190.この道は
明治十九年夏、松村吉太郎がお屋敷へ帰らせていただいたときのこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振る舞いなどが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、「この道は、知恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に来いとは言わんのや。」と仰せになった。この言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを心に深く感銘したのであった。
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明治十九年夏、松村吉太郎がお屋敷へ帰らせていただいたときのこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振る舞いなどが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、「この道は、知恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に来いとは言わんのや。」と仰せになった。この言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを心に深く感銘したのであった。