明治二十四年六月十一日(陰暦五月五日)
山沢サヨ俄かに腹痛みに付願

さあ/\これどんな事が、一時どんな事見るやら、聞くやら分からせん。判然分からせんなれど、これとは分からせん。何処へどうしよう、彼処へどうしよう、すうかりどうしよう、又所変えてどうしよう。どうしようは長く遠くという。一寸自由身の内何時一時取り掛かるとも、これより身の案じはあろうまい。これ一寸見えん先に知らし置く。これまで尋ね置く。諭したる遠く所、心映す処聞き分けて、くどくどさしづ聞かしてある。どんな事もさしづに基づき、一寸に暫く、一寸のさい遠い所は遠い所の順々理がある。一つ一寸始めてこうという、この心どうしてもどうもならん。内からどうして、ぢばからこうしてという。この事情はすっきり止めて了う。他に運ぶ後々という、ほんのにをいがけ、この理は成程という。この理を聞き分け。内から運ぶとすれば、他の事情は大いに治まりが着かんようになる。どうしようこうしよう、すうきり止めて了うによって、皆々に伝え。又々、しんばしらにしっかり伝えてくれるよう。さあ/\委せ置く。他に一つ理を持たし、互い/\一つぢば、成程という。遠く所どうしよう、そんなら内から出るのやない、というようなものや。けれどそうではない。先から先、力を合わせて、力を添えて、事情を一事万事心に気を付けてくれねばならん。

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