明治二十三年七月七日午前三時
本席腹痛に付願

さあ/\この身の内/\、身の内の障りや/\と言えば直きに尋ねる。日々尋ねる事情よう聞き分け。さあ/\尋ねさえすれば、どんな事話聞かそう。その場だけの話ではどんならん。身の内迫る、切なみ一時というはなろうまい。さづけ/\と言うたる、さづけというはどの位どれだけのものとも、高さも値打も分からん。さづけ/\も一寸に出してある。一手一つにもさづけ出してある、同じ理を出してある、皆一手である。重い軽いありそうな事情は無い。だん/\たゞ一つ、さあ受け取れという。それだけどんな値打があるとも分からん。道具でもどんな金高い値打でも、心の理が無くば何にもならん。さづけ/\の処、よう聞き分け。日々の席をする。席をすればさづけは渡す。その時の心、受け取る時の心、後々の心の理がある。日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了う。どうも残念でならん。なれど運ばねばならん。そんならその者にはやろう、この者にはやらんというような隔ては無い。今貰うて直ぐとほかす者でも渡さにゃならん。一時の間、定める心の誠であるから、どんな者でも、こんな者でも心があるから、をやのそばへ来て貰わにゃならんという。いつには同席々々の処、もう何箇月、何ぞという、なれど見分けてくれ。あそこにこうなる、彼奴はなあという理は、目前に見分けて、やったのを取り返えし、諭してくれねばならん。兄弟の粗相したら、兄弟の皆んなの粗相になる。その時だけの理、皆心に掛けるなれど見遁がし、聞き遁がし、これを運ばにゃならん。何処にどんな手本を出すやら知れん、見せるやら知れん。成ると成らんとの理、見ると見えんとの理、聞くや否どんな理が見えるやらこれ知れん。よう聞き分けて、もう一息引くや否直ぐと見える。どっから聞いたら早く聞き取って、実際世界明日の日からどんな理があるやら知れん。もう広くの処、末から末広がって居る。こゝ成らん、何処成らん、こゝ成らん、一手とは言わん。そうかと言えば、その場になってどうや知れん、こうや知れん、八方に心を配ばり、理を失うようになる。聞いて直ぐ見て直ぐ、運ばねばなろうまい。くどう/\諭してある。日が経てば、その場の心が弛んで来るから、何度の理に知らさにゃならん。これだけ余の儀外の儀でない。人間心の理が世界始め出したる、人間事情、人間心の理が世界の事情と成ってある。めん/\心で発散が出来ん。そこで知らせ置こう。

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