みかぐらうたの解説・意味など(みかぐらうた略註 上田嘉成 謹注)七下り目から12下り目まで

以下は上田嘉成先生著のみかぐらうた略註を使っています。

分かりやすく短く端的に解説されています。みかぐらうたに初めて触れる人、意味をもっと深めたい方など、みかぐらうたを理解出来る内容です。

その1はこちら

みかぐらうた節ごとの意味・解説

第四節

七下り目

一ツ ひとことはなしハひのきしん にほひばかりをかけておく

一言、親神様のお話を取り次がせていただくのはひのきいんである。こうしてまず匂いがけをしておく。ひとことはなしちょっと一言話をすること。ひのきしん親神様に感謝の真心を捧げさせていただく働き。三下り目8参照。

二ツ ふかいこゝろがあるなれバ たれもとめるでないほどに

たすけ一条の深い心から言うことであるから、誰もこれを妨げてはならぬ。

三ツ みなせかいのこゝろにハ でんぢのいらぬものハない

世界一列誰しも、田地のほしくないものはなかろう。

四ツ よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな

よい田地があったならば、一列誰でも皆ほしいであろう。

五ツ いづれのかたもおなしこと わしもあのぢをもとめたい

どこの誰も皆同じ、よい田地があったならば、誰でも皆、私もあの土地を求めたいと思う。

六ツ むりにどうせといはんでな そこはめい/\のむねしだい

無理にどうせよとは言わぬ。よい田地を求めようとすれば、高価であるように、無形のよい田地を求めるには、その田地に応じた誠真実の働きが必要である。誠真実の価を出さぬ者にはよい田地は授からぬ。そこをよく思案せよ。

七ツ なんでもでんぢがほしいから あたへハなにほどいるとても

どうでもこうでも立派な田地がほしいから、価は何ほど高くとも、喜んで力いっぱい出させていただきたい。

八ツ やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる

この屋敷は、神の田地である、ここにまいた種は皆生えてきて、各人生涯末代の徳となる。

やしき
元初まりの屋敷、すなわちぢばのある所は、親神様が人間をおはじめくだされた所、親神様のお鎮まりくださる所である。よってぢばに尽くす運ぶきしんの理は、一粒万倍となって珍しいたすけをお現わしくだされ、末代の徳をお授けくだされる。

九 ツこゝハこのよのでんぢなら わしもしつかりたねをまこ

このぢばがよろづのご守護の芽生えてくる、この世の田地と聞かせていただくからには、私もしっかり誠真実の種をまかせていただこう。

十ド このたびいちれつに ようこそたねをまきにきた

たねをまいたるそのかたハ こえをおかずにつくりとり

とうとうこの度、世界一列の人間が、この理に目覚めて、ようこそ誠真実の種をぢばへまきに来た。誠真実の種をまいた者は、金肥、人肥の目に見える肥料を置かずとも、天の理によって、親神の守護は次から次から現われてきて、豊かな天の与えを授けられる。

たね
尽くす、運ぶ、救ける、誠真実の心、ひのきしんの働きを種におたとえくだされている。
こえ
肥、金肥、緑肥、堆肥など、これらの肥は、目に見える稲や麦の根にこそ必要であるが、無形の種には金肥も人肥も必要はない。

八下り目

一ツ ひろいせかいやくになかに いしもたちきもないかいな

広い世界や数多い国々の中に、石も立木もないかいな、と親神はようぼくを求めている。

いし、たちき
石、立木で、世界の心のふしんに必要な人材を、建築用材におたとえになっている。神の用木、用石の意。親神様は、ようぼくを求めて広い世界中をお捜しになっている。

二ツ ふしぎなふしんをするなれど たれにたのみハかけんでな

不思議な普請をするのであるが、誰に頼みをかけるということはしない。

三ツ みなだんとせかいから よりきたことならでけてくる

皆、だんだんと世界中から、神のよふぼくが寄り集まって来たならば、自然とたすけ条の世界のふしんは出来上がってくる。


普請とは心のふしん、世界のふしんであって、たすけ一条の神業の達成を普請とお歌いくださっている。心のふしんが出来てくるところに、教会建築はおのずから出来上がってくる。

四ツ よくのこゝろをうちわすれ とくとこゝろをさだめかけ

欲の心を一切忘れ去って、しっかりと誠真実の心を定めかけよ。

よく
欲こそは八つのほこりの根本である。

こゝろをさだめ
心を定め、八つのほこりを去って、互い立て合い扶け合いの、誠真実の心を定めること。

五ツ いつまでみあわせゐたるとも うちからするのやないほどに

いつまで、ちゅうちょして控えていても、これは内からするのではない。全く親神の神意のままに世界一列の力が寄り集まって出来てくるのである。

うち
内。家族、親族、教内。現在内らにいる者だけの力によって行うものではない。本教の普請は、大きい神意に基づき、広い世界の力を結集して出来てくるものであることを、仰せくだされている。

