以下は上田嘉成先生著のみかぐらうた略註を使っています。
分かりやすく短く端的に解説されています。みかぐらうたに初めて触れる人、意味をもっと深めたい方など、みかぐらうたを理解出来る内容です。
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みかぐらうた略註 上田嘉成 はしがき
「みかぐらうた」の「み」は御で敬語、「かぐら」は神楽で、この場合、よふきづとめ全体、すなわちかぐらとてをどりの双方を含む。
「うた」は歌である。すなわち、これはよふきづとめのお歌である。たすけづとめとお教えいただくかんろだいのつとめのお歌である。
ひいては国々所々の教会におけるおつとめのお歌であり、朝夕のおつとめのお歌である。したがって、万人が皆読めるように平仮名でお書きくだされている。
神意の真実は、各人が陽気に手を揃え、鳴物を揃えておつとめを行わせていただき、めいめいの生活体験を通して味読させていただく時、なんらの説明をも用いずして各人の心にまざまざと拝される。
したがって、「みかぐらうた」に解釈は不必要であるとも言える。神意は無限であって、解釈し尽くすことはできぬからである。
と言って、全く初心の人々のために、お歌の意味内容を了解する端緒となるようなものが、実際上は要望されている。これを全く放置するのも、神意の真実に近づく手段を講じないという意味で、不親切でもあり不忠実なことと思う。
したがって、この略注は、全く初めて「みかぐらうた」を拝誦する人々にとって、そこにあふれる広大無辺な親心と、陽気づくめの境地とを悟らせていただく手引きの一端ともならせていただけば幸いであると思って、編ませていただいた。
読者諸氏は、これによって神意理解への糸口をおつかみくださるとともに、さらに進んで、広々とした神意をどこまでも広く明るく、そして陽気に悟らせていただかれるようお願いする。
昭和二十四年一月十二日 編者しるす
みかぐらうた節ごとの意味・解説
第一節
あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
一切のほこりを心から払い、諸々の疾病災厄を一掃してどうかお救けくださいませ、親神天理王命様。
てんりわうのみこと
天理王命は万物を創造し守護し給う元の親神様、真実の親神様である。
親神様のお身体は全宇宙、親神様のお心は教祖のお心。
あしき
悪、邪悪、八つのほこり、欲、これは一切の禍害のもとである。
第二節
ちよとはなしかみのいふこときいてくれ あしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし
これから親神の本心を、はっきりと簡明に話するから、親神の言うことをしっかり聞いてもらいたい。親神は決して邪なことは言わぬ。親神は、たすけ一条の親心から人間を救け、この世を明るくする神一条の話をする。
親神は、天地の理を象って夫婦をこしらえた。一夫一婦の理は、実に月日親神の理を受け天地の理にならう重い理であって、夫婦和合の理にこそ、陽気ぐらしの世界は生まれてくる。
第三節
あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
世界中の人間の心から一切のほこりを掃除して一日も早く世界一列を救けたい、と、親神は急き込んでいる。世界中の人の心を澄まし、陽気ぐらしの世界を実現して、人類創造の親里たるぢばにかんろだいを建設することこそ、親神の切なる念願である。
第四節
よろづよ八首
よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない
元初まり以来今日までの世界中の人々の心を眺め渡しても、誰一人として心が澄みきって、をやの思いの分かった者はいない。
そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな
それももっともである。今までは親神が何も親心の真実を教え諭したことがないから、何も知らぬのも無理はない。
このたびはかみがおもてへあらハれて なにかいさいをとききかす
この度は、旬刻限の到来により、元の親神がじきじきにこの世に現われて、何もかもすべての真実を事細かく説き聞かせる。
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
