「自分が助けている」なんて思っていませんか?看護師ようぼくが修養科で気づいた「低い心」の真意

日々の忙しさの中で「心」を見失っていませんか?

仕事や家庭のことで精一杯になり、つい自分の「正しさ」を押し通してしまったり、頑張っているのにうまくいかないと悩んだりすることはありませんか?

今回ご紹介するのは、難病を抱えながら看護師として懸命に生きてきた一人の女性の物語です。彼女が修養科(おぢばで3カ月間、教えを学ぶ期間)での生活を通じて出会った「低い心」という教え。それは、医療現場で命と向き合う彼女にとって、そして忙しい毎日を過ごす私たちにとっても、心穏やかに生きるための大切なヒントでした。

3分でわかる!この記事のポイント

  • 難病や仕事のプレッシャーに直面し、立ち止まった看護師の吉井さんが「修養科」で学んだ大切なこと。
  • 「自分が救っている」という傲慢な心に気づかせてくれた、仲間との出会いと「低い心」の教え。
  • 「人救けたら我が身救かる」の実践で、体調にも変化が。悩むあなたの心に寄り添う体験談です。

「自分が助けている」という高ぶりが、心の余裕を奪っていた

吉井さんは看護師として働く中で、責任の重さと体調の悪化に悩み、心身ともに限界を感じていました。そんな時、修養科で出会ったのが、かつて彼女が勤務していた病院の元入院患者さんでした。以前は寝たきりだったその方が、おぢばの地で感謝に満ちて歩く姿に、吉井さんは強く心を動かされます。

しかし、その方に突然の「大節(おおふし:困難な状況)」が訪れます。悩む吉井さんに、担任の先生がかけてくれた言葉がこちらです。

目は「くにとこたちのみこと」のお働き。水のように低い心が大切

「自分が人を助けている」と思い上がっていた自分を深く反省した彼女は、そこから「低い心」で相手に寄り添うことを心に決めました。看護師としてのスキルだけでなく、神様のお心に叶う「低い姿勢」で人と接することの大切さに気づいたのです。

苦しみの中にこそある「救け」の種

その後、彼女は迷わずおさづけ(病気や悩みに対する祈り)を毎日取り次ぐことを決意します。不思議なことに、その決意と行動は、自身の持病である「潰瘍性大腸炎」の症状が落ち着くという、思いがけないご守護となって表れました。

「人救けたら我が身救かる」という教えは、決して他人事ではなく、自分の心を変えることから始まるもの。彼女が修養科で学んだのは、医療技術以上に「相手の苦しみに深く寄り添う」という、ようぼくとしての根幹の姿勢でした。

吉井さんの体験談の全文は、下記よりお読みいただけます。日常に疲れたとき、もう一度自分らしい「心」を取り戻したいときに、ぜひ触れてみてください。

元記事(「低い心」で寄り添う“看護ようぼく”に – 修養科の四季 | 天理時報オンライン)はこちら