六ツ むしゃうやたらにせきこむな むねのうちよりしあんせよ

と言ってまた、むやみやたらに急ぐばかりでもならぬ。心のふしんであることを考えて、各人皆とくと、めいめいの心の底から思案して、まず各自の心を澄みきらす工夫をせよ。

七ツ なにかこゝろがすんだなら はやくふしんにとりかゝれ

何か心が澄んだならば、すみやかに普請に着手せよ。

はやく
各人が己の心を澄ます時、ここに皆の心は一手一つに結ばれてくる。これぞ心のふしんであって、この時こそ普請着手の旬である。

八ツ やまのなかへといりこんで いしもたちきもみておいた

山の中へと入り込んで、石も立木も見ておいた。

やま
山。草木生い繁り、未だ開墾されざる所、道のついていない所、本教の未だ布教されておらぬ所。未信者の中。
いし、たちき
山の中には木も石も数多くあるごとく、広い世界には神の用木・用石がたくさんある。親神様は、世界中至らぬ隈なくお回りになって、用木・用石をお見定めになっている。

九ツ このききらうかあのいしと おもへどかみのむねしだい

この木を切って神の用材にしようか、あの石を採取して用石にしようかと思うが、万事はすべて神意のままである。

十ド このたびいちれつに すみきりましたがむねのうち

とうとうこの度、世界中の人々が一列に澄みきってきたのは、まことに喜ばしい極みである。


世界一列の心の澄みきることこそ、親神様のお喜びである。

九下り目

一ツ ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく

広い世界を陽気に手を打って回って、一洗、二洗で人々の心を洗い浄め救けて回る。

せん二せん
一洗二洗、一度、二度とお話を取り次ぎ、人の心を洗い浄める意。

二ツ ふじゆうなきゃうにしてやらう かみのころにもたれつけ

親神は、決して難儀不自由はさせない。安心して親心にもたれてついて来い。

三ツ みれバせかいのこゝろにハ よくがまじりてあるほどに

見渡すと、世界中の人々の心には、欲が混じって濁っている。

四ツ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから

欲があるならばやめてくれ。親神は、濁った欲の心を受け取ることはできないから。

五ツ いづれのかたもおなじこと しあんさだめてついてこい

どこの誰も皆同様、可愛い一列子供に分け隔てはせぬが、天理は公平であるから、ここをよく考えて、誠一つの心を定めて信仰の道について来い。

六ツ むりにでゃうといふでない ころさだめのつくまでハ

無理に出ようと言うのではない。心定めのつくまでは、とくと思案して、真実の心が定まったならば、早く信仰の道に出よ。


信心は自発的のものでなければならぬ。また道に出るには十分真実の心を定めて出させていただかねばならぬ。しっかり心を定め自ら進んで道に進ませていただいてこそ、親神様にお受け取りいただく理がある。

七ツ なかこのたびいちれつに しつかりしあんをせにゃならん

今こそ重大な時旬であるから、この度一列に、よく考えしっかりと反省して、誠真実の心を定め、旬に遅れないように信仰の道に進めよ。

八ツ やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする

山の中においても、あちらこちらと、なむ天理王命と神名を唱えてつとめをしている。

やま
山、山間僻地、人間心の多い上層階級、今まで道のついていなかった所。そのような所でも、次第に信仰に入ってくることをお歌いくだされている。

九ツ こゝでつとめをしてゐれど むねのわかりたものハない

ここでつとめをしていても、真から胸の分かった者はいない。

こゝ
おつとめをしている所。

とてもかみなをよびだせばはやくこもとへたづねでよ

同じ神名を呼び出すならば、すみやかに元の親里であるぢばへをやを尋ねて帰って来い。


十下り目

一ツ ひとのころといふものハ ちょとにわからんものなるぞ

人の心というものは、なかなか分かり難いものである。


二ツ ふしぎなたすけをしてゐれど あらはれでるのがいまはじめ

不思議なたすけをしているが、親神自らじきじき表へ現われるのは、今が初めてである。


三ツ みづのなかなるこのどろう はやくいだしてもらひたい

水の中に混じっているこの泥を、早く除き去ってもらいたい。

みづ
水。親神様から授かったままの人の心の本来の姿を、清水におたとえくだされている。
どろ
泥、欲、八つのほこり。


四ツ よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや

欲には際限がない、泥水と同じである。心が澄みきったならば、この世はそのままに、極楽とも言うべき陽気づくめの理想世界となる。

ごくらく
極楽。仏説によれば西方十万億土にある。微妙の音楽と絶佳の美味とに満ちあふれた万事如意の理想郷。本歌は、この語を用いて、こよなき信仰の喜びを表わし、現実のこの世を、陽気ぐらしの世界とすると、お歌いくださっている。


