最近、インターネットを開くと「AIに聞く」というボタンが目に入る機会が増えましたね。便利なツールである一方、時には少し「おせっかい」だと感じてしまうことはありませんか?
今回は、エッセイストの岸本葉子さんが綴る、AIとのちょっぴり不思議でリアルな距離感のお話をご紹介します。私たちの生活に急速に浸透するテクノロジーと、どう付き合っていくのが「心地よい暮らし」につながるのか、一緒に考えてみましょう。
便利さと不安の境界線
岸本さんは、足の甲を捻挫してしまった際、ついAIに症状を相談してしまいました。レントゲン診断の結果に加え、AIから返ってきたのは「靱帯の断裂」や「リスフラン関節症」といった、不安をかき立てる専門的な情報でした。
AIは即座に寄り添うような言葉をかけてくれますが、調べれば調べるほど、漢字ばかりの難しい病名や「もしも」の可能性が次々に提示されます。画面の向こう側の「親切な回答」が、かえって心を落ち着かなくさせてしまう――。そんな経験、皆さんも心当たりはありませんか?
「待つ」という回復のプロセス
結局、お医者さんの指示通りに「二週間」という時間を過ごすうちに、足の痛みは自然と引いていきました。岸本さんはこう振り返ります。
回復には時が必要というわけで。AIへの相談はほどほどにしておこう。
何でも瞬時に答えが出る時代だからこそ、体や心の回復には「時が必要である」という事実は、とても大切な教えのように響きます。信仰の道においても、理(ことわり)のままに「待つ」ことや、「任せる」ことが救いにつながる場面は多いものです。AIという便利な道具を使いつつも、それに振り回されず、自分の感覚や目の前の歩みを大切にすることが、Well-being(良い状態)を保つ秘訣かもしれません。
日常のふとした出来事から、「今」をどう生きるかを考える岸本さんのエッセイの全編は、ぜひ天理時報オンラインでご覧ください。

