みかぐらうた「四下り目」の意味と現代語訳|原文つきで詳しく解説
四下り目では、人の言葉に迷わず、胸の内を澄ませ、たすけ合いへ向かう心づかいが歌われます。
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- このページで解説する歌
- 四下り目の全体の意味
- 四下り目1つの原文と現代語訳
- みかぐらうた「四下り目1つ」の現代語訳と意味
- 四下り目2の原文と現代語訳
- みかぐらうた「四下り目2」の現代語訳と意味
- 四下り目3の原文と現代語訳
- みかぐらうた「四下り目3」の現代語訳と意味
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- 四下り目7の原文と現代語訳
- みかぐらうた「四下り目7」の現代語訳と意味
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- 四下り目9の原文と現代語訳
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- 四下り目10の原文と現代語訳
- みかぐらうた「四下り目10」の現代語訳と意味
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このページで解説する歌
四下り目の全体の意味
四下り目では、人の言葉に迷わず、胸の内を澄ませ、たすけ合いへ向かう心づかいが歌われます。
四下り目1つの原文と現代語訳
原文
一ッ ひとがなにごといはうとも
かみがみているきをしずめ
現代語訳
世間の人々があなたに対してどのような非難や悪口を言おうとも、決して心を乱してはなりません。親神様はあなたの誠の心と行いの真実を、すべて見抜き見通してくださっています。ですから、親神様の自由自在なご守護を固く信じ、怒りや不安を鎮めて、心静かにこの信仰の道を通りなさい。
短い意味
「世間の人が何と非難しようとも、親神様がすべてを見抜き見通してくださっているのだから、心を静めて親神様にお任せしなさい」という、神様への全幅の信頼と安心感を教えるお歌です。
みかぐらうた「四下り目1つ」の現代語訳と意味
みかぐらうたの「四下り目1つ(一ッ ひとがなにごといはうとも)」は、周囲の人々からの非難や無理解に対して、親神様を信じて心を静めることの大切さを教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた深い意味や解釈を学ぶことで、いかなる時も親神様にもたれきる、揺るぎない安心感と信仰の姿勢を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ひとがなにごといはうとも:世間の人々が、教えに対する無理解からどのような悪口や非難、嘲笑を言おうとも、という意味です。たすけ一条の道を歩む上で避けられない、周囲からの反対や困難な状況を指しています。
- かみがみている:人間の浅はかな目には見えなくても、親神様はすべての人間の心の内や行いの真実を、寸分の狂いもなく見抜き、見通してくださっているという教理です。
- きをしずめ(気を鎮め):人の言葉に動揺して腹を立てたり、不安になったりするのではなく、親神様のご守護を信じ切って心を落ち着かせること。怒りや悲しみといった「ほこり」の心を払い、静かで穏やかな心で信仰を通るよう諭されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目1つ」を通して、私たちは世間の声に惑わされない確固たる信仰心と、親神様への全幅の信頼の大切さを学びます。
- 他人の非難や中傷に心を乱さず、常に親神様が見守ってくださっているという安心感を持つこと
- 人の言葉に腹を立てるのではなく、「気を鎮める」ことで自らの心の修養へとつなげること
- すべてを見通されている親神様に全面的にもたれきり、たすけ一条の道を心静かに歩む姿勢の尊さ
四下り目2の原文と現代語訳
原文
二ッ ふたりのこゝろををさめいるよ
なにかのことをもあらはれる
現代語訳
夫婦二人がお互いの心を一つに結び合わせ、親神様の教えの通りに誠真実の心で治めて通るならば。家庭の基盤である夫婦が和合することで、一切万事、どんな喜ばしいご守護や楽しみな出来事も、親神様のお働きによって次々と目の前に現れてくるのです。
短い意味
「夫婦二人が心を一つに合わせて治めて通るならば、一切万事、どんな喜ばしいことや楽しみなことも、親神様のご守護によって現れてくる」という、夫婦和合の大切さを教えるお歌です。
みかぐらうた「四下り目2」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第2首「二ッ ふたりのこゝろををさめいよ」は、信仰生活および人間生活の基盤となる「夫婦和合」の重要性を教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において夫婦の心を治めることがいかに大きなご守護に繋がるかを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- ふたりのこゝろ(二人の心):主に「夫婦二人」の心を指します。天理教では、天と地の理を象って夫婦が創造されたと教えられており(『ちよとはなし』参照)、人間関係の最も根本である夫婦が心を一つに合わせることが重要視されています。
