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明治三十三年一月四日
本席一昨日より身上御障りに付願

明治三十三年一月四日(陰暦十二月四日)
橋本清の演説を筆記として発行の『天理教会の内幕』という雑誌その筋へ送りしに付、神道本局より一月六日までにその個条々々毎に答えして差し出すように申し来たり、就いては松村吉太郎、山中彦七上京出局の願

明治三十三年一月四日(陰暦十二月四日)
日本橋分教会中台勘蔵意見を聞く事願

明治三十三年一月四日
梅谷分教会建物の名前宮森与三郎に切り換えする願

明治三十三年一月七日(陰暦十二月七日)
清水与之助五十八才前夜十二時頃より厳しく腹に差し込み、四日夜より身上悪しくに付願

明治三十三年一月八日(陰暦十二月八日)
清水与之助本部へ栄転に付、従来副会長富田伝次郎を以て後任会長選定の願

明治三十三年一月九日
山田とめ身上願

明治三十三年一月十一日
撫養分教会長以前だん/\のおさしづにより運び方に付、分教会長を譲りたら宜しきや、又旬が来たらんや人間心で分かり兼ねますに付願

明治三十三年一月十一日
南海分教会長譲る事に付、分教会へ板倉槌三郎出張願

明治三十三年一月十一日
上田民蔵小人なをえ目の処願

明治三十三年一月十一日
鴻田捨菊山下の弟と縁談事情願(並びに鴻田内の東富森へ貸したる所で住居して、こちらへ貰い受けたものか、又向こうへやりまして宜しきや願)

明治三十三年一月十二日(陰暦十二月十二日)
清水与之助、会長を富田伝次郎へ譲り、兵神分教会信徒一同より清水の居宅を建てることに付、兵神三島事務所と清水居宅と一所にして宜しきや、又は清水居宅別に建家する方宜しきや、将来心得願

明治三十三年一月十二日
中津支教会長泉田の身上の処おさしづあり、それに付運び方なり又役員の治め方に付、喜多治郎吉出張する願

明治三十三年一月十二日
中山慶太郎と福井モト縁談事情願

明治三十三年一月十七日
山名分教会長諸井国三郎本部へ栄転に付、諸井清麿を以て後任会長選定御許し願

明治三十三年一月十七日
城島分教会親神様の御社を新たに造り替えの願(並びに御社内鼠荒らしゝ故教会内の事御知らせ下さるや願)

明治三十三年一月十九日(陰暦十二月十九日)
中台勘蔵より申し込みに対する、日本橋分教会の地所建物に対する運び方事情に付申し上げ願

明治三十三年一月十九日
松村吉太郎身上願

明治三十三年一月二十日
南紀支教会長下村賢三郎身上願

明治三十三年一月二十一日
山沢為造乳母雇い入れの願(八尾よりとみゑ二十一才)

明治三十三年一月二十二日
教長の方へ、手伝に知多布教所長森田清介次女おかと二十二才雇い入れる願

明治三十三年一月二十二日
山下伊三郎次男廉太郎鴻田忠三郎三女捨菊縁談事情願

明治三十三年一月二十四日
南海分教会長山田作治郎出直しに付、後々一同心得まで願

明治三十三年一月二十五日(陰暦十二月二十五日)
中台庄之助身上の願

明治三十三年一月二十七日
河原町分教会長深谷源次郎の処、副会長徳次郎へ譲る事に付だん/\運び申し上げ願

明治三十三年一月二十八日
宮森ヒサ四十二才眼の障り願

明治三十三年一月二十八日
鴻田捨菊身上願

明治三十三年二月三日(陰暦正月四日)
毎年五日の日に村内の節会致せし処、本年より廃する事に一同談示の上教長へ運ばして貰いましたが、教長は、これは教祖存命の時より致し来たりし故、神のおさしづの上定めるが宜し、と仰せ下されるに付、如何して宜しきや願

明治三十三年二月六日
兵神分教会三島事務所建物修繕の日早める願(三島村事務所修繕の儀陰暦正月二十八日に御許しを頂きし処都合により陰暦正月九日に日を縮めて御許し願い度き儀本席へ願い出でたるに、左の通り本席より仰せ下され)

明治三十三年二月八日
撫養分教会長土佐卯之助身上に付、前おさしづなり並びに伜敬誠の身上のおさしづ上からだんだん事情定め、分教会長を敬誠に譲る精神定め事情運べば身上速やかに救け下されし故、これに付担任譲るの御許し下さるか又早う御座りますや願

