皆さんは、子供の頃に「痛いの痛いの飛んでいけ」と、患部をさすってもらった経験はありますか? その何気ない仕草の裏には、実は私たちが想像する以上に深い「いのちの神秘」が隠されているようです。
今回は、身の内の機能と親神様のご守護について、ある教会の日常的なエピソードを通して考えてみたいと思います。元記事(身の内の親神様のご守護 – おやのことば・おやのこころ | 天理時報オンライン)はこちら。
「痛いの痛いの飛んでいけ」のメカニズムと信仰
最近の研究で、患部をさすることで痛みが和らぐメカニズムが科学的に解明されつつあるそうです。動物にも備わっている「触覚神経」が重要な役割を果たしているといいます。
もちろん、信仰における「おさづけ(親神様の思し召しを頂いて病気平癒などを願う祈り)」と、古くからあるおまじないは全く次元の異なるものです。しかし、私たちの体の中で起きている「回復」という奇跡を考えると、改めて教祖の教えの深さに気づかされます。
この身の内離れて神はなし。(『稿本天理教教祖伝逸話篇』164「可愛い一杯」)
私たちの体は、ただ肉体的な機能だけで動いているのではありません。親神様の十全のご守護という「目に見えない働き」が、絶え間なく、休むことなく私たちの生命を支え続けてくださっているのです。
日常の中にある感謝の種
執筆者の教会では先日、足を骨折してしまった少年が、「おさづけ」を取り次ぎ、祭典でおつとめを勤める中で、当初の予想よりもずっと早い回復を見せたそうです。
骨折という辛い経験も、神様のご守護を改めて実感する「感謝のきっかけ」へと変わりました。少年は間もなく「こどもおぢばがえり」に参加予定とのこと。元気な姿でおぢばに帰ってくる彼の成長が、今からとても楽しみですね。
結びに
日常の小さな不調も、大きな怪我も、全ては親神様との対話のチャンスかもしれません。自分の体は自分だけのものではなく、親神様からの「借り物」。そう意識するだけで、体に対するいたわりの気持ちも、日々への感謝も、より一層深まっていくのではないでしょうか。

