193.早よう一人で

これは、梶本宗太郎の思い出話である。 教祖にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。それでも、「今やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボ-ロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。私は、曽孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。それで、「早よう、一人で来るようになったらなあ。」と、仰せ下された、という。私の弟の島村国治郎が生まれた時には、「色の白い、綺麗な子やなあ。」と、言うて、抱いて下された、という。この話は、家の母のウノにも、山沢の母にも、よく聞いた。吉川(註、吉川万次郎)と私と二人、同時に教祖の背中に負うてもろうた事がある。そして、東の門長屋の所まで、藤倉草履(註、表を藺で編んだ草履)みたいなものをはいて、おいで下された事がある。教祖のお声は、やさしい声やった。お姿は、スラリとしたお姿やった。お顔は面長で、おまささんは一寸円顔やが、口もとや顎は、そのままや。お身体付きは、おまささんは、頑丈な方やったが、教祖は、やさしい方やった。御腰は、曲っていなかった。

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