明治三十三年十一月三日
斉藤与七七十一才身上願(亀岡支教会長)
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は、身上の処余儀無く事情を尋ねる。余儀無き事情を尋ねるから、順序の道を諭し置こう。一つよう聞き分けてくれにゃならん。道無き所道容易で治まったものやあろまい。これではと思った日もある。なれども、心というもの治まって何で身上なあと思う処、よう聞き分け。めん/\一つこの身上鮮やかなぁと思う。なれども、身上に一つ迫る処聞き分け。これ一つ/\元々順序始めた。これは末代の理である。理に必ず一人と思うやない。末代の理を治めて、それからだん/\。これより一つ頼りはあろまい。これから先どうなろうと思うやない。頼り心を持たにゃならん。これから先は、だん/\の理である。だん/\の理あれば、人と人との心の行き合いで、それはどちらなりと治まる。この道理を以て運んで、嬉しく楽しく伝え。人と人と、そりゃ委そう、そんならという、この道理を諭してくれるよう。身上の処一時どうとはない。なれどもなあ、未だ/\長ごうも居にゃならん。十分の理を治めて、心に満足を与えくれるよう。