明治二十三年六月二十三日(陰暦五月七日)午前十時半
本席左の横腹突張るに付、中山会長御出席の上御願

さあ/\だん/\の話、十分の理を説いたる。大抵々々心を寄せ、心も運ぶ。それそれ大抵そこい/\の治まる処、一寸心治まれば身も治まる。よう尋ね返えした。この事情の理は生涯の理、末代の理、始め掛けたる、どういう事情思やんしてくれ。この所は親里、をやとは深き理、深き理なら心の理を運ばねばならん。口で説いてばかりではをやの理とは言わん。一時の理を以て些かの処運んでくれる処は、十分に受け取る。日々に尽す処、運ぶ処、年々という。どんな運び方もある、盡し方もある。前々古き話である。今一時は世界の事情を以て日々という。そこで前々説いたる理は未だそこへ及ばん。やれ/\という、遥る/\遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう、寒ければ寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸々々出さねばならん。なれど世上の事情あるから、今一時一寸すたって了うようなものや。世界より何か事情は無いかと狙ろうて居る。敵を受けて居るなれど、何でも彼でも出さにゃならん。いかなる者も出て来る。出て来たなれば、暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと、満足さすがをやの理。よう事情を尋ね返えしてくれた。成らん処の事情、多くの中尽す運ぶ。成らん処の事情によって日々という。どれだけ成らん処出来て来る。小さいようで大きなもの、大きなもの小さきものの理があるから大きものや。日々勤め小さいようで大きい。何とも無く思えば何でも無い。何でも無いもの大切の理に運んでくれる。この理は計り難ない。まあこれだけ尽す一つの理、これだけの事は見て置けん。これだけの事は捨てゝ置けん。人間の目に見て居られんなれば、神の目にはどうも見て居るに見て居られん。外々じゃあろうまい。一時の処運び難くいから、一寸々々の理話、何でも無き処の話が生涯末代の理。どうこうせい、これでこう成る一つの理は言わずして深き事情書いたる処、見れば何でも無きものと言う。なれど約めて皆んな十分の理を諭してある。言わず語らず順々順序十分の理を運んでくれねばならん。楽しみ一つ、これ運んでくれ。たんのうすれば直ぐと十分受けとる。これまで一つ/\運び掛けたる処、尽す/\尽す中の理の中、日々見分け、月々年々の理見分けにゃならん。運ぶ深き中十分大切の理を以て扱うてくれるよう。小さいようでこれしたら、はたへ差し支える、これが第一。まあ一晩でも泊ってくれと言うは、前々の理があるからの事。この事情の理が分からねば、何にも分かりゃせんで。

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