明治三十三年二月十一日
高知分教会長島村菊太郎部内巡教中、右の足怪我致せしに付願

明治三十三年二月十二日(陰暦正月十三日)
城島分教会所これまでの地所狭くして水が乏しく、隣地買い入れ高価なる故、金屋村移転致し度き由役員より申し来たり御許し下さるものや、又はこれまでの処にて居たものでありますや、増野正兵衞心得のため願

明治三十三年二月十二日
桝井伊三郎、母きく、安松三人共身上によりその理に付願

明治三十三年二月十二日
平野楢蔵身上願

明治三十三年二月十五日
畑林やす身上願

明治三十三年二月十七日
永尾よしゑ身上願

明治三十三年二月二十二日
日本橋分教会長選定に付一同協議の上、中台庄之助に致し度く願

明治三十三年二月二十七日
別派独立の願書内務省へ請求に付願

明治三十三年二月二十八日
撫養分教会長土佐卯之助の処、伜敬誠に変更の願

明治三十三年三月十一日
梶本宗太郎二十一才梅谷四郎兵衞娘とみゑ十四才縁談事情願

明治三十三年三月十一日
東分教会長上原佐助大いに咳強く身上の願

明治三十三年三月十二日
島ケ原万田万吉眼の障りより身上願

明治三十三年三月十三日
山名分教会長諸井清麿三十才身上願

明治三十三年三月十五日
園原村上田たき七十才身上願

明治三十三年三月十六日
山辺郡杣之内山の官林払い下げに付、立木及び地所共本部へ買い入れの願

明治三十三年三月十六日
中山秀司二十年祭の処、陰暦二月二十七日御勤め致し度く願

明治三十三年三月十八日
中山秀司同じくまつゑ二十年祭に付、新たに社拵えて合祀する事願

明治三十三年三月十八日
本席宅の蔵の東方へ雪隠及びがらくた物入れ建てる願

明治三十三年三月二十一日
本席御身上御障りに付かんろだいへ本席の身上速やか快復次第お伺い申して、そのおさしづ通り、何か運ばして貰いますからと御願してありますが、その事今日まで延行相成り右事情の願

明治三十三年三月二十一日
上田ナライト建物の願(上田たきの身上障りから神様へ御願い申せしそのおさしづに、上田ナライト仕切りて引き寄せるよう運べと仰せ下されしに付、詰員一同相談の上本部長へ申し上げ、建物北の大裏の石屋の仕事場のそばあたりへ建てという事でありますから御許し願)

明治三十三年三月二十二日
井筒とよ本席の方へ守りとして御許し願(増井りんも本部員を拝命し、別席なり詰所の当直も勤めさせて頂きますから、手が欠けますのでとよを手代りとして)

明治三十三年三月二十五日
本部中南の庭一寸作る事願

明治三十三年三月二十九日
兵神分教会敷地清水与之助の名義の処、その名義は役員十名の共有に致し度く願

明治三十三年三月二十九日
飯降政甚身上事情願

明治三十三年三月二十九日
増田亀次郎三十二才身上願

明治三十三年三月三十日
教校資本金を募集御許し願

明治三十三年三月三十一日
東部内牛込支教会運び方の処心得まで願

明治三十三年四月三日
上田ナライト運び方に付願(園原上田ナライト運び方に付先方の心聞いてこうという処を聞いて、その上尋ねてまあ一度尋ねとの事に付、先方には家内一同寄せて貰い度く、たとえどんな苦労あるとも結構でありますからとの事でありますが、又後の家屋敷の処如何致しまして宜しきや、先方の御話してありますから、この辺御願いの上の事と申し置きましたが如何と願)

明治三十三年四月三日
山名分教会事務所北の方地所買い入れ願

明治三十三年四月三日
飯降まさゑ久しく背中の骨痛みに付願

明治三十三年四月四日
正木国蔵身上願(名東支教会長)

明治三十三年四月六日
東分教会長上原佐助五十一才身上肺炎に付願

明治三十三年四月八日
土佐敬誠身上願

明治三十三年四月二十日
城作次の屋敷だん/\運びの上、昨夜包金一万三千円にて話まとまりし旨願

明治三十三年四月二十一日
茨木基敬及び妻くに身上願(北分教会長茨木基敬四十六才昨年陰暦十二月頃より喉痛み今日になおりませず、又妻くに三十五才昨年陰暦四月の頃よりぶら/\致し当年の正月十二日頃より故郷の東京の方へ参り医師に掛かりし処、肺とも肋膜とも申し今日の処にては神経を悩みに付、とんと如何の事情掛かり居りますか)

