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加見兵四郎(かみ ひょうしろう)
東海初代会長。天保14年生まれ、明治5年、妹・きくから勧められ入信。以来、妻・つねのをびや許し、自分と長女の眼病の御守護を頂く。布教に励み、心勇講の結成と、敷島の教会設立に貢献する。伊勢地方へも布教して、明治26年、教会を設立。大正7年、76歳で出直。
登場する逸話篇
逸話篇 34 「月日許した」
「さあ/\それはなあ、そのお洗米を三つに分けて、うちへかえりたら、その一つ分を家内に頂かし、産気ついたら、またその一つ分を頂かし、産み下ろしたら、残りの一つ分を頂かすのやで。
そうしたなら、これまでのようにもたれ物要らず、毒いみ要らず、腹帯要らず、低い枕で、常の通りでよいのやで。すこしも心配するやないで。心配したらいかんで。疑うてはならんで。ここはなあ、人間はじめた屋敷やで。親里やで。必ず、疑うやないで。月日許したと言うたら、許したのやで。」
逸話篇 167 「人救けたら」
「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で抑えているのやで。そのなあ、抑えているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」
「人言伝ては、人言伝て。人頼みは、人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた話した分にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」
「それはなあ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい。救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで。」