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明治三十三年七月三十日
植田平一郎身上願

明治三十三年七月三十一日
本部にて当年暑さも厳しくに付、暑中休みは陰暦八月十五日まで延引する事願

明治三十三年八月十一日
船場分教会新築願(船場分教会新築願に付、教会所桁行九間に梁行六間一棟、北南の方五尺縁付、玄関二間半に一間、桁行四間に二間半教祖殿一棟、桁行六間梁行四間平家一棟、桁行五間に梁行四間の二階建一棟、桁行三間梁行四間の平家一棟役員詰所、桁行九間梁行三間二階立一棟、桁行五間梁行三間半平家台所、桁行四間半梁行二間立蔵一棟、表門大一箇所、教会四方廻り高塀七十間、北と西の方に入口二箇所、古井戸六箇所埋み新たに三箇所掘る事、両便所五箇所風呂場一棟、陰暦八月一日地均らし及び石搗き手斧始め、後は追々致し度く願)

明治三十三年八月二十九日
諸井その身上願

明治三十三年八月三十一日
土佐敬誠二十八才身上願

明治三十三年九月三日
西村喜之助小人をのぶ身上願

明治三十三年九月四日
春野喜市長男貞造咳厳しくに付願

明治三十三年九月九日(陰暦八月十六日)夜九時頃
刻限(本席の御身上前日より大変御障りの処へ刻限の御話あり、本部員一同拝聴す)

明治三十三年九月十二日
平野楢蔵北陸支教会事情のため出張願

明治三十三年九月十四日
本席身上願(本席御身上夏頃より少々御障り有之、尚事務始め前より大変障りに付、一同相談の上事務始め下されたら、第一先に本席身上の事一同の心得までおさしづ仰ぐ事にて親神様へ御願い申し、御身上御救け下されましたが、一昨日又昨日なりおさづけ御運び下されしが、夜前御身上御障りに付本日一同揃うて願)

明治三十三年九月十四日 夜九時
刻限の御話

明治三十三年九月十七日
増野いと身上願

明治三十三年九月二十一日
旭日支教会長岡本善六腹痛に付願

明治三十三年九月二十二日
堺支教会役員周旋の妻婦人会を取り結び、教会入社祭の当日婦人等御勤の願

明治三十三年九月二十四日
増野いと身上願

明治三十三年九月二十七日
本部にて仁興村の材木買い入れの願

明治三十三年九月二十七日
これまで本部に古く細道の時に通りてかくれたる者の霊祭を、臨時祭として閏八月十五日に勤め度く願

明治三十三年九月二十七日
教長の庭働きに福知山支教会長足立清次郎の妹いわ十七才雇い入れの願

明治三十三年九月二十八日
高井つね身上願

明治三十三年九月二十八日
茨木基敬身上障りに付願(陰暦八月五日の晩に腹痛み御陰様に救かり、又陰暦八月十八日に岡山支教会へ出越して居る先で、午後五時頃より朝方まで腹痛み歯うづき、これも御陰様で救かりこの度本部へ帰らして頂き居ります内に、身上あちらこちら悩み心がうっとしいてなりません。又時々涙が出まして困り、又夜前から朝方まで喉痛みますに付)

明治三十三年十月二日
増野いと四十四才身上俄かに大変迫り願

明治三十三年十月三日
本部より山辺郡福住村字大岸にある杉檜買い求め願

明治三十三年十月三日
甲賀支教会長実父山田太良平七十二才身上願

明治三十三年十月四日
高知分教会長島村菊太郎以前おさしづより願

明治三十三年十月六日
喜多治郎吉四十九才胸迫るに付願

明治三十三年十月七日
刻限の御話(おさづけ御運びのあとにて)

明治三十三年十月七日
古き人の霊祭式場を、大裏にて執行致し度く願

明治三十三年十月七日
喜多治郎吉身上のおさしづより一同談示の上、網島の方なり中津宇佐の三箇所の処申し上げて願

明治三十三年十月九日
島ケ原部下山形県飽海郡松領町梅本惣吉四男留吉二十三才網島分教会長寺田半兵衞三女小近の養子貰い受ける願(永尾よしゑ仲人にて万田万吉より貰い受くる事)