- をさめいよ(治めいよ):互いに譲り合い、たすけ合って、穏やかで誠真実の心に治めて通りなさい、という意味です。
- なにかの事をもあらはれる:「何かの事も現れる」ということであり、夫婦が心を一つに治めるならば、一切万事、どんな喜び事や楽しみな事、素晴らしいご守護が現れてくるというお約束です。逆に言えば、心が治まっていなければ難渋な事も現れてしまうという戒めも含まれています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目2」を通して、私たちは夫婦和合が陽気ぐらしの第一歩であることを学びます。
- 一番身近な存在である夫婦が、まず心を一つに結び合わせることの大切さ
- 夫婦の心が治まってこそ、親神様からの喜ばしいご守護(楽しみな出来事)が現れるという教理
- 家庭内の平和や和合が、やがてあらゆる喜び事(何かの事も現れる)へと繋がっていくという確信
四下り目3の原文と現代語訳
原文
三ッ みなみてゐよそばなもの
かみのすることなすことを
現代語訳
教祖(おやさま)のお側にいる人々、またこの教えの近くにいる者たちよ、皆しっかりと見ていなさい。これから親神様が現される自由自在なご守護や、不思議なお働きの数々を。人間の浅知恵では計り知れない親神様のなさることのすべてを、決して疑うことなく見定めていきなさい。
短い意味
「教祖のお側にいる者たちや周囲の人々よ、これから親神様がなされる自由自在なご守護やお働きのすべてを、しっかりと見ていなさい」という、神様のお働きへの確信を促すお歌です。
みかぐらうた「四下り目3」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第3首「三ッ みなみてゐよそばなもの」は、親神様がこれから現される自由自在なお働きを、しっかりと見ているようにと促す力強いお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において親神様のご守護を信じ切ることの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- そばなもの(側な者):教祖(おやさま)のお側にいる人々、お屋敷内に住み込みで信仰する人々を指します。また、教えに触れている信者たちや、周囲・近隣の人々も含めて、「近くにいる者たち」へと広く呼びかけられています。
- かみのすることなすこと(神のすることなすこと):親神様がこれから現される、人間の思案を超えた自由自在なご守護や、不思議なお働きのすべてを意味します。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目3」を通して、私たちは親神様のお働きに対する絶対的な信頼と確信を学びます。
- 人間の浅知恵や世間の常識にとらわれず、親神様がなされる不思議なご守護をしっかりと見定めること
- お側にいる者たちがまず、親神様のお働きを確信し、揺るぎない信仰の土台を築くことの重要性
- いかなる状況にあっても、すべては親神様の深いお考え(親心)によるものであると信じて歩む姿勢
四下り目4の原文と現代語訳
原文
四ッ よるひるどんちやんつとめする
そばもやかましうたてかろ
現代語訳
夜となく昼となく、太鼓や鉦などの鳴物を入れて、どんちゃんとおつとめを勤めていると、この教えを知らない周囲にいる人々は、さぞかし喧しく、煩わしく(うたてく)感じることでしょう。(しかし、やがては世界中の人々が喜んでおつとめを勤めるようになるのです。)
短い意味
「夜も昼もどんちゃんと鳴物を入れておつとめをしていると、教えを知らない周囲の人々は、さぞかし喧しく煩わしく思うことでしょう」という、周囲の無理解とおつとめの姿を歌ったお歌です。
みかぐらうた「四下り目4」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第4首「四ッ よるひるどんちやんつとめする」は、時間を問わず熱心におつとめを勤める様子と、それに対する周囲の無理解について歌われています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を学ぶことで、信仰の道における周囲の目との向き合い方や、おつとめの大切さを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- よるひるどんちやん(夜昼どんちゃん):夜となく昼となく、太鼓や鉦(かね)などの鳴物を鳴らしておつとめを勤める様子を表しています。「どんちゃん」は鳴物の擬音であり、非常に熱心に、また賑やかに勤められている姿が浮かびます。
