14.染物
ある時、教祖が、「明朝、染物をせよ。」と、仰せになって、こかんが、早速、その用意に取りかかっていた。すると、ちょうど同じ夜、大豆越でも、山中忠七が、扇の伺によってこのことを知ったので、早速、妻女のそのがその用意をして、翌朝未明に起き、泥や布地を背負うてお屋敷へ帰って来た。そして、その趣きを申し上げると、教祖は、「ああそうか。不思議な事やな。ゆうべ、こかんと話をしていたところやった。」と、言って、お喜び下された。こういう事が度々あった。染物は、後にかんろだいのぢばと定められた場所の艮(註、東北)にあった井戸の水で、お染めになった。教祖が、「井戸水を汲み置け。」と、仰せになると、井戸水を汲んで置く。そして、布に泥土を塗って、その水に浸し、浸しては乾かし、乾かしては浸す。二、三回そうしているうちに、綺麗なビンロージ色に染まった。この井戸の水は、金気水であった。(註一)大和には、金気井戸が多いが、他の井戸では、このように綺麗には染まらなかった。泥は、教祖が、慶応元年八月、山中家にお入り込みの時、家の東側を流れている小川に、染物によい泥がある、とお気付きになり、所望なさったので、その後、度々お屋敷へ運ばせて頂いた。この泥は、竹の葉が、竹薮などで堆積して出来たもの、という。(註二)ビンロージ色ビンローは、インド、マライシア等に育つ植物で、ヤシの一種である。その実をビンロージ(檳榔子)と言い、鶏卵大で、黄赤色に熟する。原産地では、口中でかんで嗜好品とするが、日本では、その乾かしたものを染料に使って、暗黒色を染めた。それから、暗黒色をビンロージ色という。(平凡社「世界大百科辞典」)