明治三十三年十月十一日
過日のおさしづにおさづけ戴きたる人々に、言い渡し致す処書下げと仰せ下されましたが、その日の御諭しの書下げのみの事でありますや、又以前仰せ下されました長き書取りも言い聞かします事でありますか、と押しての願

明治三十三年十月十四日
本席御身上一昨日の午後四時頃より俄かに発熱し、本部員一同集会の上親神様へ御願を掛け、その願には御身上速やかお成り下され次第、御障りの事第一に御願い申し、さしづ通り運ばして貰いますと願、尚本局より電報の事情ありますから、この間御障りの事御願い申し上げますと願

明治三十三年十月十六日 夜九時半
本席身上俄かに胸なり腹背痛み、それより刻限のお話

明治三十三年十月十八日
高井つね身上願

明治三十三年十月二十日
一昨夜高井つね身上のおさしづより、本部員一同打ち揃うて願

明治三十三年十月二十一日
深谷徳次郎小人景三四才身上事情に付願

明治三十三年十月二十五日
諸井国三郎分教会へ行く事の願

明治三十三年十月二十六日
高井つね四十一才身上願

明治三十三年十月二十七日
撫養部内名東支教会正木国蔵辞職に付、柏原源次郎を後任に願

明治三十三年十月二十七日
畑林やす身上願

明治三十三年十月三十一日 午前二時
刻限御話

明治三十三年十一月二日
土佐敬誠身上願

明治三十三年十一月三日(陰暦九月十二日)
喜多治郎吉九州へ、板倉槌三郎東国へ青年桝井安松、春野喜市を連れて派出願(秋季大祭まで)

明治三十三年十一月五日(陰暦九月十四日)
十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願

明治三十三年十一月五日(陰暦九月十四日)
大裏へ三間四間建家仕事場のように建てるのを、一個人の住家建てに致しましたのは、一同の相違なる事を、親神様に謝罪申し上げ、改めて将来人の住家とは致しませんから、本部別席或は応接所にさして下さるよう御許し願、並びに中西牛郎は学校専務として御許し願

明治三十三年十一月五日
土佐卯之助家族将来三島に居住の願

明治三十三年十一月七日
河原町分教会事情願

明治三十三年十一月十六日
上原佐助小人出物の障りに付願

明治三十三年十一月十九日(陰暦九月二十八日)
桝井政治郎網島分教会へ布教出張の願

明治三十三年十一月二十日 朝
本席へ御運び下さる事を前日詰所当直より御伺い下されし時に、その申し上げ下されし事を御思召に適わざるか御立腹にて、続きて側より御詫び申し上げ下されし処へ御話あり(前日当直運びに付、高井猶吉、松田音次郎、宮森与三郎の三人)

明治三十三年十一月二十二日
安堵の飯田岩治郎の事情に付、九州地方へ桝井政治郎派出する事願

明治三十三年十一月二十六日
増井りん五十八才身上のぼせに付願

明治三十三年十一月三十日(陰暦十月九日)
増井りん二十六日に身上御願い申し、そのおさしづに速やかなったら改めて尋ね出よ、との事でおたすけあり、今日改めて願

明治三十三年十二月一日(陰暦十月十日)
増井りん昨日御息おさづけ下されました処、高井猶吉、梅谷四郎兵衞のようなと同じ事でありますや願

明治三十三年十二月一日
敷島分教会所教務所教祖外九棟の建物並びに塀石垣致し度く、尚御許しの屋敷内へ引き移り願

明治三十三年十二月二日
本部事務の処、陽暦十二月二十六日より翌年一月十日まで休み、それより陰暦十二月二十日まで事務運びまして、同二十一日より陰暦正月九日まで休みまして、本部節会終り次第続きて陰暦正月十日より事務始める事に致せば、遠国の信徒も節会に参拝致しまして満足致しますと心得ますから、右の事に御許し下されますや願