- そばもやかまし(側も喧し):教えを知らない周囲(そば)の人々が、そのおつとめの音を「やかましい(うるさい)」と感じるであろうということです。
- うたてかろ:「うたてい」という形容詞の活用形で、煩わしい、いやだ、といった意味です。教えの真実を知らない者にとっては、一日中鳴物を鳴らす姿が異様に映り、煩わしく思われるだろうという親神様のお見通しです。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目4」を通して、私たちは世間の無理解の中でもおつとめを勤め切る尊さを学びます。
- 周囲の人から「やかましい」と煩わしく思われることがあっても、それは一時的な無理解によるものであること
- 世間の非難に動じることなく、熱心におつとめを勤めることの重要性
- 今は周囲から「うたてかろ」と思われても、やがては皆がこのおつとめの結構さに気づき、世界中の人が喜んで勤めるようになるという確信
四下り目5の原文と現代語訳
原文
五ッ いつもたすけがせくからに
はやくやうきになりてこい
現代語訳
親神様は、いつも世界中の人間を一日も早くたすけたいと急き込んで(おつとめを促して)いるのだから、あなたたちも早くおつとめをして、勇んで陽気な心になってついて来なさい。
短い意味
「親神様は常に世界中の人々を救済しようと急ぎ望んでおられるから、あなたたちも早くおつとめをして陽気な心になっておいで」という、陽気ぐらしへ向かうための心のあり方を促すお歌です。
みかぐらうた「四下り目5」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第5首「五ッ いつもたすけがせくからに」は、親神様が世界中の人々を救済したいと急がれている親心と、それに応えて人間が陽気な心になることの大切さを教えるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「勇む心」がご守護をいただく第一歩であることを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- たすけがせくからに:親神様が一列人間(世界中のすべての人々)を救いたいと常に急き込んでいる、急いでいる上から、という意味です。人々におつとめを促す親神様の切実な親心が表れています。
- はやくやうきになりてこい:おつとめを通して早く陽気に勇んだ心になって来なさい、という意味です。親神様のご守護(ふしぎなたすけ)をいただくためには、まず自らが喜び勇んだ陽気な心になることが不可欠であると教えられています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目5」を通して、私たちは親神様の深い親心と、陽気ぐらしに向かうための心の持ち方を学びます。
- 世界中の人々を一日も早く救済したいという親神様の急き込む親心
- 親神様のたすけを待つだけでなく、自ら進んでおつとめをして陽気な心(勇む心)になることの重要性
- 喜んで勇む心こそが、親神様の自由自在なご守護を引き出す第一歩であるという教理
四下り目6の原文と現代語訳
原文
六ッ むらかたはやくにたすけたい
なれどこゝろがわからいで
現代語訳
お膝元である地元・庄屋敷村の人々(むらかた)から、まずは一日も早くおたすけしたいと切に願っている。それなのに、あまりに近くにいるためか、つい人間思案が先立ってしまい、神の深い親心やたすけ一条の教えの真実が分からず(心澄まず)にいるのは、誠にもどかしいことである。
短い意味
「お膝元である村方の人々を、一日も早く救済したいと願っている。それなのに、神の切なる親心が理解されておらず、もどかしいことだ」という、近くにいる人々への親心を歌ったお歌です。
みかぐらうた「四下り目6」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第6首「六ッ むらかたはやくにたすけたい」は、お膝元である地元の人々をまずはたすけたいという親神様の切なる親心と、それとは裏腹に教えが理解されないもどかしさを歌ったお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、身近なところから救済を及ぼそうとされる天理教の「たすけ一条」の順序を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- むらかた(村方):当時教祖(おやさま)がお住まいになっていた地元、大和国山辺郡庄屋敷村の人々を指します。親神様は、まず一番近くにいる人々からたすけたいと願われました。
- はやくにたすけたい:元のやしきから世界中へたすけを及ぼすにあたり、まずは足元である村方の人々から救済したいという親神様の急き込む思いが表現されています。
- こゝろがわからいで:「神の心が村方の人々に分からないでいる」という意味です。あまりに身近に教祖がおられたため、かえって人間的な先入観や世間の常識にとらわれ、親神様の深い思召(親心)が理解されないもどかしさが表れています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目6」を通して、私たちは親神様の温かい親心と、身近な信仰の難しさを学びます。
