195.御苦労さま

「教祖程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、『御苦労さま。』物もらいが来ても、『御苦労さま。』その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖にお会いさせてもらうと、教祖の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。教祖のお慈悲の心に打たれたのであろう。例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。

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