ここは、大和のおばである、神がたであると言うているが、誰もその元々の由来を知らない。かみがた
上方、神方、神館で、親神様のお鎮まりくださる所の意。
このもとをくはしくきいたとならバ いかなものでもこいしなる
この元々の由来をくわしく聞いたならば、どのような者でも皆慕って来ずにはおれなくなる。
ききたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
この訳を聞きたいと思うならば、尋ねて来るように[自発的で積極的な求道心があるならば親神の真実を言い聞かそう。この所ぢば、この世にありとあらゆるものの親里であるということを。
かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかいいちれついさむなり
親神が表へ現われて、何もかもすべての真実を詳ら丁に説き聞かせたならば、世界一列の人間は皆、この世が親神の守護する陽気ぐしの世界であることを知って、勇み立ってくる。
一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ
親神は、一刻も早く世界の人間を皆救けたいと思っているから、たすけ一条の上から世界中の人々の心を皆一斉に勇めてかかる。
よし/\
善、善心、善行、善百、生を明るくする。その根本はよい心である。よい心は真実の心、ここにこそ親神様のよいご守護をいただく理がある。陽気ぐらしは、すべて善である。 「あしき」の正反対。
一下り目
一ッ 正月こゑのさづけはやれめづらしい
万物のはじまるめでたい正月に肥のさづけを戴く。あー、有難いことである。なんと親神様のご守護の結構なことよ。
こゑのさづけ肥のさづけ
おさづけを戴いた者が、糠三合、灰三合、土三合を神前に供え、このさづけを取り次いで各自の田に置かしていただくと、肥一駄に相当するご守護をくださる。元治元年お渡しくだされた。「おふでさき」に、
こへやとてなにがきくとハをもうなよ心のまことしんぢつがきくおふでさき
(四 51)
と、お教えくだされている。
二ニ につこりさづけもろたらやれたのもしや
さづけをもらった嬉しさに、にっこり微笑する。まことに嬉しいことである。
三ニ さんざいころをさだめ
この、喜び勇んだ三才の童児の心を、永久に変わらぬ己が心と定めつけよ。
四ツ よのなか
人が勇めば、神も勇み、五穀は豊穣、したがって商売は繁盛となる。
よのなか
大和の方言で、豊年満作を言う。
五ツ りをふく
喜び勇んだ真心は、親神の摂理によって、自由自在の守護と現われてくる。
り
理である。親神様のご摂理によって、ご利益が見えてくる。
六ツ むしやうにでけまわす
無制限に、何もかもあらゆるものが豊富に出来てくる。
注
満ちあふれる生産の増進、きわまりなきたすけ一条の道の栄えを、お歌いくだされているお歌である。
七ツ なにかにつくりとるなら
何もかもすべてのものを、分け隔てなく、作らせていただくならば、
注
天の恵みを喜んで、あらゆる作物を好悪なく耕作し生産するならば。人に対してもまた同じ。
八ツ やまとハほうねんや
大和は豊年満作となる。
九ツ ここまでついてこい
一度、豊年に恵まれたならば、神恩に感謝し、なおさら一層精進し親神を慕うてしっかり信心の道に進んで来い。
十ド とりめがさだまりた
とうとう収穫量が一定した。
注
毎年、豊年満作をお与えくださるを言う。世界中一列に毎年豊作を授けたい、というのが神意の真実である。単に農作に限らず人生万事皆然り。親子孫代々また同じ。取目。後嗣。「おふでさき」に、次のごとくお誌しくだされている。
またゝすけりうけ一れつどこまでも いつもほふさくをしるたいから(十一 96)
おふでさき(十一 96)
二下り目
とん/\とんと正月をどり はじめハやれおもしろい
足拍子賑やかに、めでたい正月から踊りはじめをするのは、まことに面白くて陽気なものである。
注
この度たすけ一条の教えをはじめ、よふきづとめによって陽気ぐらしの世界をおはじめくだされる。一年中正月の気持ちで暮らすこそ、陽気世界の初まりである。
二ツ ふしぎなふしんかかれバやれにぎはしゃ
不思議な普請にとりかかれば、まことに賑やかなことになる。
ふしん
普請、世界のふしん、心のふしん、つとめ場所の普請、教会建築。
三ツ みにつく
栄養が身について健康となり、徳が身について繁栄となる。