- 世界たすけに出るにあたり、まず足元である地元(むらかた)から救済したいという親神様の順序と親心
- 近くにいるからこそ、かえって人間思案が邪魔をして神意が伝わらないという、信仰の難しさ
- 自分の周囲や身近な人々にこそ、親神様の親心を正しく伝え、分かってもらう努力が必要であること
四下り目7の原文と現代語訳
原文
七ッ なにかよろづのたすけあい
むねのうちよりしあんせよ
現代語訳
世界中のすべての人間は、親神様から命をいただいた兄弟姉妹です。ですから、一切万事において互いに立て合い、助け合って暮らしていくことこそが、親神様の切なる望みです。この「よろづのたすけあい」の真実を、一人ひとりが自分の胸の底からしっかりと深く考え、思案しなさい。
短い意味
「一切万事において互いに助け合うことこそが、親神様の切なる望みです。この『たすけあい』の本当の意味を、心の底から深く思案しなさい」という、互いたすけあいの重要性を教えるお歌です。
みかぐらうた「四下り目7」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第7首「七ッ なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ」は、天理教信仰の大原理であり、人間生活の真髄でもある「たすけあい」の重要性を教えてくださるお歌です。このお歌の現代語訳と、そこに込められた意味や解釈を深く学ぶことで、親神様が人間に望まれる真のたすけあいのあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- なにかよろづのたすけあい:一切万事において、互いに立て合い扶け合うことを意味します。この「たすけあい」のわずか五文字に、四下り目全体の生命とも言える深い教えが込められています。口先だけではない、自らの事として他者を思いやる真の底からの助け合いこそが、親神様の不思議なご守護を引き出す前提となります。
- むねのうちよりしあんせよ(胸の内より思案せよ):ただ頭で理解するだけでなく、一人ひとりが自分の心の底から深く考え、行動に移すよう促されています。人々の苦しみを我が事として受け止め、実践することが求められています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目7」を通して、私たちは陽気ぐらしの世界を実現するための根本的な心のあり方を学びます。
- 世界一列の人間は皆兄弟姉妹であり、互いにたすけ合うことが親神様の切なる望みであること
- 自分を後回しにして他者のために尽くす真実の助け合いが、結果的に自らの救い(陽気ぐらし)にもつながること
- 「たすけあい」の理合いを、日々の生活の中で胸の内から深く思案し、実践し続けることの大切さ
四下り目8の原文と現代語訳
原文
八ッ やまひのすつきりねはぬける
こゝろハだん/\いさみくる
現代語訳
前首で教えられたように、欲の心を忘れて万事互いにたすけ合う真実の心を定めるならば。あるいは、夜昼心を込めておつとめを勤めるならば、親神様のご守護によって病の根本原因はすっきりと抜け去り、身体は健康になり、心はだんだんと喜び勇んでくるのです。
短い意味
「欲を忘れて互いにたすけ合うならば、親神様のご守護によって病の根本原因がすっきりと抜け去り、心はだんだんと喜び勇んでくる」という、心身ともの救済を歌ったお歌です。
みかぐらうた「四下り目8」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第8首「八ッ やまひのすつきりねはぬける」は、互いたすけあいの心定めや、おつとめの実践によってもたらされる、心身ともの鮮やかな救済を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教における病の根本的な解決と、陽気ぐらしへ向かう心のあり方を理解することができます。
重要キーワードの解釈
- やまひのすつきりねはぬける(病のすっきり根は抜ける):病の表面的な症状だけでなく、病み患う根本原因(いんねんの根)が一掃されることを意味します。前首の「よろづのたすけあい」を胸の内から思案し実践すること、また熱心に「おつとめ」を勤めることによって、この不思議なご守護が頂けます。
- こゝろハだん/\いさみくる(心はだんだん勇み来る):病の根が抜けて身体が健康になるとともに、心も次第に喜び勇んでくる様子を表しています。身体のたすかりと心の勇みが一体となって、心身ともに陽気づくめになるという教理です。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目8」を通して、私たちはたすけあいの実践がもたらす素晴らしい結果について学びます。
- 互いにたすけ合う誠真実の心が、自らの病の根本原因をすっきりと抜き去るご守護につながること
