布教を志す人が一年間と仕切ってにをいがけ・おたすけに明け暮れる「布教の家」。現在、全国各地に男子寮13カ所、女子寮3カ所が設置されている。東京寮の卒寮生でもある大川敬祐さん(36歳・遊木浦分教会)は、同寮の育成員などを経て、今年4月に副寮長に就任した。第5回目の「薫り人」は、日々、寮生を見守る若き育成者の〝にをい〟を特集する。
5月末の取材当日、朝から豪雨に見舞われた首都圏。しかし、豊島区巣鴨の住宅街にある布教の家「東京寮」に到着した午後には、急に晴れ間が広がった。
「お待ちしておりましたぁ!!」
東京寮1年、単独布教3年、寮の育成員7年、そして副寮長――。
25歳から約11年間、東京の街を歩き尽くしている男の顔は日焼けで浅黒く光り、白い歯がひときわ目立つ。彼の内面からにじみ出る強烈な威勢によって、周囲の照度が一気に上がったような気がした。大川さんと元々親交がある記者は、内心で「大川、ご降臨」とつぶやいた。
「ただいま帰りました!」
寮生の一人が帰ってくると、「おう、お帰り!! 今日はどうやった?」と元気よく迎える大川さん。しばらく寮生の報告に親身になって耳を傾けた。
「寮生をいつも元気に迎えているんですね」と称賛すると、大川さんは真剣な顔つきで改まった口調で言った。
「いいえ、今日は取材陣がいるので『副寮長』っぽく、いい人を演じているだけです」
次の瞬間、「どぅわはははははは!!」とはちきれんばかりの笑顔で笑う大川さん。豪傑かつ、どこか深い優しさを感じさせる笑い。歴代の寮生たちから〝仏の大川〟と呼ばれる所以の一端がうかがえた。
昔はホント〝鬼〟だった
「修養科で天理教の素晴らしさにハマってしまいました」
そんな大川さんは三重県内にある教会の長男として生まれた。地元の高校を卒業後、愛知県の大学へ進学。卒業後は、バイト先だった飲食店への就職を考えていた。
当時の風貌は、髪も眉毛も髭も〝オール金〟。
「若い時はチャラチャラしてましたし、ホント遊びまくっていましたね。いまは〝仏の大川〟とか言われたりしますが、昔は見た目も心も〝鬼〟でした」
そんな時、両親から修養科を勧められた。
「別にお道は嫌いでなかったし、修養科は『女の子がいるから』という男としての〝純粋な理由〟で志願しました(笑)。入った当初、同じ部類の修養科生と第一食堂でケンカしたり・・・・・・と、メチャクチャして周囲に迷惑を掛けていました」
修養科2カ月目の頃、鬼が布教師に変貌する〝キッカケ〟があった。
「私と同じようなヤンチャそうな修養科生が、高齢のおばあさんが座った車イスを押していたんです。しかも、挨拶や言葉使いもすごく優しく、ハツラツとして礼儀も正しくて。とにかく衝撃でした。当時の私は『めちゃくちゃカッコイイ! 俺も天理教の教えで変わるんだ!』って、その時、心を入れ替えました」
この出来事を契機に、積極的に教えを求めるとともに、周囲の人たちから勧められる信仰実践を素直に実行するようになった。
「ある人から『回廊ふきは、いいひのきしんだ』と言われて、ストイック過ぎて一日7周しているときもありました(笑)。ちょうどその時、修養科では『鬼の回廊ふき』って噂が立ちましたよ!」
こう言い放って豪快に笑う男には、鬼の気配は全く感じられない。
布教師ってかっこいい!
