明治二十二年十二月八日
藤田弁之助三十八才(播州美嚢郡鍛屋村真明組周旋方)
さあ/\だん/\返やし/\の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以ちて一つ席。席に順序の理はよく聞き分け。生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するにはよく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内という、皆神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう事情いかなる理、幾重事情どんな理でも、日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。日々という、常という、日々常に誠一つの理、誠の心というは、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やすは一つの理。よく聞き分け。又一つ一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す中に、互いや扶け合いという。互い扶け合いは、諭する理。人を救ける心というは、真の誠一つの理で、救ける理で救かるという。よく聞き分け。これまで運ぶ尽す事情は、内々の事情めん/\の事情理に治め。これより先永く/\事情に、たすけ一条のために、こうのうの理を渡し置こ。さあ/\さづけ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよう。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ/\。