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ロサンゼルス天理柔道師範/髙橋徳三さん×伊勢谷スポーツ俱楽部

「笑顔・あいさつ・思いやり」

ロサンゼルス天理柔道――。

1962年、二代真柱様がロサンゼルス教会の構内に創建され、アメリカ伝道庁が運営している。現在、そこで師範を務めているのが髙橋徳三さんだ。

天理柔道を学び、異文化のロサンゼルス(以下・LA)でどのように指導しているのか。髙橋さんのベースにある天理柔道への恩返し、そして信仰姿勢に迫る。

天理柔道への恩返し

―柔道を始めたのはいつですか?

小学2年から道場に通い始めました。練習がとても楽しくて、柔道の楽しさを教えてもらいました。中学でも試合の勝敗より、楽しかった思い出が強く残っていますね。
祖父が旧制の天理中柔道部出身だったこともあり、父からは天理高柔道部を勧められました。天理高出身の兄姉から厳しさは聞いていましたが、「逃げ出すことはないだろう」と格好いいことを言って入部を決めました。祖父はとても喜んでくれました。

―天理高柔道部に入部してどうでしたか?

逃げ出すほどしんどかったです(笑)。全国レベルの選手ばかりで練習が厳しく、部員約40人中、私が一番弱かったと思います。夏休み明けに学校も辞める覚悟で逃げ出したこともありました。ですが、先輩方から励ましてもらい、厳しい練習に耐えることができました。2年生になると、精神的に余裕ができて、「強くなりたい!」という気持ちが芽生えてきました。空き時間はトレーニングに励み、3年生のときに県大会で優勝することができました。

―天理大、社会人でも柔道を続けられていますね。

大学時代、篠原信一先輩(シドニー五輪銀メダリスト)には本当に鍛えていただきました。練習に厳しい方で、乱取り(互いに技を掛け合う練習)で倒されたら必ず寝技をかけられるんです。先輩の寝技は絶対に逃げられないので、投げられても膝を付かないように意識していました。おかげで成長することができたと思います。卒業後は新日本製鐵で柔道を続けました。

天理柔道は基本に忠実です。お互いにしっかり組んだ状態から技を掛け合う練習を繰り返すので、組むと強いんです。学生時代にしっかり組んで一本を取る王道の柔道を、そして社会人で組むまでのテクニックを得て、自分の柔道が確立されました。

6月上旬、LA道場の生徒を連れて帰国していた髙橋さん。取材当日は本部神殿に教え子を初参拝にお連れしていた。

―なぜLA天理道場に行かれたんですか?

引退後は、天理柔道に恩返ししたいと考えていました。指導者として良い選手を育て、天理に送り込みたいと思っていましたが、なかなかご縁がありませんでした。

引退を考えていた31歳のとき、天理大柔道部OB会で、細川伸二先生(ロサンゼルス五輪金メダリスト・天理大教授)がLA道場の師範の後任について話をされており、「私が行くことはできますか?」とお伺いしました。本当に行きたいなら話を進めると言ってくださり、お願いしました。

―恩返しとはいえ、ものすごい決断ですね!天理柔道を通して身に付いたことは何ですか?

目標がある場合、選択肢が二つあったら苦しい方を選べるようになりました。柔道選手として強くなりたかったので、練習後、さらにトレーニングをするか、身体を休めるのかとなったときに、トレーニングを選ぶことができた。また苦しいときでも物事を前向きに考えられるようになったのは、信仰のおかげです。天理柔道のおかげで今の自分があると心の底から思っています。

帰宅後、妻に報告したら「徳ちゃんが行きたいならいいよ」と言ってくれました。見切り発車を受け入れてくれた妻には感謝しています。

心底楽しむ柔道

―異国の地での柔道指導、苦労も多かったと思います。

最初は大変でした。道場内にテーピングのカスが落ちていたり、ペットボトルが置きっぱなしだったり、靴のまま入ってきたり、日本では考えられないことです。でも、生徒たちは教えられてないだけで悪気はないんです。なので、日本の文化、柔道の文化を丁寧に教えることから始めました。また「ゴミが落ちていたら拾おうね」、「親のお手伝いしようね」、「あいさつをしようね」といったことを伝えています。すると、みんなあいさつができるようになるんです。

最も戸惑った文化の違いはなんですか?

LAの生徒は何でも質問します。打ち込み(移動しながら相手を投げる練習)をするとき、日本では言われた通り練習をしますが、LAでは「なぜそうするんですか」、「こうした方が良くないですか」などと聞かれます。私自身、現役中はただ言われた通り練習していたので、「確かになぜだろう」と理屈が分からないことが多々ありました。日本だと「いいからやりなさい」で通用しますが、彼らには響きません。咄嗟の質問に答えようとすることで私自身の気づきがたくさんあります。今は全ての疑問に答えられるようにしています。

―「いいからやりなさい」ではなく、彼らに合わせる対応ができたのはなぜですか?

アメリカにいたら自然とそうなると思います。アメリカは上下関係がなく、年上でも呼び捨てで呼んだりと対等です。「指導者に言われるからやる」ではなく、「自分がやりたいから、強くなりたいからやる」なんです。高圧的な指導をしても通用しません。

彼らは柔道をやりたければ続けるし、やめたかったらやめます。企業でも終身雇用は通用せず、いつでも会社を辞めます。再就職時の面接で転職経験があると好印象で、多く転職していると経験豊富で、広い世界を見ていると評価されます。

―天理柔道で学んだ耐える精神が、アメリカだと通用しないということですか?