明治三十三年四月二十六日
山口県下奈良支教会萩の講社と高安分教会部内講社と衝突事件に付高安分教会より願

明治三十三年五月一日
桝井政治郎小人ナヲヱ四才身上願(三日前より食事すっきり止まり喉苦しみに付)

明治三十三年五月二日
桝井政治郎前おさしづより家族分家願(但し小人長女ナヲヱ身上より)

明治三十三年五月三日
松村ノブ昨二日俄かに気がのぼせて倒れしに付、如何の儀知らせ下されしや願、且つ長男義孝夜分に非常に咳きますに付願

明治三十三年五月六日
上原佐助本部員事情に付願(上原佐助以前身上のおさしづより高井猶吉、山沢為造二名の心得まで御願い申し上げし処、同格同様に許し置くとのおさしづを蒙り、それより両名東分教会へ出張し一同へ話致されし処、一同も満足の上心定め致せしにより、本部へ立ち帰り、一同へおさしづの上より話致して本部長へ申し上げしに、もう一応御願い申せとの事に付願)

明治三十三年五月七日
増野正兵衞妻いと昨日身上障りに付おさしづ頂戴致しまして、その通り致しますからと願うておさづけを戴けば直ぐと身上救かりそれ故本日願

明治三十三年五月十日
南海分教会所へ県庁の方より来人あるに付、電灯を引くの願

明治三十三年五月十二日
城島分教会長山田伊八郎及び妻こいそ並びに役員二三人身上障りに付願

明治三十三年五月十五日
本部水車水路付け替え御許し願

明治三十三年五月十六日
山沢ひさ小人為次身上願

明治三十三年五月十七日
道の友改良の件や、道の友の事に付願

明治三十三年五月十七日
松村吉太郎目の障りに付願

明治三十三年五月十九日
宮森ヒサ眼の障り及び出来物の処願

明治三十三年五月二十六日
永尾よしゑ三十五才身上願

明治三十三年五月二十七日
畑林やす身上願

明治三十三年五月二十九日
土佐卯之助妻まさ身上願

明治三十三年五月三十一日
松村ノブの五月三日のおさしづに、天然という御言葉を下された処に、如何の処の事でありますや、押して願(尚小人義孝夜分非常に咳きますから併せて願)

明治三十三年六月一日
辻豊三郎二十八才身上願

明治三十三年六月三日
河原町分教会長深谷徳次郎妻タミツル二十八才身上願

明治三十三年六月十三日
永尾よしゑ八木部内飯倉出張所の方へ少々事情のため出張する願

明治三十三年六月十四日
永尾よしゑ東京飯倉出張所へ事情のため行かねばならん事情ありますが、本席腹少々御悪う御座りまして心に掛かります、如何に致しましたら宜しきや願

明治三十三年六月二十一日
城島分教会移転事情に付願(城島分教会末代の見込みを以て金屋村に地所を買い求めさして頂き、然るに村方より故障申し込み或は道路取り払い戻せよと申し込み、これに付運び方不行届きは神様へ申し上げ、尚かようになるのは元の所に止どまったものか、金屋の方へ移転さして貰いましたものか、皆々の心に困り居りますに付願)

明治三十三年六月二十一日
梅谷四郎兵衞及び妻たね小人とみゑの三人身上願

明治三十三年七月一日
清水与之助五十九才身上願

明治三十三年七月六日
郡山分教会山瀬文次郎本部準員に繰り上げの願

明治三十三年七月八日
清水与之助養女に西本みつ二十三才貰い受けの願

明治三十三年七月十日
船場分教会類焼に付一同御詫びの上、あと/\心得のため願(去る六月二十七日東手なる紙屑屋より出火類焼に付)

明治三十三年七月十一日
清水与之助五十九才身上願

明治三十三年七月十四日
天理教別派独立の件に付内務省へ書面差し出し置きし処、信徒を取り調べの事に対し、各府県より内務省へ種々の事申し込み有之、よって今少し確実のもの提出せば却って教会のためかと言われ、よって十二下りを郡山の信徒中西牛郎に解釈させて大綱を内務省へ出す事御許し下されますかと願

明治三十三年七月十四日
増野正兵衞身上なり、又小人おとも身上願

明治三十三年七月十五日
桝井安松身上咳出る事に付願

明治三十三年七月十六日
深谷徳次郎小人景三四才身上願

明治三十三年七月二十日
城島分教会三輪町大字金屋に於て地所買い入れ、分教会の屋敷地に御許し願

明治三十三年七月二十三日
村田豊吉三十才身上願

明治三十三年七月二十五日
飯降政甚事情願(政甚事情に付、本席の仰せには親子の縁を切って了う、との事の方如何致して宜しきやとの願)