出まし下さる事、本席へ申し上げし処、本席より御守りは如何にと仰せられ直ぐ教祖御入り込みにて大声にて

明治三十四年五月二十八日
東分教会より本席を水戸地方へ招待に付願

明治三十四年六月十四日
六月一日より本席御身障りに付七日間御休みに相成る、よって種々相談の結果、本部員一同神様へ御願い申し上げしには、御身上速やか御成り下さればおさしづを頂き、おさしづによってどのような事も運びますと御願いに付、如何の事でありますや願

明治三十四年六月十五日
山沢為造東分教会講社、平安支教会部下講社の事情の治め方に付東国へ出張する願

明治三十四年六月十七日
教祖御休息所掃除は、若井はる西田コト月交替か、日々交替か押して願

明治三十四年六月十八日
島村菊太郎準員の処、正員に直すこと願

明治三十四年六月二十五日
村田かじ身上腹痛に付願

明治三十四年六月二十五日
奈良支教会森川宇次郎妻ますゑ身上願

明治三十四年六月二十九日
永尾よしゑ八木部内飯倉出張所出張願及び身上の願

明治三十四年七月一日
上田民蔵家族共本部へ引き越し、心得まで願

明治三十四年七月三日
畑林やす四十九才目の障り願

明治三十四年七月十五日
諸井国三郎春以来左の腕障り追々重るに付願

明治三十四年七月十五日
兵神分教会長富田伝次郎長男米太郎三十四才黄疸身上願

明治三十四年七月二十八日
畑林やす四十九才身上願

明治三十四年七月二十八日
植田平一郎五十六才身上願

明治三十四年八月十三日(陰暦六月二十九日)
教校本館と講堂二棟新築する願

明治三十四年八月十四日
井筒とよ手痛み、息女たねのぼせ、同ふみ歯痛み三人共身上に付願

明治三十四年八月十五日
本席遠州浜名湖へ御遊びに御出で下さる事を、山名分教会より招待に付願

明治三十四年八月十七日
前川たけ六十四才身上願

明治三十四年八月十七日
深谷徳次郎小人景三五才身上願

明治三十四年九月十一日(陰暦七月二十九日)
荒木シカ三十一才を増野正兵衞後妻に貰い度く願

明治三十四年九月十六日
撫養部内周東支教会前年より又近頃火難あり御陰にて御救けありしも、後の心得のため事情願

明治三十四年九月十八日
前川たけ前日身上に付、前おさしづに古き顔に直してやろと御言葉、又心だけやで、との事もありますが、是は教祖のお守り下さる方と同様との事でありますか、御供包みさして貰いますかとの願

明治三十四年九月十八日
土佐卯之助前より分教会へ行くと立て合うて、妻まさ身上障りに付、身上から事情願

明治三十四年九月二十一日
大県分教会長増井幾太郎妻みつえ身上願

明治三十四年九月二十六日
東部内青葉出張所事情願(同担任菊地猪四郎不都合有之為に分教会長上原出張の上段々諭せども聞き入れ無きに付、その親教会谿郷支教会長松本を事務取扱人に兼務させ、仙台市本材木町百一番地へ移転の事御許し願)

明治三十四年九月二十七日
過日より永尾よしゑ身上障りに付願

明治三十四年九月二十八日
昨日永尾よしゑ身上のおさしづより、これからおつとめの処、真柱夫人より毎月二十五日の日に一二三の決まりかたして貰いまして出て貰います願

明治三十四年九月二十八日
梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願

明治三十四年十月一日
本席宅二間に六間の菓子拵える小屋いろ/\入れる物建て度く願

明治三十四年十月三日
水口部内御殿場出張所何の事なく少し北へこけましたに付、段々事情運び此度造築致し度く願

明治三十四年十月十二日
諸井ろく名古屋へ奉公に出し度き儀願

明治三十四年十月十三日
教校教室二棟出来上りに付、後へ事務室二十間に五間物を建築致し度く願

明治三十四年十月十四日
前日永尾よしゑの身上のおさしづに古き事情という処なり、中の事情という処もありましたが、その古き事情と仰せられますは如何の処でありますや願

明治三十四年十月十五日
芦津分教会長井筒五三郎身上願

明治三十四年十月十七日
本部のおつとめに出る事に付、沢田善助、南治三郎、仲田楢吉三名の願

明治三十四年十月十八日
永尾よしゑ身上おさしづに付運び方致しその上身上治まらざる故、一度医師に見せること本席へ申し上げし処、前々おさしづ角々今一度親様へ御願い申し上げとのことに付願

明治三十四年十月十九日
湖東支教会長佐治登喜治良妻くに四十一才身上願

明治三十四年十月二十二日
高井猶吉、山沢為造本日より東分教会へ出張する願

明治三十四年十一月四日
諸井国三郎先々月より咳出で身上障り、又小人二人一寸障りに付願

明治三十四年十一月八日
こたまの身上戸籍に付今後一身いかように致さして貰いしものや、最もおさしづの手続もあれば一同心得まで願

明治三十四年十一月十一日
内務省属官、兵庫県下北に在る教会所へ調査のため出張相成るにより部下不都合無之ように、山中彦七出張致すべき旨教長より御命令により本日出張致し度き儀願

明治三十四年十一月十三日
本部西隣足達秀二郎宅地四百二十四坪相談の上買い入れする事御許しの願

明治三十四年十一月十三日
松村隆一郎、中谷よし縁談整い御許し願

明治三十四年十一月二十一日
一昨朝教校工事場出火致し、御詫びのため掛員始め本部員一同願

明治三十四年十一月二十四日
兵神分教会役員と部内の方との事に付事情願

明治三十四年十一月二十六日
永尾よしゑ御願でありますが、鳴物稽古に皆私の処へ御越し下されますが、そこで手を付けさして貰われん事は御座りませんけれど、元は上田ナライト、辻とめぎくの三人でありますから、私一人で手を付けさして貰いましてはすみませんから、いかゞ致しまして宜しく御座りますやと願

明治三十四年十二月十一日
山名部内清国厦門へ高室清助、山下万吉両人出張布教致し度く願

明治三十四年十二月二十一日
教校開校式陽暦一月七日に致し度く、それには県知事始め高等官及び署長招待致し度き儀御許し願

明治三十四年一月十二日
山田亀吉子供いちの、きみゑ身上願

明治三十四年一月十三日
古川太十郎三十一才身上願(防府支教会長)

明治三十四年一月十四日
宮川てい三十三才身上願

明治三十四年一月十七日
坂井元蔵長男直次十二才眼の願(桑名出張所理事)

明治三十四年一月十八日
渡辺和三郎身上願