明治三十三年十二月四日(陰暦十月十三日)
増井りん御守り拵える時に九つという処は、以前千人を一勤と聞かして貰て居りますがそこで千の内で九つでありますか、又は夏冬共御召し下されて御下げ頂きます数その中で九つでありまするか、この処願

明治三十三年十二月四日
藤橋光治良三男光信一才身上願

明治三十三年十二月七日
梶本楢治郎以前の事情申し上げ、宮田善蔵の娘カナ二十才縁談事情願

明治三十三年十二月九日
山名部内大東出張所移転並びに担任小倉みよに変更願

明治三十三年十二月十二日
辻忠作六十五才身上願

明治三十三年十二月十三日
松尾与蔵小人きぬゑ腹痛に付願

明治三十三年十二月十五日
春野喜市長男貞造身上願

明治三十三年十二月十八日
河原町部内水口支教会分教会に引き直し致し本部直轄に取り扱い願い度しと、双方示談相済みの上願

明治三十三年十二月二十二日
河原町分教会長深谷徳次郎又小人景三身上願

明治三十三年十二月三十一日
山田清治郎身上願

明治三十三年一月九日
明日河原町へ桝井、山沢行く事願

明治三十三年一月二十二日
松尾芳松四十才居所障り伜雄太郎目の上の出物願

明治三十三年一月二十二日
田中豊七五十五才身上願(山国部内)

明治三十三年一月二十七日
伊東宇三郎三十一才身上願(湖東支教会阿仁出張所理事)

明治三十三年二月八日
大東長三四十八才身上願(平安役員)

明治三十三年二月九日
市川助次郎三十八才身上願

明治三十三年二月九日
植谷こう身上事情願

明治三十三年二月十一日
植谷こう出産事情願

明治三十三年二月十一日
岩谷源治四十七才身上願

明治三十三年二月十二日
島田善吉妻小春三十七才身上願(船場役員)

明治三十三年二月十二日
奥田秀丸二十八才身上願(宇陀支教会所)

明治三十三年三月十一日
中野仲太郎母せつ四十五才目の障りに付願

明治三十三年三月十二日
岩谷源治四十七才身上願

明治三十三年三月十三日
上原身上に付、山沢、高井出発伺(上原身上よりおさしづの上より運び方に付、山沢高井陽暦四月頃にやらしてもらをと思て居りますけれど、昨夜上原身上迫るに付、今に御足労してもらいたいと申しますから、今に行きました方がよろしいか、この辺御願申します)

明治三十三年三月十四日
岩谷源治四十七才身上願

明治三十三年三月十六日
増田亀次郎伜九次郎九才身上願

明治三十三年三月十七日
植田長三郎五十六才身上願

明治三十三年三月二十日
植谷浅次郎以前の事情申し上げ、今、伜三男勇七才身上願

明治三十三年三月二十二日
河合藤太郎三十八才身上願

明治三十三年四月四日
平出団次郎身上妻も身上障り、速やか成り次第台湾へ行く願(山名分教会役員)

明治三十三年四月十日
田代兵蔵五十九才身上願(河原町部内水口支教会理事)

明治三十三年四月十一日
西松太郎及び家内身上願

明治三十三年四月十六日
市内かね六十七才身上願(中河分教会部内大堀出張所担任)

明治三十三年四月十九日
檜作徳之右衞門身上願

明治三十三年四月二十七日
吉田梶太四男四郎二才昼夜泣き脳膜炎に付願

明治三十三年五月九日
古橋勝治六十二才身上願

明治三十三年五月十三日
平野辰次郎四十五才身上願

明治三十三年五月十七日
中井のぶ七十一才脊髄身上願

明治三十三年五月二十日
柏木六左衞門三男信次十三才身上願(河原町部内甲賀支教会理事三男)

明治三十三年五月二十一日
下和田長助四十五才身上願

明治三十三年五月二十五日
辰巳宇三郎六十六才身上願

明治三十三年五月二十八日
山岡元吉三十八才身上願

明治三十三年六月四日
峰畑為吉妻まつ四十一才身上願

明治三十三年六月九日
深谷源次郎三浦悌二の三女せき二十六才雇い入れる願

明治三十三年六月十二日
木村竹次郎長女かめ十一才身上願