- 身体の健康だけでなく、心がだんだんと喜び勇んでくること(勇む心)が真の救済であること
- 親神様のご守護により、心身ともに陽気ぐらしの境地へと向かっていく確信と喜び
四下り目9の原文と現代語訳
原文
九ッ こゝはこのよのごくらくや
わしもはや/\まゐりたい
現代語訳
前首までに教えられた通り、欲を忘れて互いに助け合い、心身ともにだんだんと喜び勇んでくるならば、この世はそのまま、病も争いもない極楽(陽気ぐらし)の世界となります。また、元のぢば・おやしきこそがこの世の極楽なのです。私も一日も早く、その素晴らしいご守護の根元であるおぢばへお参りさせていただきたいものです。
短い意味
「心身共に陽気に勇む時、この世はそのまま極楽の世界となります。このたすけの根元であるおぢばへ、私も一日も早くお参りしたいものです」という、極楽の境地とぢばへの慕い心を歌ったお歌です。
みかぐらうた「四下り目9」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の第9首「九ッ こゝはこのよのごくらくや わしもはや/\まゐりたい」は、たすけあいの実践によって実現する極楽(陽気ぐらし)の世界と、ご守護の根元である「おぢば」への強い慕い心を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教が目指す理想の境地と信仰の喜びを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- こゝはこのよのごくらくや(ここは此の世の極楽や):「ここ」とは、親神様が人間を創造された元の「おぢば」であり、教祖が存命のままお留まりくださっている「元のやしき」を意味します。同時に、一人ひとりが欲を忘れて助け合い、心澄み切って喜び勇むならば、今住んでいるこの世がそのまま極楽(陽気ぐらしの世界)になるという教理も込められています。
- わしもはや/\まゐりたい(私も早々参りたい):心身ともに勇む極楽の境地を知り、その不思議なご守護の根元であるおぢばへ、自分も一時も早くお参りして親神様にお礼申し上げたい、という抑えきれない喜びと慕い心を表しています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目9」を通して、私たちは信仰がもたらす最高の喜びと、おぢばの尊さを学びます。
- 日々のたすけあいの実践により、心身がだんだん勇んでくる状態こそが「この世の極楽」であること
- 遠い死後の世界ではなく、今生きているこの地上に極楽(陽気ぐらしの理想世界)を実現するという教理
- 不思議なご守護を頂く喜びから自然と湧き起こる、おぢばへの自発的な参拝(おぢばがえり)の心
四下り目10の原文と現代語訳
原文
十ド このたびむねのうち
すみきりましたがありがたい
現代語訳
これまで互いにたすけ合い、親神様にもたれて歩んできた結果、とうとうこの度、胸の掃除ができあがり、一点の濁りもないすっきりと澄み切った心になりました。目に見える有形の物や無形のおさづけを頂くこと以上に、この心のたすかりという最高の境地に到達できたことが、本当に嬉しく、ありがたいことです。
短い意味
「とうとうこの度、胸の掃除が出来上がり、一点の濁りもない澄みきった心になりました。こんなに嬉しい、ありがたいことはありません」という、心が澄み切った喜びと感謝を歌ったお歌です。
みかぐらうた「四下り目10」の現代語訳と意味
みかぐらうた「四下り目」の結びとなる第10首「十ド このたびむねのうち」は、互いたすけあいの実践や心定めを通して、ついに人々の心が澄み切った境地に達した喜びと、親神様への深い感謝を歌っています。このお歌の現代語訳と、そこに込められた教理の意味や解釈を深く学ぶことで、天理教において「心のたすかり」が何よりも尊いご守護であることを理解することができます。
重要キーワードの解釈
- このたび:これまでの信仰の歩みやたすけあいの実践を経て、ついに到達した「今」を意味します。
- むねのうち(胸の内):人間の心のことです。親神様の教えによって胸の掃除がなされ、欲やほこりがすっきりと払われた状態を指します。
- すみきりましたがありがたい(澄み切りましたが有難い):一点の濁りもなく心が澄み切った状態になったことに対する、深い感謝と喜びの言葉です。手振りでは、有難くこぼさずに押し頂く動作がつけられており、有形の物ではなく「心のたすかり(澄み切り)」こそが一番の有難さであり、最高の救済(結構さ)であることが表現されています。
このお歌から得られる学びと核心ポイント
この「四下り目10」を通して、私たちは信仰の最終的な目的である「心の澄み切り」の尊さを学びます。
- たすけあいやおつとめの実践を重ねることで、とうとう(十ド)胸の内が澄み切るという信仰の結実
- 目に見えるご利益や物質的な豊かさ以上に、心そのものが澄み切ってたすかることが最高の喜び(有難さ)であるという教理
- 四下り目全体を通して教えられた「たすけあい」の帰結が、この「澄み切った心」の実現にあること

