明治二十三年六月二十五日(陰暦五月九日)午前九時
前おさしづに付、りきもつ取り払いの事願
さあ/\尋ねるであろう/\。尋ねん事にはどうもならん。さしづ通り皆心合わせてすれば、どんな自由もして見せる。聞いて居てどういう処も通るもさしづ以て。人間心以てする事は、思い/\の理を計ればどうもならん。日々皆出て来る。連れて戻る。何処からどうして計ろうか。前々くどう/\伝えてある。人間というは、どう計ればよかろうかと、日々の事情は一つに止まる。僅か日々年限という、日々年限もう僅かの内、どんな事をするのもしよいように成るのや。暑い時分には暑かったであろう、寒い時は寒かったであろう、まあと言う。麦という、むにして見せる、太白にして。もう暫くすれば分かって了うで。今一時二つの理、元一つは埋もれてある。今一時そこで難しい。一寸りきもつ余程のもの見澄まして、一寸々々暫くの間はじいとして置かねばならん。尋ねた通り十分のものなら、三四分まで通るなら、十分の一分の事情が通り難くい。年明けたら御陰や、国会々々やと言うて、いろ/\の説いろ/\の話、世界の道理であろう。前々に聞いたる道よりあろうまい。ぢばというは、三年十年やない。見澄ましてある。そこで言うた通りに成る。内々もさしづ通りより持たぬよう。中には勝手が悪い事もある。人間心取れば孝心でしたる事と言わん。その日から困らにゃならん。尋ねたらさしづ通り、心一つ、一手さしづ通り。心得のため理を諭そう。
押して願
さあ/\多分にやるのやない。すっきり止まったかいな、と、今一時こうであると、道理一つの理を諭し、一寸些か、人々理を見て渡してくれねばならん。ほんに些かづつやで。日々夜さあ/\と言うて、先では、やらんならんように成る。治まり一時案じる道は通しゃせん。案じがあれば案じがあると。今一時という。さあ/\多分にやるのやない。すっきり止まったかいな、と、今一時こうであると、道理一つの理を諭し、一寸些か、人々理を見て渡してくれねばならん。ほんに些かづつやで。日々夜さあ/\と言うて、先では、やらんならんように成る。治まり一時案じる道は通しゃせん。案じがあれば案じがあると。今一時という。
同日午前九時三十分
分教会、支教会役員、大講元、本部にて泊めても宜しきや伺
さあ/\尋ねる/\、尋ねにゃならん。多くの中/\、一度には多くの中/\と言うまい。今一時と言えば皆所々、一人又一人、今一時の処/\に、皆印の理から見分けにゃならん。何年という、古いは理に成らん。新しいは世界で匂いと成る。めん/\理、前の理もある。所々代始め古いという。よう聞き分け。所々印という理がある。薄き処泊まれと言うても泊まられはせん。内に談じ合いて来れば一つの心も寄る。互い/\の事情、深き中、事情というはよう聞け。談示一つ一時分かって分からん。めん/\心という理がある。一時一つ集まるという理が分からん。人間の目で見て放って置けん、捨てゝ置けんと思えば、神の目は尚放って置けんという理が分かれば、何も余の処も分かるであろう。放って置けんという理が無いからの事情。さあ/\分かればよし、分からねば返答。