39.もっと結構

明治七年のこと。西浦弥平の長男楢蔵(註、当時二才)が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて、もう駄目だ、と言うている時に、同村の村田幸四郎の母こよから、にをいがかかった。お屋敷へお願いしたところ、早速、お屋敷から仲田儀三郎が、おたすけに来てくれ、ふしぎなたすけを頂いた。弥平は、早速、楢蔵をつれてお礼詣りをし、その後、熱心に信心をつづけていた。ある日のこと、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。「これは怪しい。」と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた。弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お詣りして、「お蔭で、結講でございました。」と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」と、仰せになった。弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。

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