五ツ いつ/\までもこのことハ はなしのたねになるほどに

心を澄まして一列救かるこの道は、末代までも語り伝えて人だすけの話の種となるほどに。


六ツ むごいことばをだしたるも はやくたすけをいそぐから

手きびしい話をするのも、一刻も早く救けたいとの親心からである。

むごいことば
ひどい言葉。単にお話に限らず、身上事情皆然り。


七ツ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに

身上事情で難儀するのも、皆めいめいの心がけ一つから起こってくることであるから、めいめい自分の思い違い通り違いを恨んで、しっかり反省せよ。


八ツ やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない

病気はつらいものであるが、このつらい病気の根本が何であるかということを、はっきり知った者はない。


九ツ このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ

この度までは、一列に誰も皆、病気の本当の原因を知らずに来た。


十ド このたびあらはれた やまひのもとハころから

とうとうこの度、表へ現われて出た。病気の本当の原因は心にある。


十一下り目

一ツ ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ

日の本、庄屋敷の、神の館のぢば定めが行われる。

ひのもと
日の本、親神様がこの世・人間をはじめ給うたらばのある所。明治八年陰暦五月二十六日ぢば定めを行い給う。この地点こそ、親神様の鎮まり給う所、すなわち神のやかたであって、ここを囲んで、八町四方のおやさとやかたの普請が進められる。

二ツ ふうふそろうてひのきしん これがだいゝちものだねや

夫婦揃うてひのきしんをする。これが何より第一の物種である。

ふうふ
天地の理を象って定められた一夫一婦は、大倫の根本、文明の基調、天の理である。人生幸福のすべては夫婦和合の上に授けられる。
ものだね
物種、一番必要な時に一番必要なものが何でも生えてくる種。夫婦和合して報恩感謝のひのきしんをさせていただくことを、無形の徳の芽生えてくる種とお教えくだされている。


三ツ みれバせかいがだん/\゛と もつこになうてひのきしん

見渡すと世界一列の子供が、だんだんと勇んで出て来て春を担うてひのきしんをする。


四ツ よくをわすれてひのきしん これがだいゝちこえとなる

欲を忘れてひのきしんに進む。これが何よりも第一に、各人の徳を育てる肥となる。

こえ
肥。本歌の肥は無形の肥であって、ひのきしんの実行を肥料におたとえくだされている。


五ツ いつまでもつちもちや まだあるならバわしもゆこ

いついつまでも続く土持ちである。まだあるならば、私も行かせていただこう。

いつゝまでも
切りなしふしんとお教えくださるごとく、土持ちもまた切りがない。心のふしん、すなわちたすけ一条の道のきわみなく伸びて行くことを、お歌いくだされている。


六ツ むりにとめるやないほどに こゝろあるならたれなりと

当人の心に反して無理に止め立てするのではない。土持ちをさせていただこうという自ら進んだ発心があるならば、誰彼の区別はない。誰でもよい。皆、ひのきしんに勇み出よ。


七ツなにかめづらしつちもちゃこれがきしんとなるならバ

今までに見たことも聞いたこともない珍しい土持ちである。これが親神様への寄進となるならば、こんな結構なことはない。皆勇んで働かせていただこう。きしん心からの喜びを親神様に捧げること。


八ツ やしきのつちをほりとりて ところかへるばかりやで

屋敷の土を掘り取って、あちらからこちらへ、こちらからあちらへ運ぶだけのことである。

ところ
所。土持ち作業は建築の基礎工事として行われる。高い所の土を掘って低きに運び、地盤を掘り下げて土台石を据える。そしてまた土を運んで、この土台石をおおうのである。すなわち物をもって寄進するのではなく、働きを捧げるのである。心からの喜びを行いに現わして捧げるところに、ひのきしんの真意義がある。


九ツ このたびまではいちれつに むねがわからんざんねんな

この度までは一列人間が誰も皆、心が澄みきらず、親神の思いが分からなかったのは、まことに残念であった。


十ド ことしハこえおかずじ ふぶんものをつくりとり

やれたのもしゃありがたや

とうとう今年は、親神様の教えをよく悟って、真実の理を了解し、目に見える肥料のみに頼らずして、心の誠真実を親神様に捧げ、このひのきしんの真心をお受け取りいただいた理によって、十分に豊年満作のご守護をいただくことができた。こんな楽しい嬉しい結構なことはない。

こえ
肥、肥料。親神様のご守護をいただくには、ひのきしんこそ第一の肥である。無形の肥を置き、無形の徳をいただくところにこそ、真に豊年満作・商売繁盛・子孫繁栄のご守護をいただくことができる。