いえ、自分が何をしたいかによります。やりたくない、目標がないことはやらないけど、やりたくて目標があることには全力で打ち込む。なので、LAで柔道を続けている生徒は柔道を心底楽しんでいると思います。練習態度も意欲的で、常に挑戦しています。私の顔色を見て練習するような生徒は一人もいないですね。

堂々とした体躯の髙橋さん。指導の傍ら、現役復帰を果たして、昨年はグランドスラム東京大会にも出場した。

行きたくなる道場に

―柔道指導で意識していることはありますか?

アメリカで柔道はマイナースポーツで、金メダルを獲っても生活は保障されないし、道場を開いてもビジネスとして成り立ちません。なので、柔道で結果を残させてあげたいのはもちろん、将来彼らが社会や企業で人に喜ばれる人材に育てたいんです。

―なぜそのように思うのですか?

もちろん信仰です。幼少から「人だすけ」というワードが飛び交う環境で育ったおかげです。人の価値は「どれだけ人に喜びを与えられるか」だと思っています。あいさつをして「おはよう」って返ってきたら気持ちいいし、その喜びを与えられるのはその人の価値だと思います。逆に、横領などをして自分だけ喜ぼうとする人を見るとそれは違うなと思います。

自分の子ども達が登校する前に、毎朝「笑顔・あいさつ・思いやり」と伝えています。渡米当初、言葉ですごく苦労しました。買い物中、店員に欲しいものを伝えても、通じないことがあるんです。そのとき、ムスッとせずに、笑顔であいさつしてから片言の英語で伝えると、相手が理解しようとしてくれます。同じことをしても笑顔とあいさつがあると結果が変わるんです。また、「見返りを求めずに、人が喜ぶことをすること」が思いやりの定義だと思っています。人だすけの精神があれば、世界のどこにいても人を喜ばせることができますよね。

試合前、コーチとしてスタッフや審判員など全員に笑顔であいさつをしています。すると微妙な判定のとき、我々に有利な判定をしてくれる気がします。下心なく純粋にあいさつをしているだけですが、結果的にそうなるんです。

―なるほど!とても大切なことですよね。

私はLAで日本酒販売の仕事をしていますが、以前こんなことがありました。高級寿司店で、常ににこやかに対応しているシェフがいました。その姿を見ていた投資家が彼に惚れ込んで「私が投資するから独立しなよ」と提案したんです。「笑顔・あいさつ・思いやり」があれば人生が激変しますよ。

―その精神はベースに信仰があるからですか?

もちろん信仰は私の根底にありましたが、若い頃は信仰と向き合う余裕がなく、未熟さ故に信仰のありがたさに気づいていなかったと思います。LAで多くの経験を積んだことで、信仰の素晴らしさに気付き、根付いていたものを表現できるようになりました。

伝道庁に掲げられている大亮様のご揮毫

―やはり信仰は日々なんですね。今後の夢を教えてください。

数年前、大亮様がアメリカ伝道庁にお越しくださり、「行きたくなる伝道庁に」とご揮毫くださいました。道場も同じだなと思いました。道場に来てくれた人に笑顔であいさつをすると、また来てくれる。逆に愛想なく対応してしまうと、来なくなるんです。一人でも多くの方に足を運んでもらえる道場にしていきたいですね。

そして、来てくれた人には柔道で勝つ喜びを味わわせてあげたいです。2028年のLAオリンピックは地元開催なので、天理の柔道で代表選手を送り込みたいです。

伊勢谷のふりかえり

「日本人は思いやりが染み付いているんです」

髙橋さんが思いやりの定義に続いて、話してくれた言葉だ。

以前、LAの生徒と帰国した際、ある道場に練習に行くと、そこの生徒がみんなの脱いだ靴を揃えていた。みんなが履きやすいようにと行動する姿に触れて、アメリカではあまり見ない光景だなと感じたそうだ。

取材を通して、LA柔道の魅力をたくさん知った。柔道にアメリカ文化が融合した姿に、我々が学ぶべき点は多々あるように感じた。

しかし髙橋さんは日本、そして天理柔道の素晴らしさも感じさせてくれた。基本を大切にする、つらい方を選択できる、思いやりが染み付いている。これらは将来必ず人生を豊かにしてくれる要素だと思う。

隣の芝の青さに目が行きがちな私にとって、今いる芝の美しさやたくましさに気付けているか問われたような気がする。

(文・伊勢谷和海 写真・永尾泰志)

髙橋徳三さん/(TAKAHASHI TOKUZO)

1976年、北海道生まれ。7歳で柔道を始め、天理高・天理大と柔道部に所属。卒業後、新日本製鐵柔道部時代に環太平洋柔道選手権大会準優勝。引退後、2008年からLA天理柔道師範を務める。指導の傍ら、自らも現役復帰を果たし、全米選手権優勝、グランドスラム東京大会出場など活躍されている。

伊勢谷和海/ ISETANI KAZUMI

1984年愛知県生まれ。天理高校、天理大学卒業後、天理高校職員(北寮幹事)として勤務。好きなスポーツは野球・陸上・相撲・ラグビーなど多岐にわたる。スポーツが好き過ぎて、甲子園で校歌を数回聞くと覚えてしまい、30校以上の校歌が歌える。スポーツ選手の生年月日・出身校も一度見たら覚える。高校野球YouTubeチャンネル「イセサンTV」を開設。ちまたでは「スポーツWikipedia」と称される。

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