86.大きなたすけ

大和国永原村の岡本重治郎の長男善六と、その妻シナとの間には、7人の子供が授かったが、無事成人させて頂いたのは、長男榮太郎と末女カンの二人で、その間の5人は、あるいは夭折したり流産したりであった。明治12年に、長男榮太郎の熱病をお救け頂いて、善六夫婦の信心は、大きく成人したのであったが、同14年8月ごろになって、シナにとって一つの難問が出て来た。それは、永原村から約1里ある小路村で6町歩の田地を持つ農家、今田太郎兵衛の家から使いが来て、「長男が生まれましたが、乳が少しも出ないので困っています。何とか預かって世話してもらえますまいか。無理な願いではございますが、まげて承知して頂きたい。」との口上である。その頃、あいにくシナの乳は出なくなっていたので、早速引き受けるわけにもゆかず、「お気の毒ですが、引き受けるわけには参りません。」と断った。しかし、「そこをどうしても」と言うので、思案に余ったシナは、「それなら。教祖にお伺いしてから。」と返事して、直ぐ様お屋敷へ向かった。そして、教祖にお目にかかって、お伺いすると、「金が何んぼあっても、又、米倉に米を何んぼ積み上げていても、直ぐには子供に与えられん。人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。」と仰せになった。この時、シナは、「よく分かりました。けれども、私は、もう乳が出ないようになっておりますが、それてもお世話できましょうか。」と、押して伺うと、教祖は、「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで。」とのお言葉である。これを承って、シナは、神様におもたれする心を定め、「お世話さして頂く。」と先方へ返事した。すると早速、小路村から子供を連れて来たが、その子を見て驚いた。8ヶ月の月足らずで生まれて、それまで、重湯や砂糖水でようやく育てられていたためか、生まれて百日余りにもなるというのに、やせ衰えて泣く力もなく、かすかにヒイヒイと声を出していた。シナが抱き取って、乳を飲まそうとするが、乳は急に出るものではない。子供は癇を立てて乳首をかむというような事で、この先どうなる事かと、一時は、心配した。が、そうしているうちに、2、3日経つと、不思議と乳が出るようになって来た。そのお蔭で、預かり児は、見る見るうちに元気になり、引き続いて順調に育った。その後、シナが、丸々と太った預かり児を連れて、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖は、その児をお抱き上げ下されて、「シナはん、善い事をしなはったなあ。」とおねぎらい下された。シナは、教祖のお言葉にしたがって通るところに、親神様様の自由自在をお見せ頂けるのだ、ということを、身に沁みて体験した。シナ26才の時のことである。

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