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天理教の始まり
以下天理教辞典より。
中山みき(1798-1887)を教祖(おやさま)と仰ぎ、教祖の特別な人格にふれ、その声に導かれ、その教えを奉ずる者によって組織された信仰集団をさす。すなわち、教祖によって啓示された教え、教え示された祭儀、および、それを信じ行なう者によって形成された信仰組織や制度の総体をいう。
中山みきについて
教祖中山みきは、寛政10年(1798)大和国に誕生され、幼少の頃より慈愛の心にあっく、難儀する人々をよくたすけられた。
天保9年(1838)10月26日、神の啓示によって、その「やしろ」と定められ、全人類救済の道を開かれた。歴史的にいう立教の日である。その後は、神の教えそのままに、世界たすけの道を宣べ広められると共に、不思議なたすけを実現しつつ人々を教化された。
その間、さまざまな干渉や迫害もあったが、そのような中にあっても、教祖は常に勇んで歩まれ、人間の真の生き方を教えてやまれることはなかった。
このようにして、教祖は全人類救済の道を明らかに示されながら、明治20年(1887)陰暦正月26日、齢90歳にして現身をかくされた。
教祖出直し後
しかし、天理教においては、教祖はその現身をかくされた後もなお、永遠に存命のまま、人間救済のお働きを実現されているという信仰が生きている。
また、教祖が歩まれた41歳以後、50年間の道すがらは、「陽気ぐらし」の「ひながた」とされ、信仰生活の最も確かな規範とされている。
信仰の対象は天理王命であり、親神として慕い仰がれている。
親神によって実現さるべき救済の理想は、神が人間創造にかけられた目的の成就とも言うべき陽気ぐらしであり、それは、すべての人間が相たずさえて、生きることの喜びを享受しうる完成された人生であると言うことができる。
天理教の三原点
「教義の基礎とされる聖典としては、「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の3種類の啓示書があり、原典とよんでいる。
ひのきしん
また、信仰的実践の面では、いわば親神に対する報恩の実践活動である「ひのきしん」が一般によく知られている。
ぢば
人間創造の根源的地点であると教えられている「ぢば」を中心にした所(現、奈良県天理市三島町271番地1)に教会本部をおき、その擁する教会数は海外も含めて16,000を超えている。