明治二十九年九月二十九日
常極仁右衞門身上願(名草支教会長)

さあ/\事情々々、皆これ余儀無くの事情を尋ねる。取次も余儀無く事情を尋ねる。多くの中分け隔ての無きよう、成らん事情は繋いで諭してやれ。身上不足なりて尋ねたら、何でもない良き事やと言うようなら、尋ねるまでのもの。これまでの事情長らくの事情、運び尽す理は捨てゝ了うと思うようではならん。一代では頼り無きもの。なれど末代の理を聞き分けば、たんのうの理も出るやろ。見る処聞く処から、たんのう治めるなら、さんげとも言う。身にずつなみありては、たんのうは出来よまい。なれど、よう聞き分け。たんのうより受け取る理は無いで。この理を聞き分けて、皆んなそれ/\楽しましてくれるよう。

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