18.理の歌

十二下りのお歌が出来た時に、教祖は、「これが、つとめの歌や。どんな節を付けたらよいか、皆めいめいに、思うように歌うてみよ。」と、仰せられた。そこで、皆の者が、めいめいに歌うたところ、それを聞いておられた教祖は、「皆、歌うてくれたが、そういうふうに歌うのではない。こういうふうに歌うのや。」と、みずから声を張り上げて、お歌い下された。次に、「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。どういうふうに踊ったらよいか、皆めいめいに、よいと思うように踊ってみよ。」と、仰せられた。そこで、皆の者が、それぞれに工夫して踊ったところ、教祖は、それをごらんになっていたが、「皆、踊ってくれたが、誰も理に合うように踊った者はない。こういうふうに踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや。」と、仰せられ、みずから立って手振りをして、皆の者に見せてお教え下された。こうして、節も手振りも、一応皆の者にやらせてみた上、御みずから手本を示して、お教え下されたのである。これは、松尾市兵衞の妻ハルが、語り伝えた話である。註松尾ハルは、天保六年九月十五日生まれ。入信は慶応二年。慶応三年から明治二年には三十三才から三十五才。大正十二年五月一日、八十九才で出直した。

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