「自分にとって意味があるかどうか」で、目の前の出来事を判断していませんか?
日常生活の中で、私たちはついつい損得や効率で物事を考えてしまいがちです。今回ご紹介する動画では、ある教会長が体験した「お祖父さんのお見舞い」を巡る夫婦のすれ違いと、そこから学んだ大切な教えについてお話しされています。
「行っても意味ないやろ」と反発してしまった帰り道
お助けの勉強会に参加し、人のために尽くすことの尊さを学んで帰宅したある日のこと。奥様から「お祖父さんのお見舞いに行こう」と誘われます。しかし、お祖父さんの容態は落ち着いており、退院も間近。雨の中、わざわざ行く必要性に疑問を感じた教会長は、思わず「行っても意味ないやろ」と反発してしまいます。
夫婦喧嘩の末に渋々病院へ向かった二人。しかし、病室で待っていたのは、意外な光景でした。
「今日はお授け(病気平癒のお祈り)をしてもらってないから待っていた。やってほしい」
そう願うお祖父さんの言葉を聞き、自分の小ささを恥じたといいます。そこから夫婦の悩みを打ち明けると、お祖父さんは涙ながらに自身の信仰経験を語り、結果として夫婦にとってかけがえのない「救い」の時間となったのです。
目の前の出来事には、必ず神様の思いがある
この経験を通じ、教会長はこう語ります。
「大切なのは、目の前の出来事に自分で勝手に意味を決めることではない。そこにある神様の思いを支案(じっくりと思いを巡らせること)することなんだ」
私たちは「自分の納得」を基準に生きがちですが、本当に大切なのは、どんな些細な出来事の中にも神様の配慮があることに気づくこと。人の助かりを願い、誠を尽くす日々の積み重ねこそが、巡り巡って自分自身の喜びにつながるのだと気づかされます。
ぜひ、皆さんも動画を通して、日々の心づかいを見つめ直すヒントを受け取ってみてください。