四ツ よなほり
世界中の人々が、わが身思案を捨てて、互い立て合い扶け合いの心と入れ替える
時、陰に沈んでいた世界は陽気ぐらしの世界と立て替わる。
注
世界中の人々の心が、悪から善に入れ替わり、陰から陽に入れ替わったならば、親神様の摂理のまにまに不景気険悪の世相は一変して、好景気繁盛の世の中となる。
五ツ いづれもつきくるならば
一列人間が皆、親神を慕うてついて来るならば、
六ツ むほんのねえをきらふ
一切の闘争・内乱・戦争を根絶しよう。
七ツ なんじふをすくひあぐれバ
生活に困窮する者を、人々が互い立て合い扶け合って救い上げるならば、
八ツ やまひのねをきらふ
親神も自由自在にたすけ一条の守護を現わして、一切の疾病を根絶しよう。
九ツ こころをさだめゐやうなら
真実誠の心を定めて、動揺しないならば、
十デ ところのをさまりや
国々所々は円満に治まり、ひいては世界の平和となる。
ところ
所、土地所々。をさまり、治、平和、理想の平和、世界の平和、かかかだい建設の陽気ぐらいの世界。よふきづとめは世界平和達成の祈りである。」「おふでさき」に、次のごとくお誌しくだされている。
はや^と心そろをてしいかりとつとめするならせかいをさまる
おふでさき (十四 92)
三下り目
一ツ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや
日の本、庄屋敷のつとめ場所は、この世・人間創造の所、すなわち宇宙万物の生命の根元である。
ひのもと
日の本。
しよやしき
庄屋敷。
二ツ ふしぎなつとめばしょハ たれにたのみはかけねども
この世・人間創造の理によって、一列たすけのよふきづとめをするよろづたすけの源泉たるつとめ場所は、誰にも依頼はかけないけれど、
三ツ みなせかいがよりあうて でけたちきたるがこれふしぎ..
皆、世界一列の人間が寄り集まって来て、おのずから出来上がってくるのが、まことに不思議である。
四ツ よう/\こまでついてきた じつのたすけハこれからや
ようやくここまで信心の道について来た。これからいよいよ真実のたすけをする。じつのたすけ祈祷や医薬による一時的、形而下的のたすけではなく、人間の心からほこりを払って、一切の禍害から根本的に永久にお救けくださること。陽ぐらしの実現。
五ツ いつもわらはれそしられて めづらしたすけをするほどに
わが身を忘れてたすけ一条の道に進む者を、世間の人々は笑いあざけるけれども、このたすけ一条の道によってこそ、真実の人間を創造し陽気ぐらしの真実世界をはじめるのである。
めづらしたすけ
この世・人間の元の神・実の神、天理王命様が、この度初めてこの世に現われて、今まで誰も見たことも聞いたこともない珍しいたすけをしてくださる。たすけ一条の究極のご理想は不老不死不その永遠の健康と若さと平和の世界、陽気ぐらしの世界の実現である。そしてよきづとめこそたすけ一条の根本の道である。
六ツ むりなねがひはしてくれな ひとすぢご、ろになりてこい
欲や高慢を捨てずに、親神のふしぎなたすけを望むのではない。一切のほこりを払い去って、ただ一筋に親神に向かって進んで来い。
七ツ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする
何でもかでも今後は一切の欲心を払い去って、ただ一筋に親神様にもたれてついて行きます。
注
信心修業の要訣をお歌いくだされている。このことは「おふでさき」に、次のごとくお誌しくだされている。
ちかみちもよくもこふまんないよふにた一すぢのほんみちにでよ
おふでさき (五 30)
八ツ やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん
病気は人生最大の苦痛である。病気の真因が欲と怠惰であると悟る時、自分もこれから欲を捨てて勇んでひのきしんに進ませていただこう。
やむ
この世に病気というものはない。病と見えるのはお手引きである。疾病は神恩を報謝せず、欲心に走って恩に恩を重ねるところに起こってくる。
ひのきしん
欲を忘れて日々に報恩感謝の真実を親神様に捧げさせていただくこと。これこそ神恩に報じ自由自在のご守護をいただく道である。
九ツ こまでしん/\したけれど もとのかみとハしらなんだ
ここまで信仰してついては来たが、この神様が元初まりに、この世・人間をご創造くださった元の親神様とは知らなかった。
