53.この屋敷から

明治十年、飯降よしゑ十二才の時、ある日、指先が痛んで仕方がないので、教祖にお伺いに上がったところ、「三味線を持て。」と、仰せになった。それで、早速その心を定めたが、当時櫟本の高品には、三味線を教えてくれる所はない。「郡山へでも、習いに行きましょうか。」と、お伺いすると、教祖は、「習いにやるのでもなければ、教えに来てもらうのでもないで。この屋敷から教え出すものばかりや。世界から教えてもらうものは、何もない。この屋敷から教え出すので、理があるのや。」と、仰せられ、御自身で手を取って、直き直きお教え下されたのが、おつとめの三味線である。註飯降よしゑは、明治二十一年結婚して、永尾よしゑとなる。

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