日々の力みを「ふっ」と手放す、心の整え方
毎日、仕事や家事、子育てに追われて「自分が頑張らなきゃ」と力んでいませんか?そんな時こそ、少しだけ肩の力を抜いてみませんか。
この記事では、音楽家の高木正勝さんの演奏スタイルからヒントを得て、信仰に基づいた「心を澄ます暮らし方」についてお話しします。読むだけで、今の忙しい日々が少しだけ楽に、そして豊かに感じられるようになるはずです。
3行でわかる!今日のポイント
- 自分を表現しようとする力みを「手放す」ことが、実は心地よい結果につながる。
- 「我(が)」を払うことで、親神様の温かな理(おやさまの守護)が真っ直ぐ見えてくる。
- 特別な修行ではなく、日常の中で「心を澄ます」ことが、信仰の大切なステップである。
「自分が頑張る」から「生かされている」へ
最近、作曲家の高木正勝さんの音楽に触れる機会がありました。山奥の自然の中で、窓の外から聞こえる雨音や鳥の声を「主旋律(メインメロディ)」とし、ピアノはそこにそっと添えるだけ。そんな演奏からは、すべてを包み込むような優しさが伝わってきます。
これは、私たちの日々の生き方にも通じるのではないでしょうか。「自分が頑張らねば」と我を通そうとするのではなく、ありのままの自然や、周りの環境と調和する。そんな姿勢が、思いがけない豊かさを生み出します。
心を澄ませば、親心に気づける
『天理教教典』には、私たちの心を治めるための大切な教えが記されています。
「心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映る」
「我が身思案」とは、自分勝手な考えや執着のこと。これを取り払うことは、決して自分を否定することではありません。澄んだ水面が空をそのまま映すように、心の「我」を薄くすることで、これまで気づかなかった親神様の温かい守護(理)に気づけるようになるのです。
特別なことではなく、日常の準備として
「心を澄ます」ために、山にこもる必要はありません。気忙しい毎日のただなかで、ふと「自分ひとりで頑張っているんじゃないんだな」と、生かされている自分に思いを馳せてみる。その小さな心の切り替えこそが、親神様の理を真っ直ぐに受け取るための大切な準備になります。
「何かを成し遂げよう」と力むときこそ、一度立ち止まって、心をフラットにしてみませんか。
もっと深く学びたい方へ
今回ご紹介したお話は、可児義孝教会長によるコラムです。心穏やかに日々を過ごすためのヒントが詰まっています。ぜひ、全文を読み進めてみてくださいね。