もとのかみ
元の神、元こしらえた神、世界万物の生命の根元たる親神、一列人間の真実の親、天理王命様。
このよふのにんけんはじめもとの神たれもしりたるものハあるまい
おふでさき (三 15)
十ド このたびあらはれた じつのかみにはさうゐない
とうとうこの度、表に現われた。この世の根元たる真実の親神様に相違ない。
じつのかみ
実の神、真実の神、一切万物の実体にして諸神仏の本元に坐し、現実に、この世界をご守護くだされている天理王命様。
しんぢつの神がをもていでるからハいかなもよふもするとをもゑよ
おふでさき (三 85)
四下り目
一ツ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ
人が何とそしろうとも、親神が何もかも見抜き見通しているから、親神の自由自在の守護に信頼して、心を静かに持て。
二ツ ふたりのころををさめいよ なにかのことをもあらはれる
夫婦の心を一つに結んで、誠真実に治めて通れよ。一切万事、喜ばしい親神の守護が現われてくる。
三ツ みなみてゐよそばなものかみのすることなすことを
皆、そばにいる者は、親神のすることなすことを、よく見ているがよい。親神の自由自在の働きを現わすから。
四ツ よるひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ
夜も昼も太鼓やかねの鳴物を入れてつとめをする。何も知らない者は、さぞかし喧しくうるさく思うことであろう。
五ツ いつもたすけがせくからに はやくやうきになりてこい
いつも親神は一列たすけを急き込んでいるから、一列人間は早く陽気な心になって来い。
注
勇むことこそ、ふしぎなたすけをいただく第一歩である。
六ツ むらかたはやくにたすけたい なれどころがわからいで
村方はなおも早く救けたいと思っているが、あまり近くにいるので、つい人間思案が先になって、神一条の教えを理解できずにいる。むらかた当時の庄屋敷村の人々を仰せられた。
七ツ なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ
一列人間は皆兄弟姉妹であるから、一切万事互いに立て合い扶け合って暮らしていくのが親神の望みである。皆一列の人間はめいめい心の底から、よくこのことを考えよ。
よろづのたすけあい
よろづ互いに扶け合うことが、親神様の人間に望み給う切なる念願であり、人間社会成立の真実である。このことは「おふでさき」に、
せかいぢうたがいにたすけするならば月日も心みなひきうける
おふでさき (十三 38)
と仰せられているとおり、よろづ互いに扶け合うこそ、ふしぎなたすけの前提であり、人間生活の根本原理である。
八ツ やまひのすっきりねはぬける こゝろハだん/\いさみくる
欲を忘れてよろづ互いに扶け合うならば、親神の守護によって病の根元は一掃され、身体は健康となり心は勇み立って、心身共に陽気づくめとなる。
九ツ ここはこのよのごくらくや わしもはやばやまゐりたい
このように心身共に陽気に勇む時、この世はそのままあらゆる幸福と歓喜のことごとく具わった極楽の世界となる。この結構なたすけの根元であるぢばへ私も早くお詣りしたい。
十ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい
とうとうこの度、胸の掃除が出来上がって、一点の濁りもない澄みきった心になりました。こんな嬉しいことはない。
五下り目
一ツ ひろいせかいのうちなれバ たすけるところがまゝあらう
広い世界の中には、人だすけをする所も、あちこちに数多くあることであろう。
二ツ ふしぎなたすけハこのところ おびやはうそのゆるしだす
しかし親神じきじきの不思議なたすけは、人間創造の元の親里であるこのぢばの理によってのみ現わすのであって、その道あけとして、産屋疱瘡の許しを出す。
おびやゆるし
妊娠六カ月以上になったならば、おぢばへ願い出ると、元の親里の理によって安産をお許しくだされる。このお許しを戴いた者は、誰でも皆安産させていただけるのである。
はうそのゆるし
このお許しを戴いた者は決して疱瘡にかからない。今は証拠もり、すなわちご神符のうち小人のおまもり、すなわち十四歳以下の者の戴くおまりにこの理はおつけくだされている。
三ツ みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる
水と神とは同じ理である。水が万物の汚れを洗い浄めるように、親神は人の心の汚れを洗い浄める。
四ツ よくのないものなけれども かみのまへにハよくはない
人間は誰しも欲のない者はないが、神前に祈る時、一切の欲は消え去って、心はおのずから澄みきってくる。
五ツ いつまでしん/\゛したとてもやうきづくめであるほどに
いつまで信心しても、この道は未来永劫に変わらぬ陽気づくめの道である。
六ツ むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい
他人はどうなってもよいという残忍な心を忘れ去って、互い立て合い扶け合いの優しい心になって来い。
七ツ なんでもなんぎハさゝぬぞへ たすけいちじょのこのところ
親神を慕うて来るならば、決して難儀不自由はさせなばは親神の現われている所、一列人間によろづたすけを現わす世界たすけの本元である。
八ツやまとばかりやないほどにくにくまでへもたすけゆく
大和ばかりではないほどに。広く世界中どこどこまでも救けて回る。
九ツこゝはこのよのもとのぢばめづらしところがあらはれた
ここは、この世・人間を創造した元のぢばである。まことに珍しい所が、この度、表へ現われた。
どうでもしんくするならバ かうをむすぼやないかいな
どうでもこうでも熱心に信心するからには、講を結んで互いに手をつなぎ合い扶け合って、賑やかに信心させていただこうではないか。
かう
講。親神様に救けられ、親神様を慕うて道の兄弟姉妹が相寄り相集まる一手一つの集い。これぞ地上における陽気ぐらしの実現であり、陽気世界の雛型である。本教には数多くの教会があるが、ことごとくぢばの理を中心として結ばれ、その本質において本教の講は一つである。一手一つこそ本教の生命である。
六下り目
一ツ ひとのこゝろといふものハ うたがひぶかいものなるぞ
人間の心というものは、疑惑と猜疑におおわれて、ありありとお見せいただく親神の姿をも見ようとはせぬものであることよ。
二ツ ふしぎなたすけをするからに いかなることもみさだめる
不思議なたすけを現わすからには、善悪共に一切万事を見定める。
三ツ みなせかいのむねのうち かゞみのごとくにうつるなり
世界一列の人間の心遣いは皆、鏡に映すがごとく、親神の心に映るのである。
四ツ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや
世間の嘲笑迫害に屈せず、ようこそよふきづとめについて来た。このよふきづとめこそたすけ一条の根本の道である。
五ツ いつもかぐらやてをどりや すゑではめづらしたすけする
いつもかぐらやてをどりをして、親神のこの世・人間創造の理を現わして、広い世界のすみずみまでもよろづたすけを行きわたらせ、やがては陽気ぐらしの理想世界を実現する。
六ツ むしやうやたらにねがひでる うけとるすぢもせんすぢや
むやみやたらに願い出るが、願い出る人の心に千差万別のあるように、親神の守護もまた千態万様である。
七ツ なんぼしん/\゛したとても こゝろえちがひはならんぞへ
どれほど信心しても、根本の心がけを間違えて、欲や高慢を道連れにしてはならぬ。
八ツ やっぱりしん/\゛せにやならん こゝろえちがひはでなほしや
と言って、やはり現実に、この世をご支配くだされている親神を信心せぬというわけにはいかぬのであるから、誤った心がけで信心してきた者は、もう一度振り出しへ戻って、元一日の心になって、第一歩から正しい信仰の道に進んで来い。
九ツ こまでしん/\゛してからハ ひとつのかうをもみにやならぬ
ここまで信心を続けて来たからには、自分だけ救かったらよいというのではなく、さらに広く世の中の人々を救けさせていただき、一つの講をも結成させていただかねばならぬ。
かう功、講。
十ド このたびみえました あふぎのうかひこれふしぎ
たすけ一条の上から授けられた扇の伺いによって、おたすけの数々をお見せいただき、とうとうこの度、講をお見せいただくことになった。おさづけの理は、まことに鮮やかである。
あふぎのうかゝひ
扇の伺い。この伺いを授けられた者が、扇を持って神前に伺いを立てると、扇に現われる理によって、神意を悟ることができた。元治元年、当時、教祖から、熱心な信心の者に、たすけ一条のために、この伺いをお許しくだされた。
その2はこちら