「お道のことを阿呆になってやればやるほど、人として成長していることが実感できました。就職することも忘れるほど、信仰に没頭しましたね」
修養科修了後、上級教会の住み込み青年となった。「布教の家」の存在を知ったのは、その頃だ。「布教師ってかっこいい! 大都会東京で旗を揚げてやる!と思いました」
25歳の青年は、そんな熱い志をもって東京寮に入寮した。
「他の寮生に負けてたまるものかと闘争心をむき出しでした。毎日100軒以上回ったり、十二下りも毎日三回勤めたり、さらには毎日上級や大教会に手紙を書いたり・・・・・・。信仰の浅い私は、他の人の倍動いて、他の人がしないことをしないとダメだと思っていました」
入寮3カ月が過ぎた頃、徐々に話を聞いてくれる人が現れ始めた。その後、入寮時に定めていた「修養科生をご守護いただく」という目標を達成するなど、歩けば歩くほどにをいが掛かった。
「言葉に表せないにをいがけの喜び」を実感した大川さん。東京寮を終えた後、上級教会長から3年間という期間で単独布教の許しを得た。
しかし、その3年間は、全くにをいが掛からなかった。一方、寮生たちは帰参者をご守護いただいた。
「『自分はデキる布教師だ』ってテングになっていました。布教の家はおぢばの息と真柱様の親心が掛けられているからご守護があったんやと思いますが、単独布教では私一人の徳だけが頼りです。この3年から学んだことは、『自分には力が無い』と自覚できたことです」
教祖130年祭の年祭活動に入る直前、大川さんは東京寮の舎監兼育成員に選任された。以降、毎年顔ぶれが変わる寮生たちと寝食を共にするとともに、一緒ににをいがけに歩いてきた。
お前ら〝テング〟になれ!
副寮長の日課は寮の朝づとめやお話(朝席)などから始まる。さらには、寮生活のサポートはもとより、寮生から布教に関する相談を受けたり、共に布教に歩いたりする毎日だ。
「おぉ、めちゃくちゃウマそうな夕食やんけ!」
夕食の支度をする寮生に親しく声を掛ける大川さん。彼が豪快に笑えば、自然と寮生たちにも笑いが広がる。
「副寮長先生は、器が大きい〝兄貴〟という感じです。布教の道中の悩みや不安を、笑いで吹き飛ばしてくれます」とハツラツと話すのは寮生Kさん(23歳)。寮生Tさん(27歳)は「布教前の朝席で、ご自身の苦いおたすけ体験ですら、面白おかしく伝えてくださいます。そのお陰で、毎日心を倒さず勇んで布教に出られています」と笑顔を見せた。
「とにかく寮生さんに勇んでもらうことが私の役目」と強調する大川さんには、育成者としてのモットーがある。
それは「寮生が〝テング〟になることを手伝うこと」だ。
「根本的に、布教の真髄は誰に教わるものでもなく、自分で動いてつかむものです。寮生さんには、せっかく歩くのだから『俺の布教で世界が変わるんだ!』『俺の力で天理教をにぎやかにするんだ!』と、勘違いでいいから自己肯定感と勇み心マックスで街頭に出てもらいたいんです。もちろん、途中で鼻をへし折られる時が必ず来ますが、まずはそんな熱い気概を持ってもらいたいんです」
そのために、「怒らない、叱らない」という方針を徹底している。それは恩師から学んだ〝育成のコツ〟だった。
「恩師である丸山祐一郎・前寮長先生は、どんな時も『いいじゃないか! ははははは!』って明るく笑い飛ばしてくださり、私は幾度となく心を救けてもらいました。私が私情でイライラしているところを見せたり、その時の感情にまかせて叱咤したりすれば、寮生の心は勇みませんし、育成者失格です。だから私は、彼らを褒め、喜ばせ、笑わせ、そして勇ませることに徹しています」
大川さんは、寮内でひのきしんに励む寮生たちの姿を遠目に見ながら言った。
「この2カ月間、がむしゃらに歩いて布教師らしい顔に変わってきました。アイツらの顔、めちゃくちゃ輝いてるでしょ?」
東京寮の〝兄貴〟は、今日一番の優しい表情を見せた。
(文=石倉勤、写真=廣田真人)
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