十二下り目

一ツ いちにだいくのうかゝひに なにかのこともまかせおく

まず第一に大工の伺いに、委細のことは任せておく。

いちに
一に。建築に着手するにはまず、その方針を策定せねばならぬ。
だいく
大工。心のふしんの上に、親神様の意図を受け、よふぼくを用いて、工事実施に当たる者を大工におたとえくだされている。史実によれば元治元年のつとめ場所の建築に際して「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」と教祖からご教示あり、つづいてのお伺いに「一坪四方のもの建てるのやで」と仰せになり、さらにまた「つぎ足しは心次第」と仰せになって、細部の設計はお任せになった。

二ツ ふしぎなふしんをするならバ うかひたてゝいひつけよ

不思議な普請をするならば、伺いを立て一々神意を伺って、工事実施を言いつけるようにせよ。

ふしぎなふしん
本教は心のふしんである。そして、心のふしんと共に出来てきたのが、つとめ場所の普請であり、ひいては教会建築である。そしてまた、教会建築に一手一つの努力をするところに現われてくるのが、各人の心の成人であり、珍しいたすけである。したがって、これはたすけ普請である。
うかゝ゛ひい
建築の細部を一任された大工は、棟梁である。この棟梁は、自分の恣意によって細部を実施施工するのではない。一々神意を伺うて、神一条の心のふしんを実施させていただくのである。

三ツ みなせかいからだん/\゛と きたるだいくににほいかけ

皆世界からだんだんと集まって来る大工に、たすけ一条の道を匂いがけせよ。

にほいかけ
匂いがけ。信仰は自発的なものであって、強制するべきではないが、全然知らぬ人には、ここにたすけ一条の道があると知らせねば分からない。美しい梅の花がよい香りを放つように、たすけ一条の道を進む者の優しい一言一行は、おのずから匂いがけとなって、人々を親神様のみ教えに導く。

四ツ よきとうりやうかあるならバ はやくこもとへよせておけ

よい棟梁があるならば、早く本元であるぢばへ寄せておけ。

とうりやう
棟梁。用木を用いて建築に当たる大工を指導し区署して建築完成に進む人。心のふしんにおいて、神のようぼくを指揮指導する役に当たる人を仰せになっている。

五ツ いづれとうりやうよにんいる はやくうかゝ゛いたてゝみよ

ゆくゆくは棟梁る一人ではなく四人必要である。早く伺いを立てて神意を聞いてみよ。

よにん
四人。人は皆一人で万能を兼ねることはできない。各人が特長を生かし、しかも衆心一致、各々自己の責任に邁進してこそ、立派な世界のふしんは完成する。四は建築、構成の数字と拝察する。

六ツ むりにこいとハいはんでな いづれだん/\゛つきくるで

無理に来いとは言わぬ。次第次第に、この道について来る。

七ツなにかめづらしこのふしんしかけたことならきりハない

今までに誰も知らぬ、この珍しいたすけ一条の世界のふしんは、はじめたからには際限がない。

八ツ やまのなかへとゆくならバ あらきとうりやうつれてゆけ

山の中へ行くならば、あらき棟梁を連れて行け。

やま
山。草木生い茂り、道なき所。未信の地をおたとえになっている。
あらきとうりやう
新木棟梁、荒木棟梁。大工棟梁の中で、特に原木の選定、伐採製材、木取りに当たる人を言う。新木、荒木、いずれの字も用いる。たすけ一条の先駆として、道なき所に道をつける人材を仰せくだされている。

九ツ これハこざいくとうりやうや たてまへとうりやうこれかんな

これは小細工棟梁である。次は建前棟梁。その次は鉛の専門と、それぞれの役目に当たる者が続々と集まって来た。

こざいくとうりやう
小細工棟梁。建築で言うならば、木取りをした用材に、みを用いてつなぎの工作を施し、また家の内部の細かい作業をする人である。たすけ一条の道にも、この任務に当たる人を必要とする。
たてまへとうりやう
建前棟梁。建築で言うならば、施工した用材を一つの建物に組み立てる人である。たすけ一条の道にも、こういう役割の人を必要とする。
かんな
鉋。建築で言うならば、化粧板に当たる部分、すなわち天井板、腰板、柱などに仕上げ鉋をかける鉋の専門家である。たすけ一条の上にも、このような役目専門の人も必要である。

十ド このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた

とうとうこの度一列に、大工の人々も揃って来た。さあこれから世界のふしんに取りかかる。

そろひきた
揃い来た。人数も揃い心も揃い、一手一つに心を合わせ力を協せることこそ、たすけ一条の使命を達成する上に第一の要件である。

本歌は、大工人衆手揃いとなり、一手一つとなって普請に着手しようという張りきった気分をもって、十二下りの結びとされている。本教が切りなしふしんであり、常に若々しい待望の信仰である真面目を、ここにはっきりと拝察する。