「相手のためを思って」と、良かれと思って言ったことや行動が、実は自分の思いを押し付けていただけだった……。そんな経験はありませんか?
今回ご紹介するのは、ある教会で後継者として歩む方が、日々の生活の中で気づいた「心の使い方」に関するエピソードです。夫婦の絆を見つめ直すきっかけとなったこのお話は、私たち自身の日常生活にも大きなヒントをくれます。
「心配している」はずが、空回りしていた理由
夫婦で教会に住み込み、幼い子供を育てながら布教に努める日々。環境の変化と責任感から余裕を失い、夫婦の会話もどこか雑になっていた頃、奥様が体調を崩されました。歯茎の痛みで食事が満足に取れない奥様を前に、投稿者であるご主人は「何か食べさせなければ」と必死になります。
プリンやゼリーを買い込み、何度も「何か食べられないか」と尋ねるご主人。しかし、奥様からの返事は「いらない」の一言。ご主人は心の中で「なんでそんなに頑固なんだ」と苛立ちを募らせてしまいます。
今、頑固なやつだなって思ったでしょう。でも夫婦は鏡なんだからね。私の姿は(あなた)の姿なんだよ。
奥様のこの言葉に、ご主人はハッとさせられます。実は、普段から自分自身の意見を強く主張し、妻の言葉に耳を傾けていなかったのは自分の方だった――。相手を理解しようとせず、自分の「心配」という名の押し付けをしていたことに気づかされたのです。
ベクトルを「自分」へ向けるということ
この気づきから、ご主人は相手の話を最後まで聞くこと、自分の思いを一度脇に置いてみることの大切さを学びました。何かが起きたとき、つい「相手がこうだから」とベクトルを向けてしまいがちですが、まず自分自身を見つめ直すことで、家庭の空気は驚くほど穏やかになったといいます。
教理においても「夫婦は鏡」と言われる通り、目の前の相手の姿は、自分自身の心を映す鏡なのかもしれません。日常のちょっとした不都合を、心の成長のチャンスに変えていく。そんな信仰の歩みについて、ぜひ動画で詳しくご覧ください。

