明治二十三年十一月二十一日(陰暦十月十日)午後八時半
刻限御話
さあ/\やれ/\/\、まあ/\/\、長い事でまあ/\長い事や。長い事にはまあいつ/\とてもいつまでと言うた処がどんならん。出てさしづ又出て聞かし、又又さしづ通りの道やなければ通れん。変わらん/\、同んなじ心に同じ諭、いついつまで長いようでもそれ一つの事情、どんな事情とも計り難ない。そこで出て聞かし置かねばならん。何をしたのやと、騒ぎ立てるような事ではどんならん。聞かした処が分からん。三才児に十分のものをやったようなものや。三才児は沢山あっても、あゝと言うて楽しむ。後は何にもならん。まあおっとり四年五年の日が移る。まあ、貴方々々と世界から言う。何処にどういう印がある。印を以て目途、一代は一代の理、二代は二代の理、何時どういう事があるとも分からん。どんな事あるともこれは一つの理のように楽しむ。短い長いと言えば長い。人間というものは、その場と言えばその場治まる。義理やと言うて、さしづより外に一つの道も無い。どれだけどうといえどもどんならん。道が直して了えばろっくと言う。道を直して心の道さえ治めば同んなじ事。悪い道は通りよい、いっち大きい。これも聞いて置け。これまでの道、楽しみの理はそこい/\渡し、これからは未だ/\楽しみの理も渡さんならん。運ぶ道はだん/\運び、もうこれでよいと思えば運び掛ける。未だ未だあたゑ積んであるなれば、めん/\の心で掴むに掴まれん。これだけ諭し置くから、後々は又々談示をしてくれるよう。