34.月日許した

明治六年春、加見兵四郎は妻つねを娶った。その後、つねが懐妊した時、兵四郎は、をびや許しを頂きにおぢばへ帰って来た。教祖は、「このお洗米を、自分の思う程持っておかえり。」と、仰せになり、つづいて、直き直きお諭し下された。「さあ/\それはなあ、そのお洗米を三つに分けて、うちへかえりたら、その一つ分を家内に頂かし、産気ついたら、又その一つ分を頂かし、産み下ろしたら、残りの一つ分を頂かすのやで。そうしたなら、これまでのようにもたれ物要らず、毒いみ要らず、腹帯要らず、低い枕で、常の通りでよいのやで。すこしも心配するやないで。心配したらいかんで。疑うてはならんで。ここはなあ、人間はじめた屋敷やで。親里やで。必ず、疑うやないで。月日許したと言うたら、許したのやで。」と。

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